37.オオカミの檻 3
人間と野人。
二人の青年たちは鼻を突き合わせて、状況を分析していた。
「……話は大体わかった。つまりラボで過ごした夜明け、あんた達が実験室を出ていった後にその部屋に入って来た奴を絞ればいいんだな」
「そうだ。ユミが実験室に泊り込むのは届けを出したらしいから、知りたい人間が調べるなら、すぐにわかるだろう。だがユミが、俺を呼び出すなんて事を誰にも言う訳がない。なのに、そいつは知っていた。だからそれは、俺たちの事情をよく知っていて、尚且つユミのごく近い位置にいる人間に間違いない」
「心当たりはあるか? 何人でもいい。少しでも絞られるのと、まったく見当がつかないのは全然違うからな」
ウェイはいつの間にか、野人の言葉を真剣に受け止めている。
「一番怪しいのはネズミの研究チームだな。チームの人数があのままなら、ソニアって女とロナウドってにやけ男だ。彼らはいつも一緒の部屋にいることが多い。それとその周辺の人間だ。ソニアもロナウドも口が軽そうだし、俺がユミを送り迎えしているのは割と知られているから。以前食事に行ったことがある。後は上司か……所長のムラカミって奴には会ったことがないが、室長のバルハルトとは話をしたことがある」
ゼライドは、知っている限りの人物とその特徴をウェイに示した。
「こんなところだ、そいつらは平等に怪しいと思う。……やれるか?」
「さぁ……動いてみないことには……無論モニターなんかには残らないように用心しているだろうし、研究所は割と外部のもんには治外法権なところがあるから、調べるのは面倒そうだが……信用できる内部の人間が聞くなら、あるいは。だが……」
ウェイは太い指で自分の顎を擦りながら難しい顔をしている。一介の警察官が、いきなり研究所の関係者に聞き込みをするのは拙いだろう。
「ミアに調べさせる訳にはいかないし。かといって警察の人間は使い難いし、出入りの業者に紛れ込むかな……」
「お前……ユミにこのことを報告するんだろ?」
「ああ、とりあえず。決定的な証拠となったお前の精子の出どころが明らかになった訳だし。身近なところに敵が潜んでいる事にも注意させなくちゃならん。友達の振りして連絡を取ろうとする輩だっているかもしんねぇし。だがな、俺は」
ウェイはそこで意図的に言葉を止めた。目に力を込めて見据えると、野人も真正面から自分を見つめている。
「全面的に俺を信用した訳じゃないって事だろ? ……わかってる」
「悪く思わないでくれ。ミアはわぁわぁ言ってるし、あんたの事もなんとなく理解できるから、女を殺したりしねぇって気はするんだが……商売がら、いい奴が信じられない犯罪を犯す事実だだってあるからな。俺にとってもこのヤマは結構危ない橋なんだよ、正直。上司に知られねぇようにしねぇと」
「確かにな」
「それにさ。ここ数日、街の治安がまたぐっと悪くなってる。一週間ほど前から<ナイツ>の押収量がハンパ無く増えているんだが、それに比例して常習者が起こす事件も大小、たて続けに起こってる。街の警察屋さんは大忙しだ。俺がこっそりここに来れたのも、署内に人が少なくて定時連絡があんまり入らないからなんだよ。内緒なんだぜ」
「……」
「どうも、大きな組織が何かを企んで、普段より多くの<ナイツ>を流通させているとしか思えないな。だから、俺も今日は久々の休みなんだが、いつ招集がかかってもおかしくねぇ」
「俺は、俺をハメた奴らのの首謀者が、一連の<ナイツ>事件に関わっている気がするんだ」
ゼライドは端正な横顔を見せて視線を下げた。彼には小さすぎる寝台に胡坐を組んで座っている。
「なんでだよ? あんたにゃ悪いが、たかが野人一匹陥れたって<ナイツ>の流通に、大して影響があるとは思えねぇ」
「俺は野人だ。謂れのねぇ差別を受けることなんかしょっちゅうだ。だが、サイオンジ市長は野人の擁護者を公言している。市長の威信を失墜させようと思っている奴らなら、俺に凶悪犯罪者になってもらうのが手っ取り早いだろ? 一方では<ナイツ>を蔓延らせて市の治安を悪化させ、市民の安全を公約にしている市長をダブルパンチで攻撃し、次の選挙に立てねぇ程失脚させるってのは、そんなにありえねぇことか?」
