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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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58.死闘 3

 ゼライドは森を抜けると、岩山を側面から登り始めた。

 足場は悪いが登れないほどではない。しかし、登っている間は無防備だから、背中から狙撃されたら真っ逆さまである。

 しかし、躊躇いはなかった。ゼライドはその優れた身体能力で、するすると中腹まで辿り着いた。


 ガシャン!


 巧妙に岩石に擬態してあった隠しカメラを足で踏みつぶす。

 弾丸が降ってこないところを見ると、すでに狙撃手はいなくなったのだろうか。ゼライドはひたすら登るだけである。

 大腿筋に力を入れるたび、裂かれた傷から血が流れた。腕もしかりである。肩から流れた血で指先まで赤く染まっている。

 中腹まで登ったところで、ゼライドは岩肌に深い亀裂が走っている事に気がついた。それは人工的に一直線に伸びていて、いかにも開閉しそうである。中に何かの施設があると推察される。

 ——ここだ。

 見た感じでは中はそんなに広くはないようである。

 どうやって侵入するか考えているところに、向こうから答えが出た。岩肌の一部が前にせり出し、まるで露台(バルコニー)のように空中へ突き出し始めたのだ。

 ——なんだ? 次はなにを仕掛けて来やがる?

 ゼライドは慎重に岩陰から、その様子を見守っていた。本物の岩肌をつけたまま、せり出しは10メルほども進出してから止まった。

 バルコニーの縁には二台の機関砲が取り付けられている。

 彼の趣味だという、眼下で繰り広げられる茶番に一役買うものなのだろう。小型だが、当たり所が悪かったり、何発も喰らうと人は死ぬ。だが、すぐに死には至らないように、殺傷能力の高いものを据えていないのだろう。

 おそらく、もだえ苦しむさまを、この露台から眺められるようになっているのに違いない。吐き気のするほどの悪趣味だが、ゼライドのいる場所はやや上で、とりあえずその攻撃を受ける心配はないようだ。

 ゼライドはゆっくりと岩を巡って、バルコニーの真上に出た。短い庇の上に下りる。そこからはテラスと、ドーム内が一望できた。

「ユミ! ユーフェミア!」

 木霊が跳ねかえる。それが収まりかけた頃、テラスの奥、岩山の内部から気配がした。

「なんだ上にいたのかい? 降りてきたまえ、君の大切な人はここだよ」

 どこかにマイクが設置されているのだろう。その声は間近に聞こえる。

「……」

 ゼライドはものも言わずにテラスへと飛び降りた。

 想像した通り、バルコニーの中には沢山のモニターが据え付けられ、四角い機材が並べられたコントロールルームのようなものがあった。ここでドームの環境の調整や映像の編集をするのだろう。

 その中央には豪華な応接セットが据えられている。観覧席にもなっているのだろう。

 しかし、ゼライドはそんなものには目もくれなかった。

「ユミ……」

 彼が見ているのは、小柄な男の足元に崩れ落ちて丸まっている小さな姿だ。

 ユーフェミア、彼の愛しいつがい。

「ユミッ!」

 駆け寄ろうとするゼライドを凍りつかせたのは、小柄な男が握るレイピア状の細い長剣だった。鋭い円錐状のその切っ先は正確にユーフェミアの心臓を指している。

 ゼライドが打たれたように動けなくなったのを見て、男は満足そうに微笑んだ。

「さっきも言ったが、やっと手に入れた私の宝石を、安っぽい仇名で呼ぶのは止めてくれないか。いくら脳みその足りない野人とはいえ、おこがましい」

「ユミから離れろ」

 ゼライドは獰猛に唸った。さすがの経済界の大物もピクリと眉を震わす。

「……」

「離れろ」

「……」

 ハイドンはそこで奇妙に顔をゆがめ、両足を踏ん張っている。馬鹿にしているような態度にゼライドは苛立って叫んだ。

「早くしろ! でねぇとぶっ殺すぞ!」

「……私を脅かすつもりか! いいとも。私はジッグラト・ハイドンだ! 正義は我にありだ! この気の毒なお嬢さんを攫いに来たんだろうが、私は卑怯な野人の暴力には屈しない! 撃ちたいなら撃てばいい! さぁ撃て! 私はあくまで戦う!」

