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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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46 甘さと苦さと 3

「……っく!」

 ゼライドはパルミナの口づけを振りほどくと、さっと後ろに跳び退いた。

「……なんのつもりだ? パル」

「……ゼル?」

 その声に野人は愕然と振り返る。そして、困惑と悲しみを塗り込めて大きくなった翠の瞳と、真正面からぶつかった。

「ユミ!」

 ——起きていたのか!? なんてこった、気配に気がつかなかった!

「パルミラ……さん?」

 ユーフェミアの瞳は、ゼライドを通り越して後ろを見ている。

「あら……ごめんなさい。お互い久しぶりだったから、つい……ね」

「パルミラ!」

 ゼライドが彼女をフルネームで呼ぶのは本気の時である。

 それを知っているパルミラは、それでも余裕のあるそぶりを崩さなかった。本当はユーフェミアのしどけない服装と、首に残る印に、全身を()たれた程のショックを受けていたのだ。なにが二人の間に起きたかは歴然だった。

 この瞬間、娘を殺したいと、女は思った。

 ——これはわたしの……私の男なのに。

 ——お前が。

 ——お前などが、ちゃっかり横取りしようというのか!

 しかし、それでも世慣れた女は崩れなかった。最後の矜持で踏みとどまると、慣れた手つきで乱れた髪を直す。

「……ごめんなさい、ゼル。あなたと早くメイクラブしたかったの……でもまた出直すわね。……あなたも、ごめんなさいね」

 パルミラは、ゼライドと、立ち尽くしているユーフェミアに嫣然と微笑むと、さっと脇を掠めて出て行った。小娘がたっぷり誤解すればいい、そう念じて。

 大きな音を立ててホールのドアが閉じられる、軽いエンジン音。ゲートが開いて、パルミラは去った。

 後には色恋沙汰に疎い二人が立ち尽くしている。

「ユミ……パルはただの仕事相手だ。それだけの関係だ」

「……私だってそうでしょ?」

「違う! お前は……」

 言うべき言葉は口から出ることなく掻き消える。

 お前は俺のつがいだ、などと叫んでどうなると言うのだ。

 ゼライドは唇を噛んだ。どうせ共に生きられないのなら、これ以上ユーフェミアを苦しめたくはない。死ぬほど辛いのは自分だけでいい。

「私は?」

 ユーフェミアは愛する男を見つめた。

「……俺のツレだ」

「ツレ? 何それ」

 ゼライドにだって話かりはしない。咄嗟に飛び出た言葉なのだから。しかし、そんなその場しのぎの嘘で自分と、ゼライドはユーフェミアの関係を塗りつぶしていかなくてはならないのだった。

「まぁ、友だち以上って奴だ」

「……」

「あいつと寝たりしてない」

 ユーフェミアは黙っていた。

 ゼライドが何をしようと、誰とキスをしようと、自分が咎め立てする筋合いは何もないのだ。ゼライドが言う通り、きっとパルミラとは仕事上の付き合いなのだろう。しかしそれは今まで、と言う注釈つきなのだ。今までの彼女の態度からして、ゼライドを愛している事は明らかだ。燃えるような敵意を自分にぶつけてきた。ユーフェミアだって女だからそのくらいは話かる。

 そして、ユーフェミアとゼライドの関係はもうすぐ終わるのだ。少なくとも公式には。

 しかし、パルミラと彼の関係はこれからも続いてゆくのだ。彼女はもう黙って彼を待ったりはしないだろう。どんな手段を使っても、ゼライドを振り向かせようとするに違いない。

「私……帰るね。姉さんと約束したし」

 ユーフェミアは弱く言った。

「……」

「でもね、ゼルがあんな事件に巻き込まれたからって、姉さんの信頼は揺らいじゃいないわ。ここに来られたのだって、そりゃ、私が大暴れして頼んだんだけど、ホントにダメだったら姉さんは庁舎から出してくれない筈だもの」

 ゼライドが釈放されたと聞いて、ユーフェミアは一度でいいから彼に会わせてくれと姉に頼み込んだのだ。ゼライドに会えばなんとなかる。そう思いつめて。

 姉の出した条件はすべて飲むと約束した。エリカは、しばらく考え込んでいるようだったが、絶対に勝手な行動はとらないことと、十二時間以内に帰ってくることを誓わせてユーフェミアに許可を出した。もしかしたら何か考えがあったのかもしれないが、ユーフェミアは、ゼライドにひたすら会いたくて、他の事が霞んでしまったのだ。

「今この家は大勢に見張られているな。なら大丈夫か」

 ゼライドは冷静に言った。監視されていることは帰ってくる道中で気がついた。おそらく市長直属のガーディアン達だろう。家の周りを取り囲む死角の無い配置だった。彼等は優秀な精鋭達なのだ。

