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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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55.奇襲 3

 ゼライドたちが侵入する少し前のこと。ハイドンの屋敷の奥深く。

 

「ジッグラト、あなたはヘマをしましたよ」

 バルハルトは、敷物の上にぐったりと身を横たえたユーフェミアを見下ろしながら言った。

「大きな車だから気が付かなかったのでしょうが、つけられていたようです。それも二組の敵に。すでにこの場所は彼らに感づかれているでしょう」

「ああ、かもしれないね? でも、どうでもいいよ。私に何かあるとは思えない」

 ハイドンは無関心である。

「そうですかね。あのガーディアンたちはサイオンジの手の者でしたがね」

「奴らに何ができるものか。この屋敷には入れないし、犬のように嗅ぎまわるのがせいぜいだろう。サイオンジもようやくこの屋敷が私の持ち物だと見当をつけたんだろうね。殺したのかね?」

「まだ息はあったようですが」

「もうひと組は?」

「ひと組というか、野人の子どもが一匹でした」

「野人の仔だって? それはいい! 引き裂いて獣の餌にするかな」

 ハイドンは壁に並べられた最新機器に目をやった。

「適当に斬って森の中にうっちゃっておきましたよ。センサーや防御システムはガーディアンたちに壊されていましたが。それにしても、最近どうもおかしいと思ったら、とっくに怪しまれていたという訳ですね。サイオンジは馬鹿じゃない。あなたはこのところ地位を嵩に着て、やりたい放題だったから」

「まぁ、この屋敷が使えなくなるのは少しは痛いね。かなりうまく隠しておいたんだが、そろそろ潮時かな。まぁ、いつでも別の場所に移行できるがね。しかし、いかなサイオンジでも私に手出しはできない。あの女から市長の座を奪えばただの優良市民だ。なんの力もない。私は警察にも研究所にもどれだけの金をばらまいていると思っている」

「今まではね。だが、野人に買収は通じない。今頃、あの奴がこちらに向かっているでしょうよ。メツブシマメの匂いが漂っていたから。今頃はここの壁に取りついているかもしれない」

「……殺せ。嬲り殺しにしろ。無論高精度に映像を撮りつつな」

 ハイドンは心なしか、そわそわしたように言った。

「言われずとも。私は()れたらそれでいいのだ。……あのシルバーグレイを」

「ゼル⁉︎」

 その名を聞いた途端、気を失ったように目を閉じていたユーフェミアが顔を上げた。あれからまた意識が朦朧としてしまったのだ。

「……バルハルト室長……」

 信頼する上司の出現に、一瞬ユーフェミアの目が期待に見開かれたが、自分を冷たく見下ろす淡い目に、出かかった言葉は霧散した。気を失う直前に現れた彼は、見たこともないような冷たい目でユーフェミアを見下ろしたのだ。

「気が付いたようだね、ミア。そう、私だよ」

 常に白衣を着た穏やかな上司は、すっかり様子が違っていた。黒づくめの服装、濃いグラス。聞き慣れた声がなければ、彼だと気付かないほどバルハルトの様子は変貌している。ユーフェミアですら、その声がなければ同じ人物だと思えない、思いたくない。

「室長……でもなぜ? あなたがこんな……こんな酷いこと」

「室長か、その隠れ蓑は長く保ったけどもね。結構気に入っていたのだけれど。もうダメだね……残念だよ」

「また新しい隠れ蓑を与えてやる。だから、シャンク、お前は野人どもを抑えろ。あいつらをすべて殺してしまったら明らかな証拠は消え去る。後はなんとでもなる。それだけの力は蓄えてきたからな」

「シャンクですって⁉︎ 室長……あなたがシャンク……なの? まさか」

 翠の瞳が驚愕で見開かれる。その顔は信じられないという風にゆるゆると振られた。シャンクはゾクやゴクソツを束ねる恐るべき男として、もそもの初めから浮かび上がって来た名である。その恐ろしい犯罪者と自分は、毎日顔をつき合わせて仕事をしてきたのだ。信頼できる、優しい上司として。