 それは妙に芝居がかった台詞のように聞こえた。

「さぁ、来たまえ、野人! この老人が相手をしてやる!」

「黙れ! 何を言っている⁉︎」

 突然の豹変にゼライドは非常な違和感を覚えた。

 このわざとらしい正義漢ぶった演技の裏には何かがある。ゼライドは怒鳴ることをやめた。ハイドンはしばらくいい加減なことを怒鳴っていたが、やがて飽きたのか、大げさな仕草と共にゼライドに向き合った。

「こんなものかな?」

 ハイドンは、どこかにいるエディターにサインを出すようなそぶりでニヤリと笑った。

 あっという間に似非(えせ)ヒーローは消えうせ、黒い紳士の顔が現れる。

「……ユミを渡せ。貴様はもう終わりだ」

「終わり? 何のことだね?」

「お前はサイオンジ市長を失脚させるために、ナイツを製造し、市内にばらまいていたのだろう? 証拠は歴然だ。このドーム内にも夜光花が咲き乱れている。おまけに市長の身内の誘拐、これ以上に証拠がいるか?」

「ナイツ? ああ、ここに咲く夜光花かね? きれいだったろう? 光と気温の調節で一年中咲くようにしてあるんだよ。僕の趣味の一つは花を愛でることだからね。何にも悪いことはない。外にあった種子や麻薬は、私の捜査官たちが証拠として犯罪組織から押収したものばかりだよ。称えられてしかるべきだと思うね。このお嬢さんは、僕の映画への出演を了承してくれたし」

 ハイドンは愛おしそうに足元を見下ろした。

 ユーフェミアの瞼は青白く、かっちりと閉じられている。

 上着はないものの、服を着ていることだけが救いだが、髪は解けて乱れ、グラスはどこかに消えていた。

「詭弁だな。とても、そうは見えねぇ。……ユミ! しっかりしろ! 俺だ! ゼライドだ!」

 ぐったり横になるユーフェミアの肩がピクリと動いたようだった。彼女は苦しそうに息を吐いた。

「ユミ! 畜生め! ナイツだな!」

 ユーフェミアの体から立ち昇った香りに、ゼライドはぎりりと歯を食いしばった。

「この変態野郎! ユミにナイツを……!」

「さぁね? ずいぶんお酒を召し上がっていたようだから、そのせいじゃないかな? そう言えば、さっきは酔っぱらったのか随分暴れてくれてね、少しだけお仕置きさせていただきましたよ」

 ハイドンはレイピアの腹でちょいとユーフェミアを叩いた。

「仕置きだと?」

 ハイドンの唇がいやらしく捲れ上がる。

「そう……彼女はとても苦しんで……悦んでいたよ」

 レイピアの切っ先がユーフェミアの服の袖を破る。その手首にはくっきりと赤黒い指の跡がついていた。

「――――!」

 ゼライドの喉から絞り出すような咆哮が迸った。それはドームに反響して空間を揺るがせる。ハイドンが感心したように手を上げた。

「おお……これが野生の雄叫びってやつかね? なかなかいい。高性能のマイクがどこまでうまく拾ってくれてるかな?」

退け……」

「……」

 野人の声はさすがのハイドンの(うなじ)の毛を逆立てるほどのものがあった。しかし、彼は動かない。構えたレイピアの切っ先も。

 ゼライドが一歩進んだ。さらにもう一歩。そして跳んだ!

「ぐあっ!」

 見えない壁に弾き飛ばされた体は、バルコニーの柵まで飛ばされる。焼けた髪が舞い落ちた。腕には大きな火傷ができて新たな血が流れていた。

「やれやれ、この僕が無防備で君みたいな野蛮人の元に身を晒すと思うかい? ちゃんとシールドを張ってあるんだよ

 見えない壁の向こうでハイドンは笑った。

「ここはこのドームの中で行われる様々な《《催し》》を見るための特等席だよ。君のように、勢い余って飛び込んでくる馬鹿者や流れ弾があるからね。こうして自衛している訳だけれど。言っておきますが、気合で潜り抜けようなどと思わぬことだ。ほら、最弱にしてあったけど、今、目盛りを上げたから、次は黒焦げだよ? それはそれで楽しそうだがね」

