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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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49.明日への希望 3

「あなたが連絡を下さったユーフェミア・アシェインコートさんですね?」

 出迎えてくれた男性は、人の良さそうな微笑みを浮かべてユーフェミアとロナウドを招き入れた。歳の頃は四十過ぎと言うところか、髪には少し白いものが混じっているが、その笑顔は若々しく、眼鏡の奥の瞳は少年のような好奇心に満ちてユーフェミアを見つめている。

 彼の名はモーリス・ディレイ。

 長年夜光花の研究を続けていた植物学者で、去年無種子の株を生みだす事に成功し、一昨年論文を発表して学会を沸かせた。しかしその後急に職を辞し、現在は単なる在野の一研究者として、後進の育成に力を注いでいる。

 ユーフェミアが最も尊敬する、研究者の一人である。

「はい。無理を聞いて下さり、ありがとうございます」

 ユーフェミアは彼がロマネスク・シティ在住と知って、スクナネズミの実験に次いで、今回のロマネスク・シティ訪問の目的にしていたのだ。

 気持ちの良い居間に通され、勧められた椅子に落ち着く。ガーディアンは家の外に、無理やりついてきたロナウドは絶対に口を出さないと言う条件付きで、大人しく隣に収まっている。

「先生の論文は、モニターが焼き切れるほど目を通していたんですよ」

「……」

 ユーフェミアは正面に腰を下ろして、じっと自分を見つめるディレイに真摯な眼差しを向けた。ディレイは少し笑っているようだ。

 今の自分は実験着から着替え、きちんと髪を結って上品なスーツを纏い、すっきりしたグラスを掛けている。最近、庁舎に籠りがちで、服装もいい加減になっていたが、今日はかなり気合を入れてやって来たつもりなのだ。

なのに彼の茶色の瞳は、子どものように愉快そうな色を浮かべたままだ。ユーフェミアは少し不安になった。何かおかしいところがあるのだろうか?

 ——もしかしてスカートではなく、パンツスーツの方が頭良さそうに見えたかな。

「あの……なにか?」

「いやぁ、すみません。じっと見つめてしまって。いえ、端末で顔は存じ上げていたつもりだったんですが、こんなに若い方だとは思いもしなくて……失礼。それではあなたはスクナネズミと言う、げっ歯類を使って、ナイツ禍に対抗しようとしているんですね?」

「そうなんです。お昼にはこちらの試験農場で、かなり大規模な実験を致してきました」

「おお、それで?」

「大成功……だと言ってもよいと思います」

 ユーフェミアは午前中の実験成果を詳しくディレイに語って聞かせた。彼は目を輝かせてその成果に耳を傾けている。彼は時々質問を挟みながら、ユーフェミアの説明を聞いていた。

「素晴らしい……あなたは非常に優秀で積極的な研究者ですね? いや、頼もしい若い人たちだ」

「いやぁ、それほどでも〜」

「ありがとうございます。同じ研究畑の大先輩から、そういう風に言われて大変光栄です」

 ユーフェミアは、軽薄そうに相槌を打った青年を睨んで黙らせながら受けた。

「いや、僕は単に夜光花の研究だけしかしてこなかったから……こんな別の切り口からナイツに挑む研究者が出て来てくれた事がすごく嬉しいのです」

「……」

「そしてそれが、こんなに若くてきれいなお嬢さんだと言うんだから、ますます驚きだ」

「……え……いえ」

 ユーフェミアは真っ赤になった。外見に対するお世辞は聞き慣れているが、ディレイの言葉には男性特有のいやらしさが一切感じられず素直に受け止められたのだ。

「う……うれしいです!」

 そこへ急に扉が開き、大柄な女性が現れた。

 手には大きな盆を持っているが、目は鋭くユーフェミアに据えられている。彼女よりやや年上くらいだろうか? 目鼻立ちのはっきりしたきれいな女だった。だが、その眉間から左頬に掛けて大きな傷が走っている。隣のロナウドが少し身構えたほど、その雰囲気は居丈高だった。