「嘘……」

「数ある呼び名の一つだけれど、そうだよ。私がシャンクだ」

 シャンクは無感動に言った。濃いグラスの奥で彼はどんな顔をしているのだろうか。

「あ……あ……あなたがゼルに殺人の濡れ衣を……」

 思いが溢れすぎて言葉に詰まる。バルハルトがじっとユーフェミアを見据えた。薄い唇が酷薄そうに歪む。

「ああ、アレは失敗だった。長い間女を抱かないものだから、見当をつけそこなったね」

「……卑怯な……あなたを信じていたのに……」

「で、あなたはこの女をこれからどうするんです?」

 ユーフェミアには答えないで、バルハルトはハイドンに向いた。

「この娘が私の言いなりになるまで、好きにさせてもらう。やり方はいくらでもある」

「相変わらずの変態ぶりですね。まぁいいでしょう、お好きに」

 バルハルト――シャンクはゆっくりと辺りを見渡した。

「ここは戦うのに適した場所ではない。適当な場所を選んでゆっくり奴が来るのを待ちましょう」

 シャンクは薄く笑って背を向ける。その背中もすでにユーフェミアの見知った温厚な研究者のそれではない。ゼライドが時折見せる、戦いに臨む男のものであった。

「待って! 待ってください! バルハルト室長!」

「……何かな?」

 振り返ったシャンクは、這いつくばっていたユーフェミアが、何とかして立ち上がろうとするのを面白そうに眺めた。背後の巨大なモニターのお蔭で、彼女の顔はすっかり陰になっているが、シャンクの目にはその必死の様子がよく分かる。モニターにはもう幾度繰り返したか分からない、ユーフェミアの襲われる場面が又しても映し出されていた。

 彼はす、と胸に手をやると、懐から短い棒のようなものを取り出し、ユーフェミアに向けた。

 ひ、と首を竦めたユーフェミアの耳元を、何か黒いものが通過した直後、がしんと言う嫌な音が室内の澱んだ空気を揺るがした。

「きゃあああ!」

 妙な形の鉄の棒が、背後の大きなモニターに突き刺さっている。

「何をする!」

 ハイドンが喚いた。

「どうせ、すぐに奴らが来ますよ。そんなもの見ている暇はもうないでしょ?」

 扉の向こうで大勢の足音が響く。扉はロックしてあった筈だが、緊急解除したのか武装した警備員が三人なだれ込んできた。ロマネスクシティでのハイドンの私設ガード達である。

「会長! 御無事で⁉︎」

 リーダーの男が銃口をシャンクに据えて叫んだ。その隙に残りの二人がハイドンの前に立ちふさがる。

「この男は屋敷に入れてよいとの許可があったので、通したのですが」

「なんでもない、少しトラブルがあっただけだ」

「危険です。この男を退去させるべきです」

 リーダーが凄みをきかせた目で睨みつけるのを、シャンクはそよ風のように受け流した。

「お前たちはこれから、この男と共に野人を迎撃しなさい」

「野人⁉︎」

「野人供がここへ?」

 ガード達がさざめく。

「そうだ。私のことを恨んでいる野人たちがこちらに向かっていると、この男から連絡があった。私はこの娘と共に奥に避難する。二人ついて来い。それ以外はこの男……シャンクと協力して野人共を一人残らず掃討するように。殺しても構わない。寧ろ殺害しなさい、映像記録を取るから、彼らが危険な侵入者だという動かぬ証拠になる」

 殺害という言葉にガード達にさっと緊張が走ったが、リーダーの指示で、ばたばたと部屋を出ていく。残りの部下たちに指示を与えに行くのだろう。その背中にユーフェミアの叫びが被った。

「やめて! そんな事許されないわ! ゼル!」

「許されるとも、これはれっきとした正当防衛だ。でも、まだそんなに叫ぶ元気があったのですね。さすがというか、しぶといというか。暴れられても面倒だ。すぐに大人しくさせてあげましょう……最高級のナイツでね」

「ナイツですって⁉︎」

「ええ、極上の夢を見せてあげましょうね」

「あ……あなたがゴシック・シティのナイツ禍の元凶だったのね!」

「いやいやいや、元凶を名乗るほど(おご)ってはいませんよ。元凶は麻薬に頼る人間の弱さだ。私はきっかけを与えるだけ。麻薬などに頼る屑を煽って燃やしてしまってから、私はこの世界の王になる。ゴシック・シティの市長の座など、ただの布石に過ぎない」