「貴様、貴様ぁっ! ユミ! 目を覚ませ!」

 ゼライドは立ちあがりながら叫んだ。ユーフェミアの指先がピクリと反応する。

「うん、なかなかいいよ。うん、これは別に編集した方がよさそうだ」

 ハイドンは上部のモニターを見上げて、心から楽しそうにしている。

「さぁさぁ。私はこれからすぐにゴシック・シティに取って返して、次の議会に提出する議案を立てなくてはならない。無条件で野人は収容されるべきだとね。この映像を見せたら、さしものサイオンジもぐぅのでも出まいよ。カメラのいくつかを壊してくれたようだが、データはちゃんと保存されている。君達野人が、市民のために働く議員を逆恨みしてその屋敷に押し入り、それを阻止しようとする勇敢な警備員たちを殺害している映像が」

 つまり、さっきの正義のヒーローぶりは、どこかで動いているカメラを意識しての熱演だったという訳だ。後で都合のいいように編集されるというのだろうか?

「脅す? 馬鹿言え! 脅してんのはてめぇの方じゃねぇか! それに俺たちは好んで人なんか殺さねぇ、できるだけ急所は外したつもりだ。少なくとも俺たちは仲間をビジュールに食わせるお前ほどは鬼畜じゃねぇ」

「そんなことはどうでもいい」

 ハイドンは急に表情をなくしていった。

「野人はこの世界に存在してはならないのだ。だから抹殺する」

「な……に?」

「この世界は人類のためにあるのだ。我々が今までどれだけ苦労して、種を保ってきたと思っている。人類が旧世界からこの世界に移ってきた時、あれだけ厳選された遺伝子は、長い年月の間に元の薄汚い鎖に戻ってしまった。優れた人類のみで構築される素晴らしき世界の実現のために、最高の設計図だけを選び抜いたというのに。今やかつての理想の遺伝子は失われ、そんな事実があったことすら人々は忘れ去っている!」

 ハイドンは吐き捨てた。

「この世界に落ち着いた人類はあっという間に原住民と混血し、理想の遺伝子は穢された。そして世代を重ねる毎に人間は堕落し、芸術は失われ、犯罪は蔓延する。異常染色体は増える一方。これでは見捨てた旧世界と何ら変わりがない。挙句の果てに野人だと? 吐き気がするわ!」

 男の目は次第に熱を帯び、色の悪い頬に赤黒さが浮かんだ。憑かれたようにゼライドを睨みつけている。

「せっかく淘汰された遺伝子に汚物が混じるなんて許されないことだ。それはやがて人類の衰退を招く。誰かが浄化しなくては。だから、私は考えた。麻薬を生み出し、心弱い人間を絞り出して破滅させる。欲に目のくらんだ金の亡者どもも一緒だ。野人に市民権? とんでもない。野人など、私が作り出したゾクやゴクソツ人と相殺し合えばいいのだ……ん?」

 ハイドンは驚いて足下を見た。

 苦しげに手を伸ばしたユーフェミアが、男の足首を必死でつかんでいる。

「ユミ!」

 ゼライドは思わず一歩前に踏み出した。ユーフェミアの苦しげな瞳が一瞬彼を捉え、うっすらと微笑を浮かべる。しかし、彼女はすぐにハイドンに向き合おうとした。

「なんですか? お嬢さん、気がつきましたか。あれだけ薬をあげたのに、すごい精神力ですねぇ。さすが僕の見込んだ方だ」

「あ……あなたは間違っているわ。理想の遺伝子なんか……ありはしない」

 ——ああ、頭の芯が痺れる……。

 自分が麻薬を打たれた事はわかっていた。だが、それはユーフェミアに快感として作用せず、睡魔となって襲いかかった。目覚めた今はくらくらとするようで気分が悪い。しかし、何とかして腕で体を支えると、上半身だけ起こした。無様に寝転がっているのを見られるのはもう嫌だったのだ。

「……愚かしさも賢さも全部含めて人間だわ。何が正しいか……正しくないかなんて大して重要じゃない。人類のシナリオに結末なんて……ない」

 ユーフェミアは必死に言い募った。回らぬ頭で喋っている内に、少しずつ霧が晴れていくような気がする。

「人間は可塑性に満ちている。いつだって懸命に生きて……間違って、やり直して、性懲りもなくまた間違う。だけど、とてつもなくしぶといの。そうでなければ人間なんてとっくに滅んでいた。いえ……優秀な最初の遺伝子なんてとっくに滅んでる。今あるのは、今この世界に《《生き残れた》》逞しい人間たちなのだわ」

