2 深夜に貨物列車を眺める男あらわる
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実家に戻ってからの一カ月は、親子の絆をこじらせるためだけにあったと言っていい。秋雨は長く続き、「せっかくのシルバーウィークも雨がちで残念ですね」とラジオのDJが言った。ばかやろう、こっちはニートだ、ずっと連休だ、うらやましいか、と考え、考えた傍から口に出た。気の滅入る天気が続き、精神衛生はますます汚れていった。
心にカビが生えた息子に塩素系洗剤をスプレーするように、母親は毎日僕を罵倒した。せっかく私学の大学を出してやったのに、全部おじゃんじゃないの。そんな「あっぱっぱ-」になってどうするの。お金の価値を分かっているのか、金返せ。働いて家に金いれろ。僕は「誰があっぱっぱーじゃ」とあらん限りの叫び声で反論した。母と子なのに、冷徹な金の事を持ち出す母に不満だったし、心の健康を害した自分をまるで理解しない事にも腹が立った。夜、布団の中で冷静なれば、自己嫌悪に苛まれた。考えれば自分はあっぱっぱー以外の何者でもないし、母親にも親子の情でついつい厳しく教えきれなかったお金の冷たさ、ありがたさみたいなものを改めて教育しなきゃいけないという自負があるんだろうな、という理解もできた。それでも朝になれば母親のヒステリックな罵倒に耐えきれず応戦してしまうし、僕はあらゆる対人嫌悪と不安を溜めこんで、もはや発酵しているような状態だったから、バイトをしたり職業安定所に行ったりという事をまるでしなかった。父親は単身赴任をしていて、実家に帰っても顔を合せなかった。そもそも、中学に上がってから五回くらいしか顔を合わせていないから、ほとんど離婚した父親と同じような心の距離感しか持ち合わせていない。また、家庭の事に関しては放任・事なかれ主義だったのも、浅い関係に拍車をかけた。一度だけ電話で話をしたが、父と僕は人生で初めて共感することになる。お互いに早く電話を切りたい、と。
やがて昼と夜が逆転し始め、夜になると起きだし、冷蔵庫からビールを取り出しては、缶を片手に深夜徘徊した。ビールは少なくなるといつしか補充された。雨が降りしきる真夜中、踏切の向こうで貨物列車が通り過ぎるのを、ただただ眺めた。時折、夜明けの日光を浴びる事もあった。そんな朝には今日の夜には死んでしまおうという感慨が浮かび、涙がとめどなく溢れた。呑んだビールの分だけ流れていくんじゃないかと思うほどだった。ある種の清潔さや美しさは、人の心の闇をひどく明確にする。僕の心は朝日を求めていたし、朝日を浴びる事で死の結末を思うことができた。結局、というか、当然のことながら、踏切をくぐるような度量はなかった訳だけれど。