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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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39.戦いは檻の外にある 2

「野人、ゼライド・シルバーグレイ。出ろ」

 無機質な声が投げられる。

 爪一本掛らない硬い壁にそれは反響し、壁際に取り付けられた寝台兼椅子に寝転がった男はうっすらと目を開けた。

「……」

 無言で立ち上がる。一週間余りの禁足状態であったが、しなやかな動作は些かも損なわれてはいない。

 拘束された時に取り上げられた衣類や靴が、カートに乗せて寄こされたので、拘置所内で強要されていたものを脱ぎ棄てる。着慣れたレザーの感覚が心地よかった。しかし、まだここでは規則に反するのか、武器の返却はない。

「銃器類は署長の部屋で渡される」

 ゼライドの沈黙をどう受け止めたか、制帽を目深に被った警官はやはり乾いた声でそう言った。


「君がゼライド君なんだね。ふぅ~ん、いい男ぉ。この度は災難だったね。でもよく辛抱したよね」

 ゼライドが通されたのは署内の一番奥の小汚い部屋である。要するに裏口付近の物置だ。

 ゼライドは自分を釈放が秘密なのだろうと、特に怪しまなかったが、狭い室内には二人の男がいた。一人は顔だけ知っている、警察庁の長官である。

 そしてもう一人は奇妙な風体をしていた。丸顔で小太りの短躯(たんく)に派手な上着、もじゃもじゃの頭髪は頭頂部が少し薄くなっている。そして、今時見たこともない骨董品じみたまん丸の眼鏡(グラス)

 男はどこからどこまでも曲線でできていた。

「さぁ君」

「お、お待ちを! ムラカミ所長。まだ彼が犯人ではないと決まった訳ではないんですぞ。その発言は不謹慎です」

 丸っこい男の発言に苦言を呈したのは、ゴシック・シティ警察庁長官である。

「この男は、はっきりとした出生の記録すら持たない、生粋の野人。獰猛で知性が低く、危険な存在です。役に立つかもしれないが所詮は諸刃の剣。人間とは精神構造からして違う、あまり馴れ馴れしくされない方がいい」

 長官の発言は、ゼライドが決してこの場で抵抗できないと言う自信から来ているのだろう。事実、彼はその挑発を聞き流し、ムラカミと呼ばれた中年男に眼を据えた。聞き覚えのある名前だったのだ。

「おや、君も野人差別派? ボクは違うんだけど」

「私が警部だった頃、部下を野人に殺害されましたからな。そいつもちょうどこんな目をしていた」

 長官の声は剣呑である。

「いやぁ、君苦労したんだねぇ。気の毒に。でもボクはね実は、ボノボからホモ・ハビリスまで、霊長類は大好きなんだよ。あ、絶滅したものも全部含めてね。無論人間も野人も霊長類だよ。だからこの素晴らしくキレイな目をした青年にとっても興味がある。君その目、皆に羨ましがられるだろう?」

 険しい顔つきの長官に対し、ムラカミは、この世界有数の科学の殿堂の長でありながら、科学のカの字も(かす)らないことを平気で述べている。ゼライドは憮然として尋ねた。

「……あんたがバイオテクノロジー研究所長?」

「そう! 君知ってるんだね? ボクはムラカミ。アキオ・ムラカミと言うんだよ。覚えてくれると嬉しいなぁ!」

 ムラカミは小さな目でウィンクしたが、残念ながらそれは、野人にも長官にも見ない振りをされた。

「なんであんたがここへ? 今どういう事になっている?」

「ほほぉ、なんの用? ではなく、なにがあったかとお聞きになる。ほらね? 長官、この青年の知性は君が思うよりずいぶん高い。キミもそう思わない?」

 ムラカミは上機嫌でVサインを出したが、やはり双方から無視されてしまった。

「すまんがてっとり早く教えてくれねぇか」 

「おお、失礼。こんな時に勿体つけてごめんね……じゃあ言うんだけど、ちょっとウチの恥になる事なんで、本当は言いにくいんだけどね」

「……」

 ゼライドは辛抱強く続きを待った。

「実はね、ウチの研究所で管理しているビジュールが三匹、作業中の手違いで、飼育室の外へ出てしまったんだよ」

「ビジュールだと?」

 ゼライドは驚いて目を剥いた。

 ビジュール。

 美しくも残忍な性質を持つ爬虫類型の獣である。

 バイオ研究所内では、第一級危険生物セクションで管理されていて、細心の注意で以って飼育されているはずである。

 しかし、普通ならありえぬ事態にもムラカミは悠然と構えていた。

「逃げ出したのは屋外か、屋内か?」

「不幸中の幸いでまだ屋内(なか)にいるよ。その棟はなんとか閉鎖したけれども。餌をやるのも掃除も全てオートマチックだから、ドローンがいくつか滅茶苦茶に破壊されたけど、幸い怪我人はいなかったんだ。けれども、あのすばしこくて賢くて、どこにでも滑り込めるシュールな生き物は、餌やりのクレーンの収納口から脱走し、通風口のファンを壊してそこから更に壁内の配管の奥に隠れてしまったのです。これってレヴェルDの非常事態なんですよ」