「へぇ。斬新な理論だ。悪い頭のくせに理屈を言うものですね、ユーフェミア。優れた遺伝子は滅びる運命だとでもいうのですか?」

「……ちがう。それが生き残れるものだとしたら、残っているはず。時間と種の混沌の中で、生物の(ことわり)の中で揉まれながら。スクナネズミだってそう。野に放してしばらくしたら、きっとほかのネズミに混じってたくましく生きていく。私は実験を通して生き物の強さを学んだわ……あうっ!」

 ユーフェミアは突然の激痛に身を反らせた。

 ハイドンの持つレイピアの切っ先が、柔らかいふくら(はぎ)を貫いたのだ。

「この雌豚が! 理想の遺伝子をネズミなどと一緒にするな!」

「ユミーッ!」

 ゼライドの絶叫がドームをつんざく。

「うああああああっ!」

 野人がハイドンに飛びかかろうと大きく膝を折った瞬間――

「来るな!」

 ユーフェミアも負けじと怒鳴り返した。

「うあ!」

 ゼライドが瞬時に凍りつく。

「来たら承知しないからね! このバカ野人! 私は寝たふりしてただけなんだから! さっきの事知ってるわよ! 頭から突っ込んで丸焼きになりたいの⁉︎ 野人の丸焼きなんて不味くて誰も食べないわよ!」

「ユミ……」

 立て板に水ような啖呵であった。さしものハイドンすら顎を引いている。ユーフェミアはレイピアの切っ先が埋まった左足のふくら脛を見て鼻を鳴らした。

「こんなの痛くないわよ! 却って頭がすっきりしてありがたいくらいだわ。有り余った脂肪に刺さってるだけだし。第一あたしは鈍感なのよ。しかも薬が利きにくい体質だし! ナイツなんてへいちゃらよ! でもこれでようやく紳士の仮面がはがれたわね? この下郎!」

「はははは……いい、実にいい。君は実にすばらしいモチーフだ。よく変わる表情が素晴らしい。頭が悪い事だけが玉に瑕ですが……」

 言いながらハイドンがレイピアをぐりぐりと回した。苦鳴を飲み込み、痛みに顔を歪めてユーフェミアが体を折る。

「がああああああっ!」

 つがいの苦しむ姿に、野人が天を仰いで両膝を突き、爪が固い床を掻き毟った。ギラリと正面を向いた眼は血走っていた。

「ユミッ! ユミーーッ! 畜生! 殺してやる!」

「ゼ、ゼルッ! ……だいっ……じょぶ……大丈夫だから!」

 肩で息をしながらも、ユーフェミアは悶絶しているゼライドに向かって健気に微笑んだ。その額に玉の汗が噴き出ている。

「ユミ、黒こげになってもお前のそばに……」

「ゼライド・シルバーグレイ! 来たら許さない!」

 今にも飛びかかろうとしていた野人がユーフェミアに命じられて、再び動けなくなった。翠の瞳が燃えるようにゼライドを見つめている。つがいのその瞳だけが野人を抑えられるのだ。

「ユ……」

「大丈夫だから……」

 ユーフェミアは懸命に微笑んだ。

 ——く……そ、どこかに……。

 怒りで正気を失いそうになるのを必死で堪え、ゼライドは視線で室内に侵入できる孔がないかと探し始めた。その様子を愉快でたまらないようにハイドンが見つめている。

「まぁ、お気のすむまで探したまえ。私たちはここでゆっくり当局の応援を待つとしよう。どこから見ても侵入者はそっちだからねぇ」

「私が証言するわよ!」

「君の汗や尿からはナイツの反応が出るだろう。だから君の証言は役に立たないのです。まぁ後のことは私にすべて任せておきなさい。姉上のことはともかく、君のことは悪いようにはしませんから」

「……ふざけないでよ」

「それにしても……」

 ハイドンは、死にもの狂いになって侵入口を探している野人を、面白そうに見ながら言った。

「この野人がここにいるってことは、ひょっとしてシャンク達はしくじったのかな? 野人同士ぶつからせても、面白い画が取れると思ったんだけどねぇ、役に立たないねぇ」

「お言葉ですな」

 その声にゼライドが愕然と振り向く。

 すたりと、バルコニーの際に降り立ったのは右目を光らせた野人だった。



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