53.奇襲 1
「ひさりぶりだな、ゼライド」
「できれば会いたくなかったがな」
「ずいぶんな態度だな、おい」
ロマネスク・シティの下町。
雨上がりの光が射しはじめる時刻である。
ゼライドは廃ビルの裏の空き地に溜まった水たまりに、その長身を映しながら佇立していた。
そして、低いビルが連なる路地裏から、忽然と湧くように現れた影がよっつ。
全て―野人だった。三人の男と一人の女。
小山のような大男、背の高い痩せた男、そしてゼライドより若そうな金髪の美しい男である。女は全身を黒い衣で覆っていた。まだ日が昇りきらぬ早朝に、彼らの双眸は淡く輝いていた。
「伝えた条件で索敵できたか? ヴァルカン」
ゼライドは大男に向かって尋ねた。
「まぁな」
若い同胞の短すぎる言葉に怒った風もなく、ヴァルカン・アシンメトリーは応えた。その名が示すように、左右で瞳の色が違う。また、左の眉尻は二つに分かれてまるで蛇の舌のようだ。だが、その持ち主は赤牛のような大男である。彼は背後の黒い女に顎をしゃくった。
「ミゼル、お前の情報網を見せてやれ」
ミゼルと呼ばれた女も野人で、体格はさほどでもないが異様に痩せており、美しいが狭隘な顔つきをしていた。
「今日、この町にやってきたヘリは二台だけ。一台はかなり大型で、朝早くシュパイアー・ビルの屋上に着陸した。これには民間人数名が乗り込んでいたのを確認済みだ。もう一台は二人乗りの小型のもの。これは昼前に町の北の方へ飛んで行ったが、着陸点は分からない」
ミゼルは感情のこもらない声で説明した。大型のヘリはおそらくユーフェミア達が乗り込んでいたゴシック・シテイのものだろう。
「街の北には私たちは入れない。そこは重要人物たちの別荘地で、普段からガードが厳しい。ヘリはそのどこかに着地したと思われる」
——ハイドンだ!
ゼライドの銀髪がぶわりと逆立った。
「まだ先がある」
思わず駆け出しそうになった男を冷ややかに見ながら、ミゼルは続けた。
「けど、聞く気がないのなら、あたしは去る」
「……言え」
木で鼻を括ったような女の態度に、さしものゼライドも踏み止まざるを得ない。
「そのヘリの着陸点は知らないが、直後に別荘地から出てきた車がシュパイア―ビルに入った。あのビルの周辺はあたしのシマなんだ。胡散臭いことには常に気を付けている。無論車の中はシールドで見えない。だが、妙な気配があったんで、あたしは子ども達に、その車には注意するように言って同時にビルの周辺を張らせた。ヴァルカンから連絡が来る前の話だ」
「良い勘だな」
痩せた男が言った。
「ミゼルはこの街の親なしの野人の餓鬼を世話してんだよ。見上げた奴だろ?」
ヴァルカンが横やりを入れたが、ミゼルはそちらをちらりとも見ようとはしなかった。
「妙な気配とは?」
ゼライドが尋ねた。
「シュパイア―ビルはテレビ局が入っていて、普段から人や車の出入りの非常に多い建物だ。それに紛れて、怪しい奴らも当然出入りする。全部のチェックは難しい……だがその車からは、明らかに強いナイツの匂いがした」
「ナイツだと……?」
「そうだ」
ミゼルはそういって端末をゼライドに差し出した。
その黒い車は非常な高級車で、見かけは不審なことなどなかった。この車になぜそれほど濃厚な<ナイツ>の気配があったのだろうか?
