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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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60.死闘 5

「死ね!」

 最早正気をとどめていない様子のハイドンが、引き金に指をかけて嗤った。

 ゼライドは足から血を吹き上げながら、ユーフェミアへと駆ける。自らを盾にする以外にユーフェミアを救う手だてはない。だが、ゼライドがいた入り口付近から、ユーフェミアのいる奥までは十メルほどの距離があるのだ。

「あああーーーっ!」

 ゼライドは走りながら声にならぬ叫びをあげた。

 ——やめろ、やめてくれ。

 ——それは俺の命。なにより大切な……俺の魂なんだ!

 ハイドンの指に力が籠り、そして。

「ぎゃあああっ!」

 

 パン!


 ゼライドの背後から恐ろしい勢いで飛んできた黒いものが銃身にぶつかり、弾かれた銃口から逸れた銃弾は天井の岩肌を撃ちぬいた。

 その瞬間に飛び掛かったゼライドがハイドンに圧し掛かる。全ては刹那の出来事だった。

 二人の上にぱらぱらと土くれが降り注いだ。

「……ぐぎゃああ!」

 ゼライドの渾身の一撃が、顔面に打ち下ろされたのである。噴水のように鼻血が吹き上がり、ハイドンは無様な悲鳴を上げた。その顔は恐怖に醜く歪んでいる。

「てめぇ!」

 ゼライドはハイドンの上に馬乗りになると、胸倉をつかんでゆすぶった。ゼライドの腕とハイドンの顔から血が激しく飛び散り、辺りの床を汚した。

「よくも、よくも……っ!」

 暗闇でもないのに野人の(まなこ)が光る。それは狂気を()いて瞬いた。

 拳は何度も打ち下ろされる。ハイドンの意識はとおに失われていた。

「ゼル!」

 細い叫びに野人の拳がぴたりと止まった。ユーフェミアがよろよろと身を起こしていたのだ。

「もういい、もういいよ! それ以上やるとその人死んじゃうわ……大丈夫。私はここにいるから……落ち着いて……お願い!」

「……」

 野人の拳がだらりと下がる。青銀色の瞳が呆然とユーフェミアを見上げた。まるで迷子が突然母を見つけたように、青銀の目が見開かれる。

 男は愛しい名を口にした。

「……ユミ……」

「来てくれてありがとう……待っていたの、ずっと」

 彼のつがいは片腕を伸ばした。よろけながらもできるだけ前に。

「ねぇ、こっちに来れる? 足が痛くてそっちに歩いて行けないの。あ、でもゼルも怪我を……」

 ふらふらとゼライドが立ちあがった。自分の方が重い傷を足に負っているのに、それさえ感じないようだ。男はユーフェミアの目を見つめながら、永遠とも思える距離を進んだ。

 この距離はゼライドとユーフェミアの置かれた隔たり。どうしても乗り越えられない立場の壁、種の壁、運命の壁――の筈だった。

 

 ——だが、それがなんだ。

 ゼライドは最後の一歩を大きく踏み出した。

「ゼル! 大丈夫なの? うわ、すごい血……わふ」

 視界が大きなものに塞がれる。熱くて厚い、ゼライドの胸だった。彼は跪いてユーフェミアを抱きしめている……いや、抱きついていた。

「生きてる……ユミ……」

 大きなゼライドが身を屈してユーフェミアの胸に縋り付いていた。

「ユミ、すまねぇ……怖かったろ……ごめん、ごめんな!」

 ——怪我させてごめん。守ってやれなくてごめん。俺なんかのつがいにしちまってごめん。諦められなくてごめん。離せそうになくてごめん。

「……許してくれ……」

 ゼライドはユーフェミアの胸で謝罪の言葉を繰り返した。

「ゼル……? なんで謝ってるの?」

「馬鹿だからだ」

 背後に苦々しく吐き捨てる声。

 弾かれたようにゼライドが身を起こし、ユーフェミアを背後に隠す。その様子を嘲るように眺めながらシャンクが立っていた。自分でレバーを下してシールドを落としたのだろう。切り取られた二の腕には止血のためか、その辺のコードが巻きつけられている。そのコードからも点々と血が滴っていた。

「……」

 二人の野人は睨み合う。視線だけで互いの息の根を止めようというのだろう、いささかも揺るがずに正面を切っている。

「バルハルト室長……」

 無言の闘いを遮ったのは、人間の娘だった。シャンクの視線が流れる。

 ——こんなつまらぬ女……。

 仮初かりそめの身分と暮らしの中で、彼の部下だっただけの女。それほど賢くもなく、持って生まれた幸運だけで、人生を渡っていけると思い上がって。

 だが、あの下司にレイピアで床に足を縫い付けられても、この女は打ち負かされたりはしなかった。爛々と輝く翠の目。それはどんな野人の女にも負けないくらい強く、美しかった。吹けば飛ぶような存在でありながら、飛んできた腕を見て怯んだ下司の背に自分から引き抜いた剣を突き刺す。そんな事がどこの女にできようか?

 そして向けられた銃口。下司が狂気に駆られて女を亡き者にしようとしていた。そしてそれを若い野人が身を挺して庇いに走る。

 許せないと思った。

 その瞬間、ゼライドに向けて今まで以上の憎悪が吹き上がった。それが常に冷静に戦いを見極めてきた男の勘を狂わせた。腕を無くしたことよりも、つがいを守る彼に我を忘れた自分が信じられなかった。

 後は堕ちるだけだった。

 スティックを放ったのは考えてやったことではない。

 まるで。

 ——まるで女が殺されるのを救ってやったようではないか。

 そしてその女は、彼の憎悪の対象と抱き合っている。

 とんだ茶番だった。

 ——こんな女が何で……

「私の……」

「見るな」

 相対しているゼライドが敏感に察したのだろう。雄の本能むき出しでシャンクを睨み据えた。

「《《これは俺のつがいだ》》」

「……」

「見るな」

 猛々しい唸りがゼライドの喉から漏れた。血だらけの銀色のオオカミは、傷などものともせずに立ち上がった。

 己がつがいを獲るために。

 二人の野人の雄が睨み合う。


 その時――ドームを揺るがす衝撃がビィンと走った。




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