「そ、それは、私を連れて来てくれた人たちが、残ってくれているんだと思うけど……」

「見張られている事は予想していた。いくらなんでもお前を一人で、こんなところに来させる事はできねぇからな……ていうか、ここに来ることを許可してもらえただけでも、信じられねぇ事態だ。あんなに散々な目にあったのによ」

「姉さんにしたって、私をいつまでも閉じ込めておけない事ぐらい、わかっている筈よ。当分は監視下に置かれるのは仕方ないけど……」

「けどな。お前は気づいてないようだから言うが、俺はお前の姉さんの信頼を裏切っちまったんだぜ? 欲に負けて、お前を抱いちまった」

 ゼライド苦々しげに言った。その辛そうな顔をユーフェミア悲しい想いで見上げる。

「それは……私が望んだからで」

「いいや。俺が弱かったんだ。プロの風上にもおけねぇ!」

 ゼライドは吐き捨てた。

「後悔してるの?」

「してたら悩まねぇ」

 野人の表情はあくまで苦い。

「よかった」

「なんもいいこたねぇよ。ともかく、お前は姉さんの元に帰りな? 契約期間が終わらねぇから、お前を守る義務はまだあるが、市長にしたって、俺自身が逮捕までされたんだから、契約どころじゃないと思うだろ」

「でも私は、囮になるって姉さんに言ったの! 私知ってるのよ。研究所内に裏切り者がいるかもしれないんでしょう? ならこれはもう、私個人の問題じゃなくて、ゴシック・シティ市民の安全がかかっている! だって、研究所には獣どころか、<ナイツ>の原料の夜光花だってあるし、もっと危険な病原菌だって保管されてる。私や姉さんを脅かす為に市民を巻き込むなんて、狂ってるわ」

「そうだな。だが、囮なら俺がなる。ユミの敵と俺の敵は繋がってる。でもユミは囮なんかになっちゃいけねぇ。とにかく今は早く帰れ」

 ゼライドには市長が思い切った手を打ったのだとわかった。

 ゼライドが釈放された事は、エリカの敵にとっては想定外の事なのだろう。それにはムラカミの意図が濃く反映されている。察するに彼は、エリカの懐刀のような人物なのだ。少なくとも、その一人には違いない。敵は、今まで毒にも薬にもならないと放置していた人間(ムラカミ)にしてやられた訳だ。

 ゾクや狩人を使役し、<ナイツ>や、獣をも使って街を内側から蝕もうと言う、見えざる敵。

 その魔の手は、文明の知恵、旧世界の知識の宝庫であるバイオ研究所内部にも伸びている。

 市長の身内であるユーフェミアを狙い、それを守る目障りな野人を排除した思い込んでいたそいつにとって、これは手痛い失態に違いない。そして、解放された野人には、ユーフェミアが待っていてくれたのだ。どうせ、それもどこかで見られているのに違いないから、これは敵にとって、相当な挑発行為になるだろう。家に戻った途端、目障りな男と女が乳繰り合ったのだ(家の中はシールドされているが、そう考えるのが普通だろう)。

 ゼライドは感じている。

 そいつは自負心が非常に高く、馬鹿にされることを嫌っている。そして、自分の立場は盤石(ばんじゃく)だと思っている。

 ユーフェミアは何も気づいていないが、今回の事は当然エリカの計略の一部なのだろう。まさかゼライドがユーフェミアを本当に抱くとは、思っていなかったかもしれないが。それとも、それでもいいと思っているのだろうか?

 ——サイオンジ市長め、妹までつかって賭けに出たな。

 ゼライドはエリカの老獪さを苦々しく思った。

 あの夜、自分の精子を実験室から採集した《《そいつ》》は、ユーフェミアと自分の関係を知っている。忌々しい覗き趣味で彼らの関係を察すると、マヌエルと言う犠牲者まで出して、二人を引き離そうとしたのだ。信頼し合っている二人を引き裂き、離れさせて両方を貶める。結果、堕落した妹と、その護衛を務めた殺人犯の野人の責任を取って、サイオンジ市長は失脚する。そういう筋書きだったのだ。

 なのにそれが――

 破れた。

 ——生憎だったな。

 俺は釈放され、尚かつ今、ユーフェミアと一緒にいる。つがいに狂って抱いちまったのは……もう消せない事実だが。

 ——さぁ、出て来いよ、《《お前たち》》。怒り狂って尻尾を出せ。

 おそらくエリカはこの二重の挑発で、敵の動きを見定めるつもりなのだ。そして、大切な身内は速やかに自分の庇護下に戻す。

「……ゼルったら! 聞いてるの? だから、私は……」

 ユーフェミアが自分を見ようとしないゼライドに唇を尖らす。その仕草すら愛しくてゼライドは思わず目を逸らした。

「聞いてるよ。けど、もう充分だろう? 当分は庁舎の奥にすっ込んでな」

「そしたら私は、また缶詰になっちゃう。仕事にも行けなくなって……今だってスクナネズミの実験は庁舎に持ち込んでやってる有様なのよ。大変だったけど、姉さんが上にかけあってくれて……」