麻薬<ナイツ>には普通、人間が気が付くほどの強い臭気はない。市中に出回っているノーマルタイプならば、人間の纏う香水や整髪料、あるいは食物や汗、といった臭いに完全に紛れてしまう程度のものである。だが全く匂いがないわけではない。一か所に大量にあったり、希釈されていなかったりすると、嗅覚の鋭いものならば気がつく場合もある。そして、野人の嗅覚は人間の数倍はあるといわれているのだ。その方面での専門家、犬には遠く及ばないものの、人間よりもずっと鋭い。また、嗅覚に関しては、野人の子どものほうが大人より鋭いと言われている。生き残るのに必要な術だからだ。
「そうだ。ここには芸能関係者の出入りも多いから、時々ナイツをやってる奴はいる。だが、そんな軽い臭いじゃないと、アマンダが言ってた。アマンダはあたしの子ども達の中でも特に臭いに敏感だ。この車の中には純度の高いナイツがあるか、つい最近まであったんだ。間違いない」
「……」
「その車はそこに半日ほど留め置かれていた。シュパイア―ビルに出入りする人や車は多いし、今日は特に何かの催しがあったようで、お前のつがいや、そのハイドンとかいう男の確認まではできない。ただ、ずっと動きのなかった車が、雨が降る直前になって街の北へと帰って行った。交代で見張っていた子どもが映像をよこした。あんたのつがいがその中に乗っていたかはわからない。あたしが調べられたのはここまでだ」
ミゼルはふいと後ろに下がり、崩れかけた壁が作る薄闇に溶けた。
「どうする? シルバーグレイ」
「行く」
痩せた男の問いにゼライドの応えは短い。だが、彼は難しい顔で言った。
「だがあの地区のガードはかなり厳しいぞ」
「リュースの言葉は正しい。公のガーディアン程ではないが、かなりの私兵がいる様子だ。ま、金持ち相手の傭兵だな。お前の相手はかなりの大物なんだろ?」
「関係ない」
「だが、正面突破では死ぬだけだ。奴らはマシンガンこそ持たないが、かなり性能のいい銃器で武装している。しかも、一つの屋敷に何人いるかわからない。考えて行動することだ。お前が本気でつがいを助け出したいのなら」
痩せた男――リュースは重々しく言った。
「――助けたい。この命に代えても」
銀色の男は低く吠えた。
「なら、決まった」
赤毛の男が頷く。後の二人の男も同様だ。
「命じろ、ゼライド」
ヴァルカンは大きな顔で笑った。ゼライドが顎を上げる。
「俺はつがいを救い出す。援護を頼む」
「引き受けた」
「承知」
野人の男たちが一斉に頷く。
「わはは! いいぞ! お前に恩を売っておくのは後々、具合がよさそうだからな。おい、リュース、レオ」
「……ふん」
「おう」
痩せた男と金髪の若者が応じた。いずれもロマネスクシティに住まう野人達である。
「レオ、お前はあと一人二人、人数を集めろ、リュースは武器。俺は北地区の警備体制を調べる。ゼライド、お前は俺と共に来い。くれぐれも軽挙は禁物だぞ」
土地勘のあるヴァルカンが次々に指示を出した。
「……わかってる」
「ミゼルはもう少し情報を集めてくれ。別荘地の住人は重要人物が多いから、基本的に住所などは公開していない。名義が別になっている場合も多い。だが、その車の行きつく先が分からないと話にならねぇ。探し回っている内に通報されるだろうからな。ガキ共は使えるか? 子供なら俺たちと違って、めだたねぇだろう?」
「……わかった」
ミゼルは渋々といった感じで頷いた。
「だが、危険だとわかった時点で引き返させる」
「ああ、いいぜ。子供はお前の命だからな。じゃあ、皆いいな? 連絡があり次第、ここに集まる。ここなら人目がないし、裏道を通れば町の北まで割と近いからな……そんな顔をするな。消耗するだけだぜ?」
ヴァルカンは眉間に危険な溝を刻んだゼライドに言った。本当は今すぐにでも突入したい欲求を、非常な努力で押さえつけているのだろう。無理矢理つがいと離された野人の雄ならば当然の反応だ。ましてや女は攫われているのだ、本当なら狂乱しながら暴走してもおかしくはない。
若いのに非常な自制心だ、とヴァルカンは思った。
だからこそ急がねばならない。
「行け!」
「おう!」
吠えるような声と共に、野人たちは四方へ散った。