「こ……こんにちは。お邪魔いたしております」

 ユーフェミアは自分に向けられた眼差しに驚いたが、礼儀正しく立って挨拶をした。しかし彼女は、ちょっと頷いただけで挨拶を返しもせず、がちゃがちゃと不器用そうに盆をテーブルの上に乗せただけで、言葉を掛けようとはしない。ディレイが見かねてその場をとりなすように言った。

「……妻のアーリリアです。すまないね、彼女は無口な性質たちなんで」

「え! 奥さまでいらっしゃいましたか。私はユーフェミア・アシェインコートと申します。ご主人と同じ植物学者です。今日は同じ分野を研究する後輩として、ディレイ博士のお話を伺いに来まし……」

 ユーフェミアの言葉はそこですぅっと消えてしまった。大柄な妻女が一人がけの椅子に腰かけているディレイの隣に割り込むと、いきなりその肩へ顔を埋めてしまったからである。

「わっ! アーリリア、これ! よしなさい、お客様が驚いていらっしゃる!」

 しかし、アーリアはがっちりと、自分より小さい夫をホールドして離さない。どうやら彼女は男性より力が強いらしく、ディレイはもがきながらもその腕を振りほどく事は出来なかった。彼女はディレイをその豊かな胸に押しつけて窒息状態にしながら、まだユーフェミアの事を敵意を持って睨みつけていた。

「ぷはぁっ! こら、アーリア! いい加減にしなさい! この方は僕個人に興味なんか持っていらっしゃらないよ」

 何とか妻の腕から逃れ、ゼェゼェと息をつく夫にアーリアは不承不承腕を解いた。ユーフェミアもロナウドも呆気に取られて固まったままだ。

「いや済まないね。彼女は……その……ちょっとヤキモチ妬きでね。めっ!」

 そう言いながらも、ディレイは満更でもないように少し伸び上がって、妻の額にコツンと自分の額をぶつけた。それは甘い夫婦の情景であったが、ユーフェミアはある事に気がついた。アーリアの顔が影になった瞬間、ほんの少し瞳が光ったのだ。

「あっ! あのっ! もしかして……奥さまは……野人でいらっしゃいます……か?」

「え⁉︎」

「なんだって⁉︎」

 驚いたのはロナウドとディレイだ。

「い、いえっ! その……私の知り合いにも野人の方がいるものだから……なんとなくそう思って……間違いだったら……」

 詮索が過ぎたかと、ユーフェミアの言葉はかき消えてしまった。アーリリアの目は一層鋭くなっている。

「えと……すみません」

「いや、間違いではないよ。アーリアは野人だ」

 ディレイは、ユーフェミアをじっと見つめて短く言った。ロナウドは珍しく顔を引き締めている。

「けど、どうして君は話かったのかな? 体格かい?」

「いえ……奥さまの瞳が陰になった時、一瞬光ったような気がしたので……私の知り合いの瞳も、暗がりではそれはきれいに輝くものだから……」

「ああ、そうか……それでわかってしまったのか。……で、あなたはその目を見て、怖いとは思わなかったの?」

「え? ちっとも。だって、彼はそりゃ、きれいで強くて……優しい人だから……」

 ユーフェミアは闇に光る銀色の瞳を思い浮かべた。そしてある事に思い至る。

「あの……あのもしかして博士は、アーリリアさんのつがい……なのですか?」

「そう……私たちはつがい、だよ。そんな言葉も知っているんだね」

 突拍子もないかと思った質問はあっさり肯定された。

「ご結婚は……されて?」

「ええ、その通り。私たちは婚姻している。幸いと言うか、アーリリアの両親は人間……ホモ・サピエンスなのだよ。つまり彼女はたまに出現する突然変異なのだね。だから、彼女には出生記録があるんだ……野人の中にはない人も多いが。私たちはつがいで夫婦だよ」

「……そうなんですか」

 野人とは、この世界に人間が来る以前に生きていた、この世界の種族、先住民の生き残りだと言う。

 彼等は、後からやって来た人間の繁殖力と科学力により、緩やかに衰退し、滅亡していったとこの世界の古い記録にある。しかし長い間、人間と複雑に混血つつもその遺伝子は消えることなく、細胞の奥で生き続け、時折思い出したように表出する。それが今では野人と言われている存在である。

