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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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48.明日への希望 2

「すごい……すごいわ!」

 ユーフェミアは有頂天で跳び上がった。

 目の前に広がる、広さにしてテニスコート四枚分程度の実験畑。それが今回ユーフェミアに与えられた試験場である。そこに放たれた百匹のスクナネズミは、すっかり葉の枯れた茎の先端に実っている夜光花の種子を一心に食んでいた。

 ロマネスクシティの好意でユーフェミアに与えられた一回限りの機会。広大な施設の一番端のスペースでも、そこでは彼女が指揮官なのだ。

 この試験農園は地面こそ自然の状態だが、周りは透明なアクリル塀に囲まれていて、実験動物が逃げ出す事は出来ない。それも当然で施設のすぐ隣には高級別荘地が広がっているのだ。ロマネスクシティの研究所は市の郊外の風光明媚な場所にあるのだ。

「食べてる……それも夜光花の実だけを!」

 地面には他の穀類や、木の実、パンまで撒かれていると言うのに、小さなネズミ達はそれらの餌には見向きもせず、ただひたすら夜光花の種子だけを一心不乱に食べているのだ。繊維質の多い果実を齧って種子を出し、更にその殻を食い破って胚を食べるのである。一つの実だけでは飽き足らず、自分の容積と同じくらいの大きさの果実を二つ三つと食い漁っている。

 一つの果実に種子は四つから五つ。それをすり潰して麻薬<ナイツ>は生成されるのだが、正にその部分をこのスクナネズミは嬉々として食べているのだ。既に頬袋はパンパンである。

「すっげぇ……実験室内で見たからわかっていたと思ってたんだが、こんな大規模でやられるとクるもんがあるねぇ……やばいよ」

 記録を取る為に同じヘリに乗ってきたロナウドが、ビデオを回しながら呟いた。

「大量発生した野ネズミのせいで、一つの地域の小麦が全滅して飢饉が起きたと言う話を、古い文献で読んだけど、これ見たら本当だったって頷けるな。壮観だ」

「……」

 ユーフェミアは感無量だった。この記録を上層部が見たら、絶対もっと予算がつくに違いないと確信する。最早研究は実用段階かも知れない。規模を大きくして、もっとスクナネズミを増やすのだ。

 警察やガーディアンと協力し、犯罪者たちの情報を集め、夜光花の隠し畑の近くに彼等を放つ。そうすれば誰も傷つけることなく、夜光花を駆逐する事ができるのだ。過去には毒性の強い除草剤をヘリで散布しようとして、犯罪者たちに撃墜された事件もあったのだから、こっちの方がずっと安全なやり方だ。ネズミ達は貪欲に自分達の餌に向かっていくだろう。

 雄と雌を混ざらないようにすれば、繁殖し続けて他の生態系に影響を及ぼすこともないだろう。毒性の強い薬品でネズミを駆除するのなら、肝心の夜光花だって枯れてしまうのだから、これはかなり有効な作戦である。

「実験は成功ですね」

 ロマネスク・シティ側の担当者も目を細めている。彼等はエリカの要請もあって、自分達の試験農場の一部をユーフェミアに開放してくれたのだ。

「ありがとうございます。みなさんのお陰です」

 心からユーフェミアは応えた。確かに自分だけではとても出来なかった。姉の威光のお陰ではあるが、ちっとも構わない。利用できるものは何だって利用して、自分の、そして市民の願いである<ナイツ>撲滅に役に立てたらそれでいいのだ。

「今回はまだネズミ個体数が少なくて、雌雄混合で行っておりますが、来年にはもっと数を増やし、性別を区別した実験ができると思います。できたら、再来年の実用化を目指していますの」

 ユーフェミアは淡々と説明した。落ちついた研究者らしく、冷静になれと自分に言い聞かせている。しかし、頬が期待に染まるのをとめられない。

「そうそう、そんで実用化の暁には特許を取って、僕達ケッコンするんだよね?」

 ロナウドが馴れ馴れしく、ユーフェミアの肩を抱いた。この男は志願して付いてきたのである。

「ちょっと! いい加減なこと言わないでよ! ってか、バカな音声が録音されちゃったじゃないの! 後でちゃんと編集しといてよ!」

「っとに、素直じゃないんだから~。いやなに照れているんですよ、僕のハニーは」

「誰があなたのハニーよ!」

「仲のよろしい事で羨ましいですな」

「ちがいますって!」

「いやはや。若いとはいい事だ」

 若い研究者達の仲をすっかり誤解したロマネスク・シティ担当者が、慈悲深い微笑みを見せた。

 とにもかくにも実験はうまくゆき、ユーフェミアの第一目的は達せられたのである。ネズミの回収には手間取りそうだが、餌が無くなれば勝手に巣箱へ集まってくる。これもこのネズミの習性だ。