「自分で種をまいておきながら救世主を気取るっていうのね! 悪魔!」

「ああ、その目! 怒りに震えるその目を待っていましたよ。ナイツなんかで曇らせるには大変惜しい。でも仕方がない。実の妹がナイツ中毒患者だと公表して、サイオンジを引き摺り下ろすまではね。しばらくの辛抱ですから。さぁ、もう行きましょう」

「いやぁっ! 放して! ゼル、ゼル~ッ!」

 引きずられてゆくユーフェミアをシャンクは黙って見送った。

「人間なんかと共闘するのは趣味ではないが……今は仕様がないか……」

 片手で濃い眼鏡(グラス)を投げ捨てる。

 その右目が冷たい炎のように輝いた。

「来い。シルバーグレイ……お前を殺してやる」

 

 ——もうすぐ森が切れる。後百メル……抜ける!

 辺りは急に美しく整備された庭園のようなプロムナードとなった。

 藍色の空の下、優美な街灯や、手の込んだ刈り方をされた樹木が様子よく並んでいる。しかし、ここはもうハイドンの私有地なのだ。

 ゼライドが花の咲き乱れる小さな広場に出た途端、穏やかな晩夏の宵を切り裂いて鼓膜に響くものがあった

 銃声!

 まだ建物が見えない距離だが、普通の人間ならば気付くことはない微かな物音は、ゼライドの耳に鋭くに響いた。

 ——北の方向……屋内だな! ――ユミ!

 最早センサーなど気にしている余裕はない。ゼライドは目前に迫った白い壁に向かって駆ける。個人の別荘と言うにはあまりに高い壁である。建物は斜面に沿って奥に行くほど高い構造になっており、一番向こうでは半円形のドームが岩山に嵌まり込む形になっている。温室でもあるのだろうか。先ずはこの城壁を超えなくてはならない。

 ゼライドは走りながら距離を目測した。

 と――

 足元でパチパチと乾いた音が鳴る。狙撃されたのだ。もう少しゆっくり走っていたら確実に足を撃たれていた。こんな時に空中に逃れるのは禁物だ。空中では方向転換ができないので的になりやすいからである。ゼライドはぐんと腕を伸ばして、前方の樹木にワイヤーを打ち込み、そこを支点に真横に飛んだ。ほぼ直角の方向転換である。たった今まで自分がいた敷石にパラパラと穴が開いた。

 ——そっちか!

 狙撃は上方から狙うのがセオリーだ。

 ゼライドの広い視界に、壁に設けられた塔が見えた。通常ならば、屋敷を美しく見せる装飾用の塔である。それは屋敷の正門を挟んで二つあり、一番上は四本の柱と尖った屋根を持つ櫓になっている。どちらにも狙撃主が陣取っているだろう。上から狙い撃ちされているのでは、いつまで経っても屋敷に侵入できない。

 ——先ずはこっちから黙って貰う――。

 ゼライドは危険を冒して、左の塔の真下に回り込んだ。壁を背にしていれば、右からは狙われにくいが、真上からは狙い撃ちである。しかし、ゼライドは塔の屋根に向かってワイヤーを発射すると強力な収縮力を利用し、垂直の壁を蹴りながらジグザグに塔を昇った。弾丸が掠めた髪がちぎれ、コートの裾にも何発か食らったが、敵はゼライドの思いがけない動きにかなり動揺しているらしく、直撃は貰っていない。

 二十メルほどある高さの塔の櫓の下まであっという間に昇り、最後の一蹴りで中に飛び込むと、物見には二人の男がいた。驚愕して後ずさった前の男の顔面に両足から突っ込んだ。男の腕から銃が吹っ飛んで、地面に落ちていく。男はそのまま塔の外に落ちた。

「う……うわぁ!」

 もう一人の男は口を開けたまま、体勢を立て直したゼライドの拳を鼻に受け、軟骨と前歯を折って狭い塔の床に倒れた。鼻血がどくどくと床を汚している。この街のガーディアンに似た装備を身に着けているがまだ若い。あまりの力の差に戦意喪失は明らかだ。

 ザシッ! ザシッ!

