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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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57.死闘 2

 飛び込んだ先には恐ろしく広い空間があった。

 先ほどの広間もホールも遠く及ばない。そこは見渡す限りの荒野だった。

 いや――そうではない。

 正確には屋内に荒野を再現した光景だったのだ。

 天井は全天ドームで、実際は夜空である時刻なのに、春の空のような薄青い空が広がっている。起伏のある荒地、草原、周囲には森海のような深い緑。

 そして一番目を引くのは、真正面に聳える岩山の数々だった。それらは鋭く尖り、一番高いものでは頂上が殆どドームの天井付近にまで迫っている。

 どこからどこまでが実際の風景で、どこからが映像なのか分からないほど精巧に作られた空間。

 柔らかな微風が汗まみれの頬を撫でる。

「ここはなんだ!」

 さすがのゼライドもこのおそろしく広い空間に唖然とする。

 そして目を奪うのは――

 草原の一部を埋める夜光花の群生。

 陽光の元、しかも花期はとっくに終わっているはずなのに、仄かに光る花弁はいささかも衰えを見せず、今が盛りと咲き乱れていた。これらは全て恐るべき麻薬<ナイツ>の原料である実をつけるのだ。

 

 さわさわさわ


 どこで調節をしているものか、風が少し強さを増し、夢のように花々がゆらゆらと揺れた。

 はた目にはうっとりするような夢玄の光景である。ゼライドは構わず歩を進め、妖しく揺れる花弁を踏み(にじ)った。しかし、辺りは静まり返り、移ろいゆく雲が球形の空を渡ってゆく。暫くすると昼間の光がやや翳り、ゆっくりと空が暮れなずみ始めた。夜光花の光が一段と増す。

 この空はスクリーンになっており、実際の時間よりも早く一日の空模様が変化する仕組みになっているようだった。温度や湿度調節も完璧なのだろう。この様子では雨や、雪を降らせることもできるかもしれない。

 幽玄の中にゼライドは立っている。彼は瞳を閉じて髪にゆるい風を受けていた。

 空気まで動くこの空間で気配を探るには、視界を遮断するのがいい。

 一気に集中力が増して、生き物の気配をいくつも感じることができた。

 ——いる!

 ぞわりと野人の皮膚が粟立った。

 かっと目が開く。

 その銀の瞳は、夜光花など凌駕する光でもって輝いていた。

 すべての細胞がつがいに反応している。奥の――岩山。

「ユミ、ユーフェミア!」

 ゼライドは怒鳴った。

「ユミ! 俺はここだ!」


 わんわんわんわん


 全方向から反響が返る。

 ドームの直径はどのくらいあるのか見当もつかない。そして、敵はどのくらい残っているのだろう。呼びかけに返事はなかった。

 野人の視力は鋭い。だが奥の山の付近を見つめても人影はどこにもなかった。だが、これは間違いなくユーフェミアの気配。

 この近くにいることがわかるのに、姿がないのはもしかすると、どこかに閉じ込められているのかも知れない。

 ならば、あの山しかない。他には人間に隠れられるような場所はないのだ。

 ゼライドは疑似森海の中を走った。

 途端にどんどんと撃ちかけられ、下草が舞い散る。

 ——ちっ! 余計なものが出やがった。

 複数の足音が茂みの奥でする。相当慌てているようだ。落とした声で指示を出しているが野人の耳には筒抜けである。どうやら挟み撃ちにする様子だ。

 二か所からの銃撃に備えて走る。敵も移動しているのだろう。このどん詰まりで、おそらくそれが最後の射手だと思われた。

 ゼライドは茂みの中に身を隠しながら、残りの弾丸を数えた、そう多くはない。

 無駄弾はもう撃てない。先ずは正確に索敵をする事だ。できすぎた荒野の箱庭ジオラマのお蔭で、身を隠せる場所には不自由しない。だがもうすぐ近くだ。

 ゼライドは身を低くしながら再びじりじりと移動を開始した。さっきシャンクにやられた肩の傷からは、まだ血が流れ続けている。

 ――と、

 不意に頭の上に巨大な影が走った。

「何⁉︎」

 危険を感じたゼライドの体は脊髄反射で横の茂みに転がる。

 たった今まで立っていた、まさにその場所に、長い爪をもつ後ろ足がどたりと落ちてきた。最凶の野獣、ビジュールである。若い大きな雄であった。彼は優美な首を傾げて地面を伺う。

ゼライドの潜んでいるところから、手を伸ばせばすぐに届くところに凶獣の肩が見える。

 ——ビジュールまで飼ってやがるのか⁉︎

「はははは! 薄汚い野人の君! せっかくここまで来てくれたのだから、君には最高の舞台を用意しましたよ。君には僕のコレクションの被写体となって貰います。最新鋭の小型カメラが君の動きを追っていますぞ!」

 上から降ってきた声。マイクを通しても耳障りな、上品すぎる発音のそれは――。

「畜生! ハイドン、てめぇ、ユミはどこだ!」

「ユミ? 私の大切な被写体に安っぽい仇名をつけないでもらいたいですね。この子はここにいます。すこぅしお眠のようだから、あまり騒ぎ立てないように願いますよ」

 ゼライドの絶叫をせせら笑う声の主。

「貴様! ユミに何をした? あいつに何かしたらお前の(はらわた)を全部食ってやる!」

「おやおや、威勢のいい啖呵だが、野人はやっぱり品がないですね。私の腸を貪り喰う前に、ビジュールに頭から喰われるか、銃器の餌食になるかどっちが痛くないか考えたらどうです? もう弾はほとんど無いのでしょう? なんならご提供いたしましょうか?」