「……」

 ありえねぇ。こいつには何かウラがある。

 ゼライドの強い不審の目をムラカミは平然と見返している。

「そこは独立したセクションで、特に危険な獣だけ飼育していたんですよ。今までのビジュールの飼育例の中で最大最長の実践例だったのですがね。現在、換気口やら、排水溝やら全て小型ドローンで捜索していますが、場所はわかってもなかなか捕まえるのは難しいのです。なにせ動くものはかたっぱしから攻撃する奴らですから」

「センサーは?」

「あの低温動物に通常の温度センサーは働きにくいんですよ。しかも、非常にスリムな体型でしょう? 動体センサーはあるけれど、すばしっこくてなかなか、所在がつかめない。性質が非常に獰猛だから、訓練犬もダメだし、ガーディアンは人間専門だから突入させられない。ですからね」

 ムラカミはそこで意味ありげに言葉を切った。

「俺ってか?」

「あなたです」

「あんまり都合がよくねぇか? 俺は殺しの容疑者なんだぜ。いくら違うっても、あんたらは俺の話を聞きもしなかったじゃねぇか」

 ゼライドは警察長官を見て言った。長官は白々しくそっぽを向いている。

「まぁまぁ怒らずに聞いてよ。ビジュールが逃げちゃって、コリャボクの責任問題だからね。これでもボクは市の重鎮なんです。見えないかもだけど、わりと。だから何とかこっそり、そして穏便に事態を収めないと……ちょっとまずい。で、調べたのです。ゴシック・シティ在住の獣ハンタ―の中で最も優秀な人物の事を」

「……」

「するとまぁ、どうでしょう。様々なデーターバンクでも、実際の聞き込みでも、全ての結果はただ一人を示していましたよ。……あなたをね」

 ムラカミはややもすれば、緊張感の無い丸顔を少しばかり引き締めた。

「だから、あなたに頼みたいのです。ビジュールの捕獲を」

「タダでか?」

「いやいや、無論報酬は払います。キミの無罪申し立てと、当局が提出した証拠を突き合わせて、第三機関で再検証いたします。その結果次第ではここから出られますよ。これはね……」

 ムラカミはわざとらしく声を落とした。

「実はエリカちゃんからのお声かかりなのです。こっちで色々調べた結果、普通の人間なら証拠不十分で釈放されるはずなんだけど、現在の特殊な状況下においては余程の事情がないと、あなたを釈放させられないんですよ。おとなしく家にいてはくれないだろうし、監視はまかれるだろうし。だから、ビジュール退治はお偉方様へのちょっとした手土産なんです。いいですか? ちゃんと仕留めて下さいよ? でないとボク本当にクビになっちゃう」

「殺していいのか?」

「勿体ないけどかまいません。またあなた捕まえてくれるでしょ?」

「ちょっと要求多すぎなくないか?」

「ごめんなさい、でもやってね。やらなきゃでしょ? 念のために注意するけど、ビジュールは敏捷な割に痛みに鈍感で麻酔は効きにくいのです。しかも飢えると益々狂暴になる」

「命の懸かった手土産だぜ……だが仕方ねぇ」

 そう言う訳でゼライドは、一週間ぶりに拘置所から足を踏み出す事になった。

 風はすでに秋の気配である。


「ここか」

 その棟は、ユーフェミア達が普段仕事をしている一般棟からはかなり離れていた。

 独立した筒形の大きな建物で、大型の肉食獣を管理している危険生物セクションの一つである。逃げ出したビジュールは三頭。餌を吊るしたクレーンが格納されるシャッターが、どういう訳か、隙間を残したまま閉まらなくなり、そこから獣は檻の外に出たらしい。

 モニター室は直ぐに異常を察知し、警報が鳴った。職員は直ぐに退避し、通路はブロックごとに閉鎖され、センサーとドローンが凶悪犯を探っている。しかし、捜索範囲は確実に狭まっているのに、まだ彼らは捕獲されていないのだ。

 哺乳類型の獣なら体温やいかつい体躯で発見は容易なのだが、ビジュールは爬虫類型の中でも体温が低く、狭隘(きょうあい)な体型で狭い所に潜り込む性質がある為、一度見失うとなかなか発見しにくいのである。