 背後の柱に弾丸が次々に突き刺さる。向かいの塔から放たれたものだ。ゼライドは倒れている若い男の首を掴むと、それを高々と掲げてずいと前に出た。さすがに仲間を盾にされて、向かいの狙撃者は躊躇ったのか、一瞬狙撃が止んだ。その隙を狙ってゼライドが掴んだ男の脇からぶっ放す。

 数発は打ったがどれか当ったようだ。遠目にも大きな血飛沫が上がるのが見えた。口径が大きな銃ではないが、当たり所によっては、致命傷になるだろう。だが、それに構っている余裕はなかった。こちらの塔と同様、最低二人はいるはずだが、もう撃ってはこなかった。この調子だと、無数のガードが屋敷にいるとは考えにくい。これはゼライドにとっては僥倖だった。いかな野人とて、超人ではないからだ。おそらくこれほど早く、反撃に合うとは思わなかったのかもしれない。

「……っ!」

 ゼライドは櫓から跳んだ。

一旦壁に降り、葉の茂った灌木の影に着地する。既に陽の名残りすらない庭園にカッと、投光器の光が満ちた。まるで映画スターのように、双方向からライトがゼライドを照らし出す。間髪を入れず、銃弾が降り注いだ。ゼライドは柔らかな芝の上に転がって逃れる。逃れながら、強い光に向かって撃つ。目を閉じていても外しようがない。ガシャンガシャンという音と共に辺りは再び闇に戻った。

 こうなれば夜目の効く野人には有利である。無論、敵も精鋭で暗視スコープくらいは装備しているだろうが、闇を見透かす野人の目にはかなわないだろう。彼らの目には色がつかないだけで、暗がりに沈む細かい部分まで手に取るようにわかる。寧ろ余計な色のない分、感覚が鋭敏になるのかもしれなかった。

 敵がひるんでいる間に建物の庇の下に入ることに成功したゼライドは、躊躇せずに扉の上にある、大きなステンドグラスをぶち破り、ガラスが滝のように降り注ぐ中、屋内に侵入した。

 そこは広い部屋だった。中央に大きなテーブル。具合良く置かれた様子のいい数々の椅子。壁際にもたくさんの調度がおいてある。おそらく、ガーデンパーティなどに利用する広間なのだろう。ガガガと打ち掛かれるのに応戦しながら、ゼライドはすかさずテーブルを引き倒し、柱の影に即席のバリケードを作った。よほどいい材木を使っているのだろう。かなり重かったが、大きくて頑丈でいい遮蔽物になる。敵が何人くらいいるのか見当もつかないが、一人ひとり仕留めていくしか方法がない。

 その間にもドカドカと打ち込まれ、上等の家具が台無しになってゆく。少なくとも二方向から撃たれている。ゼライドが上を見ると、大きなシャンデリアが天井から下がっているのが見えた。余裕でその鎖を狙う。

 鋭い金属音が部屋に響いたかと思うと、涼しげなクリスタルの囁きと共に巨大な塊が落下する。右手の敵の真上のあたりである。ガラスの砕ける音と叫び声が上がったのはその直後だった。その音もやまぬ中、ナイフ抜いて左に飛び出し、集中を切らせた二人の男たちの腕を攻撃する。上腕に斬りつけ、あっと傷口を抑える掌から指を落とす。ギャッという苦鳴が足元に転がった。もう戦えないだろう。最後の一人が仲間に応戦を求めに行こうとする足を撃ち抜く。暗闇に血の臭いが広がった。

 観音開きの扉を押して廊下に出ると、シャンデリアの落ちた音によほど驚いたのだろうか、廊下には誰もいなかった。

 ——奥だ、奥に進むんだ

 屋敷の構造からして、まだまだ奥に広い空間がある。後は突き進むだけだ。少し走ると再びやや広い空間に出た。どうやらここが屋敷の中央ホールのようだ。天井の中央に丸い天窓、そこに至るまでに壁に沿って螺旋状のキャットウォークが見えた。

 「うわっ!」

 ダダダダダ!

 装飾用の華奢な手すりから一斉に放たれた。目隠しが施してあったのだ。とっさにワイヤーで垂直に逃げなければ蜂の巣になっていたところだった。

 ——拙い! 隠れる場所がねぇ。

 しかし、ゼライドが奥へ続く廊下を背にしたところに降り立っても、とどめの銃弾は降り注いではこなかった。

 ——なんだ?

 ホールの中央に黒い影が立っている。それほど大きくはないが、その目――右の瞳が冷たい光を放って銀色に輝いていた。


 野人だった。




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