56.死闘 1
黒い男は右目だけが異様に輝いてゼライドを見ている。
「お前……お前は知っているぞ」
ゼライドは怒りを抑えた声で言った。
「だろうな。私もお前を知っている。……よく……な」
「……野人だったのか」
ゼライドの言葉にバルハルト――シャンクは薄く微笑んだ。
「半分だけだがな」
「半分?」
「そうだ」
野人と人間の間の交配は可能である。子どものできる可能性は低いがゼロではない。だが、できた子供はほぼ100%の確率で野人なのだ。ハーフということはない。それはよく知られている事実である。
「この目を見てわからんか? 私は身体能力はお前たちとほぼ同じだが、外見はこの通り、右目を除いて完全に人間だ。だから、これまでずっと人間たちの間で暮らしてきた。この体の中に流れる野人の血を呪いながら」
確かにシャンクの外見はほっそりと、人間の成人男子としても決して大きな部類ではない。犬歯も、野人のように尖ってはいず、昼間の光の元で見れば穏やかな紳士だった――筈だ。
「野人でありながら野人を呪うか」
「母は人間だった。だが、父のつがいではなかった。人間と変わらぬ私を生んだことで、野人である父から捨てられ、人間社会に戻ることもできず、母は自ら命を絶った。五十年も前の事だが!」
言い終わらぬうちにシャンクはゼライドに向かって大きく跳んだ。その手から異様に曲がった武器が放たれる。そのうちの一つがゼライドの肩を切り裂き、鋭いアールを描いて主のもとに返った。
「くあ!」
「っくくく……そこは前にビジュールの爪に懸った所だったな……モニターで見ていたが、アレはなかなか楽しい見世物だった。ムラカミの脚本だったがな」
傷は表面こそ塞がってはいるが、まだ完全に癒えたわけではない。薄い刃物は以前受けた傷を正確になぞり、塞がった傷口がぱっくりと開く。腕を伝って指先から血が滴った。
「……っ、てめぇ」
「その刃は、手術刀の刃を加工したものなんだ。私は生物学者で医師の資格も持っているからね。メスの扱いならならお手の物さ。刃は小さいが、切れ味はナイフの比じゃない。とても効くだろう?」
シャンクはピンと立てた長い指で三日月型の刃を回しながら言った。冷たい光が瞬く。
「マヌエルを殺したのはお前か」
「勿論そうだ。ハイドンはお前を咎人に仕立て上げ、嬲り殺しのムービーを刑務所内で撮る予定だったが、それでは私が面白くない。なのでムラカミの企みを見逃してやった。ハイドンは怒り狂っていたようだが、お前は出られてよかったろう?」
「……っ!」
ぎり、とゼライドは唇をかみしめた。
「それにしたってお前たちは馬鹿だったな。何度もお前たちを狙っているのは私だと、ヒントをくれてやったのに。あのバカな女は聞きもしない。貴重なチュードの卵まで使ったのにさっぱり気がつかないから、こっちは退屈で死にそうだった」
「……なんで、俺たちを狙った?」
「一つにはお前と同じように契約だったから」
「依頼人はこの屋敷の主か?」
「そう。もう一つには、お前を瀬戸際まで追い詰めてからやり合いたかったから、こんな風に!」
シャンクの合図とともに周り中から弾丸の雨が降り注いだ。
「……!」
「人間と共闘するのは本意ではないが、私は身体能力では君には少し劣るから、殺しはしないけれども少し消耗してもらうよ。そら、逃げろ逃げろ。ハハハ!」
ゼライドが後ろへ飛び退くが、後から後から弾丸は降ってくる。キャットウォークには少なくとも三人の狙撃手がいるようだった。床を転がり壁を蹴ってゼライドは弾から逃れる。その隙にもシャンクの異様な武器が襲いかかってくるのだ。ゼライドは逃れるだけで攻撃の糸口すら見つけられない。だが、新たに傷も負わなかった。シャンクは眉をひそめて指に回収した刃を立てた。
「ふん……さすがに自慢の脚力だけのことはある。だがいつまで続くかな?」
シャンクが体を捻り、二枚に増やした刃を投げた。ゼライドは一つを逃れ、一つを銃身で叩き落とした。その周りに又しても鉄の雨が降り注ぎ、床や壁の砕かれる音が断続的に響いた。ゼライドは奥の廊下へ逃れようとするが、それすら弾の壁に阻まれ後退せざるを得ない。
「く……進めねぇ」
じりじりと焦燥が募ってくる。
「くそっおおおお!」
——ユミ!
ゼライドが吠えた時――
すさまじい破壊音と共に天窓が突き破られた。
「うあ!」
「なに⁉︎」
天窓を蹴破り、きらきらと降り注ぐ大量のガラス片と共に、原型を留めないホールに突っ込んできたのは、五人の男たちだった。
「おお! なんというグーッドタイミング! さすが俺!」
「ヴァルカン! 遅ぇ!」
ゼライドは怒鳴った。
「何言ってやがる。ションベンする間もなしに急いで来たってのにそのセリフかよ!」
ヴァルカンが吠えた。後はリュースとレオ、そして初めて見る男も二人続く。
「加勢する! 俺はマイティ」
「俺はルードだ。ヴァルカンには借りがあってな」
男たちは笑った。
「頼もしいだろう? ここは俺たちが抑えてやるから、手前はとっととつがいの元に行きやがれ! たっぷり恩に着ろよ」
「屋敷内に停まっていたトラックの中にものすごい量のナイツがあったぞ! そして、庭には乾燥させた夜光花の実を山と積んだ倉庫もな!」
リュースが長い鞭を鳴らして跳んだ。
「さぁ、行けよ! お前のつがいのために走れ!」
レオも二丁拳銃を同時にぶっ放す。
野人たちは、それぞれ得物を携えて、見定めた方向へ突進していった。たちまち乱戦が始まり、辺りにもうもうと埃が立ち昇った。埃の中からいくつも悲鳴が聞こえる。
「おおっと、待て待て!」
「……どけ」
ゼライドを追おうとしたシャンクの前に他でもない、ヴァルカンが立ちふさがった。
「お前の相手は俺がしてやるよ。……ちっと役不足かもしんねぇけど」
「……っ!」
初めて苛立ちを見せたシャンクの指から刃が放たれる。
「行けよ!」
ヴァルカンはちらりとゼライドを見て笑った。ほかの野人達もそれぞれ彼に流し目をくれ、目の前の敵へ突っ込んでいく。
ゼライドは同胞たちの思いを受け止め、廊下を走った。
奥へと伸びた長い廊下。両側に無数の扉がある。
さらに走ると、今度は別の狙撃手が向こうの扉の陰から狙ってきた。別の扉を開け楯にする。銃撃が止んだ隙に体ごと飛び込み、扉と敵を吹っ飛ばした。上等な木製の扉もこうなるとただの板切れである。
それからも、いくつかの防御システムや敵が立ち塞がったが、ゼライドは前に進むことしか頭になかった。
奥へ進むにしたがって、優雅で古典的な佇まいが無機質なものへと変わってゆく。どこかのセンサーが働いたのか、上下から防護壁が行く手を阻んだ。構わず突っ込む。背後で重い音を立てて壁が閉じられた。
最奥に丸い巨大な扉が見えた。
彼の細胞の全てが感知する。
つがいはこの奥だと――。
——あと少し。この先にユミがいる!
ゼライドは長い廊下をひたすらに駆けた。