「十分じゃねぇか。姉さんに感謝しろよ」

「驚いたことに所長が便宜を図ってくれたらしくてね。知ってる? ウチの所長。ムラカミさんって言うんだけど、はっきり言ってあんまり人望なくてさ。人は悪くないんだろうけど、ほえほえとしてて、いつもぶらぶら歩きまわって、みんな頼りないって言ってる。しかも、最近髪が薄くなってるし。バルハルト室長のほうがずぅっと有能で優秀なのよ」

「髪」

 ——ムラカミさんよ、あんたすげぇ言われようだぞ。

 ゼライドは内心ムラカミに同情したが、ユーフェミアの言葉に彼の隠れた才能を知った。ムラカミがあの無能面でうろうろ歩き回るのは、きっと情報を収集しているのだろう。

「バルハルト室長は次期所長に最も近いと言われてる人なの。ゼライドも会った事あるでしょう? 私なんかにも優しくて、最初に私がゾクに襲われてからずっと気にかけてくれてる。ムラカミ所長なんか、声もかけてくれないのに」

「ふぅん」

「まぁ私も興味がないけど……あ、それから……ウェイにも会ったんでしょ?」

「ああ」

「彼の事、どう思った?」

「さぁ、男なんぞに興味はねぇからな。でも、ありがとな? 俺のために動いてくれたんだよな」

「うん。私、友達少なくて……どうしても何かしたくて……何かしてないと気が狂いそうだったし」

「それは……」

 自分も同じだった。ゼライドは思わず伸ばしそうになった手を握り締める。

 ユーフェミアは意図的に話を引きのばしていた。

 自分がこれ以上、姉に迷惑を掛けられない事ぐらいは承知していた。自分が外に出てはいけない事も。だが、それでももう少しゼライドといたかった。帰ると言っても、少しは引き止めてほしかった。

 行くな――と。

 共に闘いたかった。

 だが、彼はあっさり告げたのだった。

「さ、もういいだろう。支度をしな。市長の判断は正しいと思うぜ。ユミは暫く姉貴の管理下にいとけ。何かあったら市長を通じて連絡するから。俺だってこのままでは終わらせねぇ。どうしたってケリはつける」

「わかった……でも無茶だけはしないでって……全然聞けないだろうけど言わせて。でも、傷ついたゼルを見るのは辛いの……さっきだって」

 ユーフェミアは彼の生々しい傷跡を思い出して身を震わせた。どう考えてもあれはごく最近ついた傷だった。

「これ以上、怪我したりしないで」

「俺は大丈夫だ。傷だってもう痛まねぇし。それより、ユミが取りあえず安全な場所にいてくれた方が、俺的にはありがたいんだ」

 つがいが自分を思って悲しむ様子にゼライドの心も濡れる。

 ——だが、これでいい。

 少なくとも頭はそう思っている。

 心は――無視をする事に決めた。

「うんわかった……大人しくする。じゃあ、せめてゼルが送ってくれる? どうせ、帰らなきゃけないんだったら」

「ああ、そうしよう。お供の皆さんもいる事だし」

 ゼライドはわざと快活に言って肩を竦めた。初めての料理はこうして失敗に終わる。柄でもない事をするからこんな目に合うのだ。ユーフェミアが気がついていないのがせめてもの救いだ。

「あの……ゼルは少しは私の事……好き?」

 そう聞いたのは最後の抵抗だった。ゼライドの顔が歪む。この人にこんな顔をさせてはいけない、ユーフェミアはたちまち後悔した。聞かれても答えようがない事を聞いてしまったのだ。ツレだと言ってくれただけで満足しなければならないのに。

 本当はパルミラの事や、つがいの存在の事を、見苦しくても問いただしたいという、苦しい思いはあるのだけれど。自分本位の嫉妬は封じ込めるのが、彼のためなのだ。

「……ごめん。もう聞かない……」

「とにかく、今はそんな事を考えている時じゃない」

 雄弁な瞳が少し潤んで自分を見上げる。その顔にすら、欲情しそうになってゼライドは目を逸らせた。なんと言う抗いがたい魅力。これがつがいという存在なのだ。

 ーーああ、抱きしめたい。抱けないならせめて、口づけたい。

 だが、そんな事をしてしまっては、昨晩の二の舞になることは目に見えていた。せっかく晴れて自由の身になったのだ。どんなに離れがたくとも、今二人が一緒にいるのは良くない。彼女の輝かしい未来を守るために、自分は尽くさなくてはならない。

「ゼル? どうしたの? 怖い顔……」

 ユーフェミアが気がかりそうに仰ぎ見ている。

「元々こんな顔だ」

 ゼライドはつるりと顔を撫でた。虹彩がきらりと瞬く。

 ——さぁ、出て来い。卑怯者ども――相手になってやる。

「送る……上着を取って来い」


 野人はつがいを見ないで短く告げた。




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