 野人は見た目は殆ど人間と変わらないが、体格が大きく身体能力も高い。一番の特徴は闇の中で虹彩が光る事で、それによって人間と見分ける事ができるのだ。

 消え去ってしまったと思われた種が先祖がえりのような形で表出する。それが野人なのである。

「私の知り合いは、記録などはないと言っていましたけど……」

「ああ、じゃあその方は両親ともに野人だったんだろうね……野人はどう言う訳か、読み書きが苦手な人が多いから、なかなか記録がないんだ」

 そう言えば、ゼライドが文字を読んだり、キーを打ったりしている所を、ユーフェミアは殆ど見た事がない。しかし、無学と言う訳ではなく、自宅のセキュリティシステムは、自分で手を加えたとか言っていたような気がするから、できないと言うのではなく、必要じゃなければしないと言う事なのだろうか?

「彼等は基本的に、生き残るために必要なこと以外はあまり興味を示さない。彼等が執着するのは、生と……そして己のつがいだ」

「モーリ」

 アーリリアは良人をそう呼ぶと、ユーフェミアが見ているにも拘らず、ディレイの顎を捕えて熱烈な口づけを落とした。伊達男気取りのロナウドなどすでに霞んでいる。

 ——うはぁ……

「むぐ……アーリリア! お話し中だよ。ぜっかくお茶を持って来てくれたんだろう? 淹れてくれないか?」

「わかった……」

 夫の言葉に素直に従い、アーリリアはぎこちない手つきで茶を淹れ、ディレイに眼で促されて渋々といった調子で部屋を出ていった。

「重ね重ね申し訳なく。アーリリアはいい子なんだが、少しだけコミュニケーション能力が低い。私にとってはどうでもいい事なんだが、野人にはままあるようだけど」

「そうですか……」

「ところで、君はアーリアを幾つぐらいだと思いましたか?」

「え……二十五、六歳と言うところでしょうか?」

「君は?」

 ディレイはロナウドにも尋ねた。

「僕も……大体そのくらいかと」

「二十五、六……そうだね、見た目ならね。でも彼女は実際は四十を超えているんだ……私よりも少し年上なんだよ」

「ええっ!」

「まさか!」

 ユーフェミアは、たった今立ち去った美しい女を思い起こした。瑞々しい皮膚と、貼りのある体はどう見ても若い女のものだ。しかし、パルミラから以前聞いた野人の考察によると、彼等は人間より成長が遅いと言う話だった。あれは本当の事だったのか……。

「アーリアと知り合ってつがいになってから、私は専門分野だけでなく、野人の事も調べるようになった。興味があるかい?」

「はいっ! 是非お伺いしたいです」

「そうか……君の知り合いと言う野人は男性なんだね?」

「そうです」

「君たちはつがいなのかい?」

「え? ミア、それって……」

「違う! ロナウド。早合点しないで! ……ええ、本当に……違うと思うんです。そうであって欲しいとは思ってるけど、彼にとって私は、ただの仕事上の契約相手だと……嫌われてはないと思う……いますが」

 ユーフェミアの語尾は次第に小さくなった。

「……そうかい。野人と言うのはね、とっても純粋な種族なんだよ。データバンクにある事くらいはもう知ってるだろうから、繰り返しては言わないが、身体的特徴意外に、色々不思議な事があってね。まず成人してから、見た目の変化がゆっくりだ……まぁ、これは彼等が長命種だから仕方がないのだが、もっと不思議なのは精神の発達はもっとゆっくりだと言う事なんだ」

「やっぱり!」

「君も気づいていたかい? アーリリアと喋っていると、彼女がまだ少女じゃないかと思う事がよくある。以前は知的発達が少し遅れているのかと思ったんだが、意識して野人の人たちと接触を図る内に、彼らの精神は肉体よりも更にゆっくり発達すると言う事を私は確信するようになった」

「……」

 パルミラの感じていた通りである。彼女の考察は当っていたと言う事だ。

「この世界の人間の平均寿命がおよそ七十年。だからアーリアは、初老に近い生活年齢、成人女性の身体年齢、そして殆ど少女の精神年齢を持って生きている事になる。人間と比べたらの話だけど」

