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14 4LDKの夢やぶれて

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 その高層マンションは河川敷のほとりにあった。近くには市営のスポーツセンターがあり、中には個人利用ができるフィットネス施設や温水プールがある。河川敷にはテニスコートも見えた。エントランスは壁も柱も大理石で、オートロックの自動ドアが閉まると外界の音が一切聞こえなくなった。静けさというのは一種の贅沢なのかもしれない。郵便受けは細かくブロック分けされているだけで、取り出し口も取っ手もついていない。どこかのボタンを押すとせり出してくる仕組みのようだ。エレベーターホールには巨大な姿見があった。僕はニートになって体重が五キロ増え、髭もろくに剃っていなかった。西堀さんが無口なのは、僕が汚らしいからかもしれない。

「このあたりは河川が氾濫すると水没しやすい地区なの。けれど、いまからいくのは八階だから、まぁ問題ないわよね」

 西堀さんは誰に聞かれるでもなく、一人事のように言った。エレベーターは乳牛一匹が飼育員同伴で快適に運べそうなほど広かった。八階には「801」と「802」しかなかった。西堀さんは、僕らが共同生活できていたとしたら、住むことになったであろう部屋を見せてくれるのだ。

 玄関の広大な土間で靴を脱ぐと、すぐ両手に6畳ほどの個室が見えた。右手に二部屋、左手に一部屋ある。洗面所はバスルーム手前のスペースと分離されている。リビングは八畳ほどのスペースの一部を引き戸で仕切れるようになっていて、個室としても機能する。仕切りを作ったとしても、対面キッチンのLDKで16畳はあるだろうか。

「静かだ」と僕が言う。

「遮音性がウリなの」西堀さんが少し得意げに言う。「犬を飼ってもいいし、ピアノも弾いていい」

僕はリビングから離れて、個室を見て回った。寄木は西堀さんと何かを話している。西堀さんはこの部屋を見てもらう事で少しだけ元気が出たらしく、この部屋の長所を話している。それぞれの個室は良く似ている。おそらく、子供部屋として文句が出ないよう、似たようなレイアウトにしているのだろう。同じ広さを確保する為に収納スペースが犠牲になっているらしく、家族共通の家財を仕舞っておけるような大きな物入れは見当たらなかった。それぞれの個室に押し入れがあるので、そこに分散しておくか、あるいは個室の一つを潰して物置にすることになるだろう。ただし、僕らのように成人した4人が各自プライベートな空間を持つのなら、逆にこちらの形態の方が都合が良いと言える。個室の窓はすりガラスになっていて、外の景色は見えない。そのことが部屋の静けさを増長した。

 西堀さんが共同生活に積極的だったのも分かる気がする。この静けさの中で、彼女も部屋を歩き回っては、期待に胸を膨らませたに違いない。僕は玄関から見て左手の個室に腰を降ろし、仰向けになった。天井は高く、白い壁紙はシミひとつない。冬のフローリングの固さや冷たさも、ここまで静謐だとかえって気持ちが良い。目を閉じて耳を澄ませる。西堀さんと寄木が何かを話している。僕はそちらに行きたくない。

 どれくらいの時間そうしていたのか分からない。部屋の入り口から声を掛けられ、僕は驚いて体を起こした。

「お気に召したようで」西堀さんは言う。

 僕はもう一度もとの仰向けの体勢に戻る。

「住むなら、この部屋がいいな」僕は言った。「玄関から入ってすぐ引きこもれる」

 寄木がなるほど、と言って笑った。西堀さんは鼻で笑った。

「郵便物が来たら、必ず応対してもらうけど?」西堀さんが言う。

「それくらい問題ないよ。着払い費用も払ってやる」僕が言った。

「やっぱりだめ、私もこの部屋がいいもの」西堀さんは言う。「もし暮らすとしたらね」

 三人とも何も話さない。少し間を置いて、西堀さんが続ける。

「親戚のおじさんが正月に私の家に来て、私に鍵を預けていったの。もちろん、予備の鍵だけどね。ルームシェア考えてるなら、一度みんなに部屋を見てもらえばいい、って。なんでも、私たちが暮らさないなら、四月からこの部屋を不動産屋経由で貸し出すつもりなの。おじさんが仕事の都合でこの部屋に住むのは四、五年先の事になりそうだから、その間遊ばせておくのはもったいないって」

「返事はしたの」僕は天井を見ながら言う。

「いいえ」西堀さんの声が聞こえる。「でも手紙を添えて鍵を返そうと思ってる。返事の期限が、今月中だったから」

「良い部屋だよ、ここ」僕が言う。

「ほんと、いい部屋だったわ」西堀さんが言う。


 僕はアパートを出ると、ちょっと予定があるから、と言って、挨拶半分で二人の傍から離れた。寄木は以前、僕が西堀さんと二人会ったときに羨ましがった素振りを見せた。だったらうまくやればいいじゃないか、機会をやるよ、と半ば捨て鉢な気持だった。心の奥では、やはり誰にも会いたくなかったし、あのエレベーターホールの姿見に見えた醜い自分を、誰も好きにならないだろうという嫌悪感もあった。河川敷沿いの遊歩道を歩きながら、嫌というほど冬の冷たい風に吹かれた。明日大雨が降ってこのあたり一面が冠水すればいいのに、と僕は想像する。最寄駅から一駅離れた場所まで、妄想は頭の中でのさばった。

 西堀さんに充電器を渡しそびれたのに気付いたのは、駅の切符売り場で財布を取り出す時だった。かばんの奥で白い充電器のコードが渦を巻いているのを見て、僕は思いっきり溜息をついた。どうしてこんなに自分は馬鹿なのだろうと。持って帰ると、いつかは返さなくてはいけないという思いを抱え続けることになるし、いっそコンビニで捨ててしまおうかとも思った。平内さんの言葉を思い出し、僕は思い切って西堀さんに電話を掛けた、さっと渡して帰ればいいのだ。その場で何を言われて思いっきり後に引きずったって、どうせやるべきことなんてないのだから。

 西堀さんはすぐに電話に出た。

「充電器、渡しそびれちゃったよ」僕は言う。

「ああ、あの時、預けたままだったわね。でも、予定があるんでしょう?」

「ないよ、嘘をついた」

 西堀さんは何かを推し量るように黙っている。

「ひょっとして、いま、後を付けてるのかしら」

 電話越しに、髪が擦れる音がする。彼女が実際に振り返っている仕草が分かる。

「後なんて付けてないよ。駅で切符を買う時に、かばんに入っているのを思い出したんだ」

「そう、私も今、ちょうど寄木くんと別れたところだったの。あまりのタイミングの良さで勘繰っちゃったじゃない」

「ということは、西堀さんもこれから予定があるの?」

「ないわよ」西堀さんは言う。「嘘をついたの」

「かわいそうに」

「そっくりお返しするわ」

 僕は不意に吹き出してしまう。笑いたくなんてなかったけれど。

「それで、あなたもいま、この駅の構内にいるって事よね」

「いや、ちょっと遠い方の駅から帰ろうと思って」

「もう何なのよ。帰りが一緒にならないよう避けたのね。いいからこっちへ来なさい」

 僕らは駅のコンビニで待ち合わせ場所に決めて電話を切った。彼女の小気味いいやり取りで体に活力が出てきたように感じる。元気になんて、なりたくはなかったけれど。


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