「賑やかだね」

 黒塗りの高級車から降り立ったのは、ゴシック・シティ議会の議員であり、TV局など多くの企業を手中に収める、ジッグラト・ハイドンである。

「ハイドン議員!」

 ロナウドは有名な企業家であり、有力な市会議員のハイドンが現れたのを見て感激していた。ロマネスク・シティの担当者も同様である。ユーフェミアも驚いている。確かにこの実験場は彼の伝手(ツテ)で借りられたものだが、詳しい日時などは直前になって決めたものだったから。忙しいハイドンがそんなことまでチェックしているとは意外だったのだ。

「よくいらっしゃいました。実験は成功です! ですがいつこちらに? いらっしゃる予定とは聞いておりませんでしたが」

 ユーフェミアは姉の政敵に丁寧に尋ねた。

「ええ、偶然ですが、この近くで予定していた仕事がキャンセルになって、少しだけ体が空いたので覗いてみたのです。この街には私の別荘がありまして、ほんの数日ですが、休日をもらったと言う訳なんですよ。この半年余り、私は一日も休んでないのですから、少しぐらい休んでも罰は当たらないでしょう?」

 ハイドンは苦笑する。確かにその通りなのだろう。ジッグラト・ハイドンはその平凡な容貌に似ず、精力的な人物としても有名だった。

「ええ勿論。それでこちらで休暇を?」

「まぁ、まるっきり休みと言う訳にはいかないでしょうが、少しくらいなら」

 ハイドンは辺りを見渡しながら言った。ロマネスク・シティはゴシック・シテイより車で半日北にある街だ。ゴシック・シテイに比べると平たく広く、町の北は緩やかに山になっており、坂道の多い美しい街である。

「ユーフェミア。その様子では実験は予想以上に上手くいったのでしょうな? あなたの顔が輝いている」

 ハイドンはユーフェミアを見つめて微笑んだ。

「この実験が<ナイツ>禍、根絶の確かな一歩になるのは間違いないでしょうね」

「何もかもハイドン議員のお口添えのおかげですわ。ありがとございます」

 ユーフェミアは殊勝に応えた。

「あなたのお役に立てて何より。これからも応援しますよ」

「それは心強いですわ」

 ハイドンは笑っているが、口元に微妙に翳りがあり、ユーフェミアは馬鹿にされているように感じていた。姉の政敵もあるこの人物は、世間的には大変有名な名士だが、その実、余り打ち解け難い人物だとユーフェミアは思っている。

 ハイドンも、政治家として犯罪を厳しく取り締まる事を公約に挙げている。今までの法律を改正し、犯罪者に重い咎を課す事を主張している。そして野人は、その出生から人間に管理されなければならないと公言している。そして人道に基づくエリカの政策を、手ぬるいと何度も非難してきた。彼の主張は明快で分かりやすく、富裕層や中間層に大変人気のある政治家である。次期市長候補筆頭の称号も伊達ではない。

 そんなハイドンから見ると、小ネズミを使ったユーフェミアの<ナイツ>撲滅の理想など、ちゃんちゃら可笑しい子どもの遊びのように見えるのだろう。褒めてあげるのは大人の余裕のなせる業であると彼は暗に言っている。少なくともユーフェミアはそう感じたのだ。

 ——でもなんで連絡もなく、こんなとこへ急に現れたのかしら、このおじさん。私をからかいに来たのかな。姉さんをあざ笑う材料にするとか。その可能性が一番高いわね。

「君の情熱は全てこのネズミ達に向けられているのですか?」

「ええ、もう少しデータが取れたら、実用化に向けて動き出したいと思っています」

「それまで、君の姉上が保てばいいと思います」

 それはユーフェミアだけに聞こえる声だった。ユーフェミアも低く受けて立つ。

「……そのお言葉は失礼じゃないですか?」

「おお、その瞳の煌めき……でも怒ると可愛い顔が台無しですよ、ユーフェミア? いや、怒った顔も魅力的だとも思うのですが……おおこりゃ、ハラスメントになるな、確かに失礼致しました。つい言葉が走りすぎました。姉上にも申し訳なく」

 ハイドンはどこまでも余裕で、柳眉を逆立てたユーフェミアを軽くいなした。

「私が言いたかったのは、姉上の任期も後少しだと言う事ですよ。他意はない」

「姉は次の選挙の準備を始めておりますわ」

「おお、それは無論。立候補の門戸は広い。特にサイオンジ市長は人気はありますからな」

 ハイドンの言い方は、エリカには、実力はないと思っているのは明らかだった。しかし、ハイドンはいきなり話題を変えた。

「それはそうと、ユーフェミア」

「なんでしょうか?」

 ハイドンに名を呼ばれるたびに嫌なものを感じるユーフェミアは、つけつけと答えた。この大物から早く逃れたいと思ったのだ。

「あなたはこれから実験の後始末をするのでしょうが、その後で食事でもどうですか?」

「え……?」

 突然の誘いにユーフェミアは困惑した。

 ——姉の政敵に食事に誘われたら、その妹はどうしたらいいんだろう?