 網の目のように張り巡らされたセンサー群は、居場所を感知できても攻撃できない。簡単な攻撃ができる小型ドローンは動いた瞬間噛み砕かれる。

 そしてビジュールは獣の中でも特に高い知能を持つと言われており、人間を警戒して一定の場所に長くとどまってはくれないのだ。希少な生物ともてはやされる所以である。

「この広さなら……」

 今、ゼライドは円形の建物のホールにいる。照明の照り返しも眩しい白い空間には何の気配もない。

 ——奴らはここにいる。おそらく壁の隙間に潜んでいるんだろう。

 本来獣ハンタ―であるゼライドは、そう見当をつけた。

「ホールに入った。照明を落としてくれ」

 小型マイクでコントロールルームに指示を出す。

『了解』

 言葉と同時に照明が落ちた。夜行性のビジュールは明るい場所へは出てこない。彼等は冷たく、狭い場所を好んで移動する。本来は森海(しんかい)と呼ばれる太古からある樹海で生きる生物なのである。

 ゼライドは肩に担いだ荷袋に片腕を突っ込んだ。今さっき死んだばかりのヤギが入っている。

「ほらよ、お前たちが大好物の生き餌じゃなくてすまんが、まだ充分暖けぇぞ。さぁ、ご飯の時間だ」

 彼等が逃げ出してからほぼ一日経っている。

 ビジュールの食欲は旺盛だ。この鼻をつく甘美な血の匂いにそれほど耐性もないだろう。ゼライドは一頭のヤギの死体の首に指を入れると、めりめりと裂いた。どっと血が零れだす。ゼライドはその断面に顔を近づけると、弾けた喉に喰らいつき、首を振って肉を引きちぎった。

「くくく……俺もお前らとおんなじケダモノだ。さぁ、一緒にご飯にしよう」

 噛み切った温かい肉片をごくりと嚥下して、ゼライドは凄惨に笑った。

 ——別に命が惜しい訳じゃねぇ……。

 安穏に生きたいのなら、初めからハンタ―と言う仕事になど就かない。

 現に人間から生まれた野人達は、(さげす)まれる事は多くても、様々な試練を通過し、許可をもらって人間に混じりながら暮らす者もいる。

 だが、中には社会に見捨てられたり、同和できずに自分から逃亡したりする者もいる。そうした野人達は孤立していながらも同朋同士で独特な世界を共有し、つがいを見つけ子孫を残してゆく。

 ゼライドの両親はそうした野人だった。

 ——死ぬのは構わない。敵が人間でも獣でも、致命傷を負って呆気なく死ねるならよし。もし(なぶ)り殺しの憂き目にあうなら、敵をできるだけ多く道連れにしてから、自ら喉を掻っ切って果てるくらいの気持ちで常に生きている。自分の命に価値など感じた事などない。

 だが、今は死ねない。死にたくない、ゼライドはそう思った。

 ——ユミがいるからだ。あいつの敵を滅ぼして、安心して暮らせることを確認して身内に返すまでは責任ってもんがある。

「責任だって?」

 ゼライドは野人に似つかわしくない言葉におかしくなった。

 ——いい。他に言葉もしらねぇし、責任って事にしておこう。

 ユーフェミアを自由にする。それから、自分はこの街を出て行く。

 ゼライドはそう思っている。本来の彼女の世界に返したら、直ぐに欲しがる男が出てくるだろう。

 ——あいつはああみえて、芯の強い真面目ないい女だからな。俺なんかよりもっと相応しい男が大勢いる。きっとその中からサイオンジの眼鏡に適った男があいつを自分のものにするんだろう。それはもう決まったようなもんじゃないか。

 ゼライドはぎりりとヤギの死骸の首を握りしめた。死骸に残った血が勢いよく迸り、壁に不吉な文様を描いた。

 ——ああ、あいつが他の男のものになるのか。

 俺の知らない男に抱かれて、雄の汚らわしい体液できれいな体を汚すんだ。

 ——イヤダ!

「させねぇぞ! そんなこと」

 ゼライドの体と心に暗い炎が灯る

 それはたちどころに燃え盛る灼熱の塊となって、彼を(さいな)んだ。

 ——イヤダイヤダイヤダ。ユルサナイ。

 清潔な空間の中に異臭が漂い始めた。一つは今絞り出たばかりの生温かい血の匂い。そして、もう一つ全く別の――花とも果実とも異なる甘ったるい香り。

 ビジュールの出す甘い芳香だった。

「……きたな、ケダモノ」

 野人の瞳孔が狭まり、ゼライドの野人としての本能が呼び覚まされてゆく。

「ああああああっ!」

 腰を突き出し、ゼライドは天に向かって吠えた。

「殺してやる!」

 ——あれは俺のつがい、俺の女、俺の――

「命だ!」

 ――カッ! 

 見開く銀の瞳が輝く。

 頭上に細い影が躍った――ふたつ。

 大きく後方へ飛び退(すさ)りざま、ゼライドはヤギを前の壁に投げつける。ぐちゃりと言う音がして、死体はずるずると白い壁を汚しながら滑り落ちた。

 ぺたり。

 ホールの中央に音もなく降り立った、青い影。

 ビジュールだった。




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