「……すごい……」

「だろう? それを人間社会に無理やり当てはめて生きていくんだから、そりゃ生きにくい筈だ。だから嘗て、野人絡みの犯罪が多かったのも頷ける話なんだ。迫害されて、人間社会で暮らすのを諦めた野人達は、『個』で生きるしかなかったんだね。それが一層人間の無理解を煽ったのは皮肉だが」

「確かに」

「彼等は生にどん欲だ。生き伸びるために、色んな感覚を常に研ぎ澄ませている。特に相手の感情や表情を読み取る、脳内の扁桃体と言われる部分がよく発達している」

 扁桃体とは脳の奥にある器官だ。人間の情動行動の記憶を蓄積し、特に負の感情に強く反応する。『恐怖の中枢』とも言われる所以である。ディレイの考察に、ユーフェミアもロナウドも言葉もなく聞き入っている。

「彼等は無意識に自分に敵対する人間を排他している」

「……」

「ゴクソツの事は知ってるかい?」

「はい。野人を敵視していて、彼等を狩るのに犯罪も辞さないとか」

「そう。アーリリアの顔の傷も狩人達にやられたんだよ。体にはもっと多くの傷がある。瀕死の重傷を負って倒れていた所を私が救った」

「そうでしたか……」

「私達が一緒に暮らすようになってからも、油断できなくてね。私が学界を引退したのも、一つはアーリリアを守るためなんだ。実際に強いのは彼女の方なんだが」

「以前私が襲われかけた事もあってね。アーリリアが守ってくれて命が助かった」

「博士が⁉︎ なんで襲われるような目に……」

「無種子の夜光花の研究、その実用化を喜ばない人間がいるんだろうね。ゾクとか呼ばれる不良じみた連中に囲まれたときはもうだめかと思った。そこへ現れたのがアーリリアだ。彼女は大の男四人をあっという間に()してしまった……というか、私が止めなかったら相手を殺していたかもしれない。野人は生に固執するが、それ以上に執着するのはつがいの生命なんだ」

「だから、私は研究職を辞したんだよ。自分と彼女の身を守るために……まぁ平たく言えば逃げ出したんだ。卑怯だろう?」

「いえ……そんな。誰しも自分の身は自分で守らないといけません。でも……野人にとってつがいとは、自分よりも大切な存在なんですね」

 ゼライドもそう言っていた。

「人間だってそうだと思いたいけど、実際に行動するのは難しいのに」

「君の彼は君にどう接するね?」

 ディレイは静かに尋ねた

「……どうって……嫌われてはいないと思うんです。でも、彼は自分が野人だって言う事で、私と常に一線を引こうとしています。まるで踏み込むのが怖いみたいに……」

「ぶしつけな質問だが……彼は君に触れたことがあるかい? あ、いや、無理に答えなくてもいいが」

 ディレイはロナウドを気にしながら口籠った。

「ボクはちょっと庭を見てくるよ」

 質問の意図を察したユーフェミアは顔を赤らめたが、珍しく気を利かせたロナウドに感謝の視線を送る。彼が庭に下りていくのを見てユーフェミアはディレイに向き合った。ディレイは黙ってユーフェミアを見つめている。決して興味本位で尋ねられているのではないとわかるので、彼女は思い切って正直に答えた。

「それは性的にって事ですよね? なら一度だけ、一線は超えなかったけど」

「そうかい……若い女性に不躾なことを尋ねてすまないね」

「いいえ……彼はとても優しい……でも、彼はそのことですごく悩んだみたいです。彼はそれから、私を避けているみたいなんです。危険な仕事をしているし」

「……彼はとても君を大切にしているんだね」

「え? どうしてそう思うんですか?」

「言ったでしょ? 野人が自分の生以外に執着するのは己のつがいだけ……それ以外はほとんど気にかけないよ。だから、君がその彼のつがいか、そうでないかはわからないけれど、彼に非常にかけがえのないものと思われているんだ。これは間違いないとボクは思う」

 ディレイは静かに断言した。





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