  確かに大物だが、話して楽しい相手ではない。ましてや食事など。しかし、素気無く断るのも後々よくないとも思う。何しろやりたくてたまらなかったこの実験ができたのも、彼のお蔭なのだ。断った事をネタにして、サイオンジの妹は、受けた恩義に斟酌しないと言いふらされるのも不本意である。

 ——まぁ食事くらいどういう事もないか。ご馳走して貰えるのだから有難くいただき、笑顔でお礼の一つも言えばいい。相手だって大人で、しかも有名な企業家で議員である。連れて行かれるのはどうせ高級レストランだろうし、ガードもいるから滅多なことは起こらないわ。

 ユーフェミアの気持ちは決まった。男性受けする甘い笑顔を急きょ製造する。

「ええと……構いませんよ。光栄です。ですが、ここを出発は八時過ぎなんです。残念ですがコースなら、ゆっくり楽しめませんし、ガードも外すことはできません。それでもよければ」

「もちろんです。我が社の社用定時ヘリが十時に離陸予定です。それで帰られたらいい。ご心配なら姉上には私から連絡を入れておきましょう。大丈夫、私とサイオンジ市長とは政治的には反対の立場をとるが、人間的には信頼関係があるのですよ」

「そう……ですか、じゃあお願いします。私はこれからまだ予定があるので急ぐのです」

「では」

 二時間程度、ハイドンに付き合うくらい我慢できるだろう。この機会に愛想を振りまき、姉の辛辣な政敵の心証を良くすることぐらいは妹の務めだろう。姉には後で連絡しておかねば。

「飛び切りの料理と夜景の店を予約しておきますよ」

「楽しみですわ」

「ボクもいいですか?」

 いっちょ噛みのロナウドがさっそく口を出した。どこにでも出しゃばる男である。

「無論構いませんよ。食事がすんだら、ナイトフライトと洒落みましょうね。夜景を見るには丁度一番いい時刻だと思うから。真夜中前にはゴシック・シティへ戻れますよ」

「それはステキですね!」

 ユーフェミアはそれについては文句はなかった。ヘリのナイトフライトは初めてだったからだ。この世界の夜を真上から見るなんて、またとない経験だろう。ゼライドでもした事がないかもしれない。いい土産話になる。ユーフェミアは嬉しくなった。こうなると現金なもので、ハイドンもそれほど嫌な人ではないのかもと思えてくる。

「しかし、それまでは何をされて過ごされるのですか? ここでの実験は終わったのでしょう?」

 ハイドンは笑顔になったユーフェミアに尋ねた。

「はい。私は生まれた町(ゴシック・シテイ)街から出た事がないので、できるだけ時間を有効に使いたいと思うんです。取りあえず、一度会っておきたい人がこの街にいるので、この機会に会って来ようかと。一般には余り知られていない人なんですけど、夜光花やその周辺生物に詳しい研究者の方が近くに住まわれていると伺ったものですから、面会の約束を取り付けたんです」

「……夜光花の研究者? それはどなたかな? 聞いてもよければ」

 ハイドンは興味を持ったようだった。

「モーリス・ディレイ、とおっしゃる方です。私だって生物学者ですから、研究を通じて知ったんです。彼は実を結ばない夜光花の研究を実用一歩手前まで実現された方で……」

「ほう……実を結ばない?」

「ええ。でも急に隠棲されて在野(ざいや)に下られたんです。何があったのかわからないんですけど。突然だったものでびっくりしたんです」

「でも、それが実用化されていれば、あなたの大事なネズミ達は飢え死ですねぇ」

「いいえ。種はそんなに(もろ)くはありません。一時的に数は減らしても、きっと逞しく、生き抜く道を見つけると思うんです。進化ってそういうもんですわ。人間さえ介入しなければ、ちゃんと自然の中でやっていけると」

「……進化、ですか?」

「そう、進化です。ミスター・ハイドンの前でこんなことを言うと、きっと気を悪くされると思いますが、私は野人と言われる人たちがその頂点にいるのではないかと思います」

 ユーフェミアは夢見るように言った。

 逞しく進化を続ける。

 生きとし生けるものは全てそうなのだ。そしてそのヒエラルキーの最先端にいるのが、野人なのではないか? 最近ユーフェミアはそう思うようになっている。

 彼らは長命で、強く美しい。まさに人間の理想ではないか。

 しかし、彼らとて進化の発展途上なのだろう。だが、決して人間の敵などではない。人間の敵は人間である。

「……成程。とても興味深い。あなたとの会食は非常に有意義なものになりそうだ。それでは7P.M.に我が社のフロントにお出で下さい。……楽しみにしておりますよ、ユーフェミア」

 ハイドンはそう言うと、ユーフェミアの手を取り恭しく口づけた。




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