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8 寄木氏、暴風雨を木陰でやり過ごす

8 



 寄木は以前よりも若干憔悴のトーンが柔らかくなっていた。僕の立場からすれば、もっとげっそりしてくれていた方が良いのだが、実際顔を突き合わせてみると、健康でいてくれた方が安心するに決まっている。

 しかし僕が「調子良さそうだね」と切り出すと、寄木は曖昧な表情で相槌を打った。僕らは串揚げ屋のカウンターで、ミニトマトだのアスパラチーズだのの変わり種の串を摘まんでいた。店内は竹林をイメージした内装で、寄木が好みそうな幽玄で和風なムードだった。彼はとくに、幽玄さのある和風を好んだ。何かの作品の影響かもしれない。

「正直、状況に慣れてきたっていうか」寄木は言う。「相変わらず揉めてるし、先輩はぶつかってくるし、仕事は任せられてないんだけどね。まぁ、何と言うか」

 寄木はそれきり曖昧な笑みでシイタケの串揚げを食べた。僕は彼の表情に、暴風雨を木陰でやり過ごす半笑いのナマケモノを見た。諦めている動物の表情だ。

「お父さんは何か言ってる?」僕は水を向けてみた。

「最近話してない。というか、僕がなるべく会わないようにしてるかもしれない」寄木は言った。

 僕はそれ以上詮索したりしにくくなり、しばらく黙っていた。彼は相変わらず怠惰に状況をやり過ごしているだけの様だ。

 今度は彼から話をしてきた。

「下山君、今の生活はどう」寄木が甘夏チューハイを傾けて言う。「充電期間というか、モラトリアムみたいな生活は」そこには恐る恐るフタを開ける様な慎重な響きがあった。

「とりあえずは、悪くないよ」僕は日本酒を飲み込んで言う。「好きな時間に起きて、好きな時間に眠る。時折冷蔵庫に行ってビールを持ってくる。最近は何してるかな。ずっとスマホで動画サイトやまとめサイトを見ている気がする。何してるだろう。夜になると出かけて、近所の踏切までいって貨物列車が通り過ぎるのをビール片手に眺めるのが日課かもしれない」

「いいねそれ」寄木が言う。

「そうかな」僕が言う。「でも、それ見ながら何時間もそこにいるんだぜ。それで朝日が昇ったら、だらだら泣くんだ」

「すごくいい、ああ、やってみたい」珍しく感情をあらわにして寄木が言った。曖昧ではなく、明らかに心の底からの笑顔を見せた。それで僕も、そうかそんなものか、ととりあえず納得した。

 僕は望んでそんな事をやっていたんだろうか。ある種の癒しになっていたのだろうか。深夜に踏切で死に思いを馳せる事が?社会人の時の心境が遠ざかった今、働いていた自分がそういう事を望んだだろうかと考えてもみたが、うまく想像できなかった。


 寄木はその後、いつもより多めにアルコールを飲んで、帰りの足取りが怪しくなった。彼の表情が明るくなるので、僕はニート生活を事細かに伝えてやった。自虐や不満のつもりで言った言葉が、彼には羨望の対象になった。僕は心に引っ掛かりを感じ、駅へ続く道すがら、大通りを跨ぐ歩道橋の上で彼に言った。

「なぁ、寄木。ニートの生活って、確かに今のストレスから遠ざかりはするけど、家族の見る目とか、将来への不安とかで、精神的な負荷は変わらないんだぜ。親以外からはプレッシャー掛からないから、かえって堕落してしまって再起不能になる危険だってあるんだ」

「だからこそ、共同生活でみんなで責任を持ちあう必要があるんだね」

「いやまぁ、それも一つの手なんだけどさ」僕は考えをうまくまとめられないまま言葉を繋ぐ。「もうちょっと今の職場で、自分のできる事を探してみてもいいんじゃないかな。俺はその手前で辞めちゃったし、今おなじ状況に立たされてもやっぱり辞めると思うけど、でも周りの人に相談して励ましてもらってたら、違う結果になったかもしれない。今のまま惰性で過ごしていると、何も身につかないまま歳ばっかり取っちゃう気がするよ。お互いさ」

 下山は肯定とも否定ともつかない相槌を口ごもってから、しばし無言になった。僕らは歩道橋の下を流れる車の線を追った。怠け者で頑固な寄木の事だ、こんなことを言っても何も伝わらないのは分かっている。相手が何かを話す事はないだろうと思い、僕は続けた。

「深夜に貨物車両を見送るのは、ちょうど今のような状況に似てるよ。答えの出ない問いがあって、無機質に流れる誰かの営みがある。それをただ眺めるんだ。今だったら、そろそろ終電が近いかな、間に合うかな、と思う。でも俺たちの問題は何らかの結論を出して、それじゃあ今後こうするか、と言って別れる事は出来ない。ニートになればそれが毎晩続くんだ。問題の種類と、過ぎゆく物の形が変わるだけで」

 僕はそれだけ言って口をつぐんだ。しばらくたって寄木が口を開いた。

「何かしら、できる事を探してみる。父さんとも気まずくなりたくないし」寄木が言った。

 帰りの電車の中で、これでよかったのだろうか、と反芻した。けれど、友人を状況から引きずりおろさず、社会に立ち向かわせる方がいいに決まっている。自分もまた、明日新しいバイト先を見つけて応募の電話をしよう、西堀さんには悪いけれど生活というのはそれぞれの物だから、全部同じ方向にはいかないさ、と自分に言い聞かせた。


 下山から会社をクビになったと連絡があったのは、翌週の月曜日だった。出勤したら、自分のタイムカードがなかったという。いつもひじ打ちしていた先輩から紙と封筒を渡され、その場でハンコを押したそうだ。それは辞職届だった。彼は月曜の八時半に出勤して、事情を説明され、ハンコを押して、九時半には会社を出た。当然、タイムカードは押さなかった。

「正直、最近は会社に行ったり行かなかったりだったんだ。それでも特に何も言われなかったし、僕がいてもいなくても仕事の忙しさには変わりはなかったと思う」

 寄木は困り顔で笑いつつも、とても安堵した力のない声で言った。

 その後、僕はバイトの面接をすっぽかし、面接先の番号を着信拒否のリストに登録した。また夜型の生活に戻り、夕方に起きて朝に眠った。母親のヒステリーはぶり返したが、僕に何かを言い返す気力はなく、言われるままにしていた。

 深夜、ビールを片手に玄関あけ、冷え始めてきた十月後半の空気を吸った。今が何曜日かも分からない。そろそろビールを飲みつつ外を出歩くと風邪を引くかもしれない。けれど僕は踏切に行かないわけにはいかなかった。自己嫌悪の波は夕闇に目覚めたときにはやってきたし、その場でじっと耐えるという事は出来なかった。

 深夜徘徊は久しぶりだったが、その日に限って貨物列車は走らなかった。ストライキでもやっているのかもしれない。僕は遮断機が鳴らない踏切をしばらく眺め、それからよほどレール内に立ち入ろうかとも思ったが、結局そのまま眠ってしまった。起きたときには始発の踏切が鳴っていた。太陽は少しずつ輝きを増している。通り過ぎる電車の中から誰かがこちらを眺めている気がした。軽蔑すればいい、と僕は思った。


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