 ハイドンにはわかっているようだった。おそらく館での戦いをどこかで見ていたのだろう。

 ここからの闘いは効率を考えないといけない。ゼライドはあえて無防備に涎を垂らす獣の真下に出た。美しくも毒々しい鱗に覆われたビジュールは、足元に現れた獲物に不思議そうに細い首を反らしてから、猛然と襲いかかった。

 ゼライドは垂直に飛び上がり、空中で体を捻って、ビジュールの胴体にしがみついた。

 ビジュールの弱点は背中なのだ。案の定ビジュールは彼の重みと嵩を嫌がって、短い前足を無茶苦茶に振るう。しがみ付いている脛に幾筋も裂傷が走ったが、長靴につけた金属のレガースのお蔭で大したものにはならなかった。ビジュールに対してこの戦法が有効なのは、前回で立証済みである。

 ——奴ら撃ってきやがらねぇな。俺がこいつとやり合っている様を高みの見物ってわけか。

 ゼライドは両手足で獣の首を絞めつかながら、視線はぬかりなくドーム中を見渡している。獣はしばらく暴れていたが、ビジュールは前足では彼を振るい落とせないと知るや、身を沈めて次の瞬間高く跳んだ。

 ゼライドを背にしたままの素晴らしい跳躍である。

 獣は自分に一番適した樹木の密集地へと跳んだ。枝から枝へ飛び移って、ゼライドを振り落とそうというのだろう。

 横揺れに上下動まで加わって、ゼライドは振り落とされないように必死にしがみついたが、それでも激しい獣の動きのお蔭で、樹木の狭間に潜んでいる敵がちらりと見えた。やはり二人である。

 ——よし、これでなんとかなる。

 ゼライドはビジュールの首を締め上げて、方向を固定した。この獣は視界の真正面に跳ぶ習性があるので、ガッチリと首を固定し、疑似森海の奥へ進む。

 ——いいぞ! あっちだ!

 声を出さない獣は、なかなか振り落せないゼライドにいらだち、思考能力が鈍ってきたらしい、もはや自分が何で暴れているのか忘れたように、少しずつゼライドの誘導する方向へ、跳躍を繰り返す。

「うわわわわわ!」

 大型の銃を構えたガーディアンは、突然茂った葉を突き破って現れた、怒り狂ったビジュールに腰を抜かした。

 さすがに引き金に指をかけたままだったので、反射でどんどんと撃ちかける。それらはいくつかビジュールの胴に命中したようだが、鈍感な爬虫類の爪のほうが、俊敏かつ強力だった。

「――っ!」

 長い口が獲物の急所に食らいつく、人間の喉笛を折る事なぞ、この獣にとっては何ほどのこともないだろう。

 ゼライドは完全に息の根が止まったガーディアンをビジュールが貪り喰っている内に、もう一人の男を視認した。彼は同胞の手足が食いちぎられていくのを呆然と見つめている。そこへゼライドは獣の背中越しに発砲した。

 外したのはわざとである。

 こめかみを掠めた銃弾に我に返ったガーディアンは、慌てて銃を構え直すと、朋輩を貪っている大きな的に向かって連射した。至近距離である。

 全弾を顔と腹に喰らった獣が人間の足を加えたまま、樹木から落下してゆく。

 ゼライドはすかさず、別の木に跳び移り、気づかれないように樹木を伝って撃手の後ろに回り込んだ。


 びしゃり


 嫌な音がしてビジュールは地面に叩きつけられた。

 しぶとい獣はまだひくひくと動いているが、最早立ち上がれはしない。血はさほど出ていない。ガーディアンが自分が撃った獣に気を取られ、下方を覗き込む背後に野人は忍び寄った。

「面白ぇか? ……確かにいい見世物だな」

「……!」

 がくがくと振り返ったガーディアンの目に恐怖が張り付いている。野人に背後を取られたのだ。まだ若い男。いくら装備が良くても経験の無さは歴然だった。

「助けてやる」

 顔中から汗を噴き出した男にゼライドは囁く。

「あいつはどこだ……?」

「……ひぃ」

「本当だ、助けてやる……お前は俺にやられたふりをして、樹上で気を失っていろ。ただその前にあいつらの居場所を言え。このドームのどこにいる?」

 その声は深く低く、いっそ優しげに青年には聞こえた。

「い、い、一番高い岩山……あの中がコントロールルームになって……そこに(ハイドン)と娘が……ぐぅっ」

 そこまでいって若いガーディアンは気を失った。ゼライドの手刀が、頸椎に入ったのである。

「嘘はつかなかったろ? ちゃんと気絶させてやったんだから」

 ゼライドは目の前に威容を見せる岩山を振り仰いだ。高さはどのくらいあるのだろうか。

 背後の空はいよいよ茜色を深くし、岩肌を赤く染めている。

 そこが最後の戦場だった。




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