1 エスケープ、その一部始終
1
就職して半年が経ち、残暑でホカホカに熱せられた日本列島が秋雨前線のシャワーで少しずつ冷やされているころ、僕は会社から逃げ出した。
広告代理店のデザイナー兼営業、というのは、私学文系Fラン卒からすると中々魅力的な就職先に見えた。デザインもできる、きつい営業もデザイン絡みなら、お客さんの質がいいかもしれない。面接のときの営業主任とデザイン課長の人柄も、いかにも業界人というか、スタバでノートパソコン開いて仕事やってそうな風情で尊敬できそうに思えた。フタを開けてみれば、厳しいノルマの飛び込み営業と、デザインとは名ばかりの決まったテンプレに文字と写真を当てはめていく流れ作業の日々だった。デザイン部署の美人な先輩社員が、自社のテンプレの広告を指さして差して「一見普通の広告に見えるかもしれないけれど、私にはデザインに見える」とのたまった時に、おや、と思った。疑惑の思いは日に日に拡大し、3か月もした頃には、洗練した社会人生活ではなく、泥臭い精神労働と無機質なデスクワークがこの仕事のすべてだと把握した。その後、僕はスーツをクリーニングに出すのをやめ、シャツにアイロンを掛けなくなった。誰も何も言わなかったし、僕は皺だらけのスーツとシャツで、顧客に訪問して回った。個人店舗に激しく断られ、それなりの店舗には冷たくあしらわれ、引き継いだ既存ユーザーからとは会話がうまくできず気詰まりな商談が続いた。暮らしていたのは社長が個人的に所有するアパートで、事務所から近いうえに相場の七割の価格で住まわせてもらえたが、それでも帰るのは夜の九時を過ぎる事が多かった。皺だらけのスーツを脱いで裸になるまでに発泡酒を一缶飲み、シャワーを浴びていると知らない間に叫び声をあげている。声を上げながら、ああ、今日も声を出してしまっているな、迷惑にならないといいな、などと頭の片隅で考えているのだけれど、叫び声を押し留める事は出来ない。火事で燃え盛る家屋の消火作業を諦めるような心地で、叫ぶ自分を客観視していた。
結局、きっかけはこの叫び声だった。同じアパートに住む事務の女の子が不審がり、まず社内で噂になった。日に日に女子社員の軽蔑が高まり、挨拶は帰ってこないし、同じエレベーターに乗り込んでくれなくなった。エレベーターの扉が開き、僕が乗り込むと、女性社員が目の前を素通りしていく。先輩社員の方々はともかく、つい数週間まえに同期会でカラオケに行った同期の女の子までも、僕から目を逸らしていってしまった。ますます心は張り裂けるように緊張し始め、営業先に出てもインターホンを押すことができず、近所の巨大なパチンコ屋の立体駐車場でサボる日が増えた。営業日報には嘘を書いた。嘘を不審がった上司が、営業に出た後の僕を尾行し、僕がサボっているのを突き止めた。まだ役職が上がったばかりの上司は、自分で部下を指導するのを避け、営業主任に進め方を相談した。それももっともだと思う。けれどそのせいで僕の怠惰は全社に知れ渡る事になり、ついに社長と主任と上司が待つ会議室に呼ばれてしまった。僕は叱責を受けながら、心の底から上司を憎んだ。言うなら自分一人に言えよ、と。そうした心の影もあり、僕は叱責中もいい態度をとっていなかったのだろうと思う。「もういい」と社長が口を挟み、こう切り出した。
「下山君(僕の名字だ)、君は俺のアパートに住んでいて、俺の会社に勤めている。君はアパートにも会社にも迷惑を掛けている。今すぐ改めるか、一週間以内に出ていくか、決めなさい」
そうして僕は会社から返された。アパートに帰ると、半年暮らした自分の部屋が、他人のロッカーのように無機質で便宜的な物に感じられた。今すぐ東海地震が起きて部屋の中の物がめちゃくちゃになればいいのにと思い、発泡酒を立て続けに二缶飲んだ。立ってられずに、仰向けになると、脳みそが頭蓋骨の中を少しずつ回転していくように思えた。個人用のスマートフォンが鳴って、慌てて電話に出ると、それは上司からだった。
「本当に帰るとは思わなかった。近くにいるんだろ。下山君、今からでも営業に出て、10社くらい回ってこいよ。注文取れなくてもいいから、それをレポート書いて社長に提出するといい」
「すいません、もう飲んじゃいました」
「飲んじゃいました、って」上司はしばらく絶句していた。僕は何も言うべきことはなかったから黙っていた。腹の中で、今度は胃袋が回転し始める気がした。
上司はそっと受話器を置いた。本当にやさしく、回線だけを閉じるような置き方だった。かえってその方が傷ついた。
そのようにして、僕は会社を辞めた。結局辞表も出さなかったし、アパートを出るのにくずぐずと三週間掛かったので、営業主任が借金取りのように激しいノックをして追い立てた。僕は追い出されるように荷物をまとめ、実家に戻った。