「……うへえ~。あんた案外すごい推理能力だな。ちょっと飛躍し過ぎの感はあるが……考えられないことじゃねぇ。それがマジなら、ものすげぇ上の方に悪の親玉がいるってことになる。本当は信頼できる上司に相談できたらいいんだろうけど。ま、俺なんかがどう言ったところで、こんなこと信じてもらえねぇだろうし。警察だって上の方じゃ、きっと政治家とつるんでいるだろうしな……」
「警察組織と繋がりの深い政治家は誰だ?」
「そりゃ何人かいるけど、筆頭は議員のインガルスとハイドンだ。農場主のインガルスは若いころ警察に勤めていたし、ガーディアンもやっていた。それに身内が何人か警察幹部にいる。ハイドンはマスコミを味方につけて、しょっちゅう言いたいことを言ってきやがるし。両方とも寄付の額もすげぇけど」
「ああ、なるほど。だから俺をしょっ引く時、わざわざ向こうから出てきやがったんだ」
「どっちもこの街のすげぇ大物だぜ。疑ってんのか」
「疑う理由はある。二人ともいつもタイミングよく俺たちの前に現れすぎる。もしかしたらグルなのかもしれない」
「うわぁ、だとしたら俺の手なんかにゃとても負えねぇ……やっぱ市長に動いてもらう方がいのかな? ユミにあんたの憶測を伝えて……あんたは自分の考えが、あのサイオンジ市長を動かすと思うかい?」
「妹の警護を任すくらいだから、一応信用はされてるんだろう」
ゼライドはむっつりと言った。
「そりゃすげぇ。調べたんだけど、あんたは親の代から市民権を持ってないみたいなのに」
ウェイは意地悪く言った。しかし、直ぐに後悔したようだ。
「いや悪い。俺は別に野人を差別してるんじゃないんだ。さっきも言ったけど、あんたの事は悪い奴だとは思っちゃいないよ。疑うのが商売だってだけの話さ。たださ……気になるんだけど」
ウェイはそこで決まり悪そうにゼライドから目を逸らせた。
「……俺、昔ミアに振られてんだよ。それもこっぴどく」
「ふん……だから?」
「学校行ってた頃の昔話だよ。だからそんなおっそろしい目で見ないでくれよ。あのミアにここまで入れ込まれるあんたが羨ましくてさ」
頭を掻きながらウェイはゼライドに視線を戻した。
「気になってしょうがねぇ。これを聞かないと、何も手につかないから俺は聞く!」
「……何をだ?」
野人は横を向いたまま、視線だけウェイによこした。明らかに不愉快そうである。
「だからさ。何が言いたいかと言うと、あんたの話が本当なら……ええと……要するに二人きりで夜を過ごしてんのに、あんたはマスなんか掻いて……つまり、あのミアと……そのぅ、ヤッてないってことなんだろ?」
「ない」
「それが信じらんねぇ。なぁ、なんでヤらなかった? ミアはあのとおり美人で、性格だってあっさりしたいい女だろ? 確かにちょっと気が強くて空気読まないけど、でも、自分からあんたを部屋に引っ張り込んで、喰ってくださいって言ってんのも同然で。なのに、あんたみたいにぱっと見、百人切りって感じの男が手を出さなかったなんて……」
「俺は野人だ」
「わかってるよ。だから……だからこそ、意外なんだ……ミアを振ったのか?」
「違う。ユミは俺なんかが手を出していい女じゃない。てめぇだって言ったように、俺は市民権さえ持ってねぇんだ。身分違いってやつだ。あいつにはお前みたいな人間の男がいいんだ」
ゼライドはマヌエルに言ったことを辛抱強く繰り返した。できるだけ平坦に話したつもりだったが、ウェイは騙されなかったらしい。彼は決まり悪そうに頭をガシガシと掻いた。
「……悪かったよ。そんな辛そうな顔をしないでくれ、俺が悪者みたいだ……くっそ、わかったよ! なんとかしてこの件を調べてやる、当たって砕けろだ!」
「頼む」
「いいさ。どうやら、探る価値のある情報のようだからな。もしかしたら、研究所内部にテロリストがいるかもしれないんだろ?」
確かに一介の野人を陥れるだけにしては手が込んでいる、とウェイの警官の勘は告げていた。
野人の娼婦を殺してゼライドに濡れ衣を着せるだけなら、彼らの存在を否定するゴクソツの憎悪に満ちた犯行と言うだけの事だろう。治安維持の見地から見ると凶悪事件だが、市政の根幹を揺るがす程のものではない。しかし、ゼライドは市長の妹と密接に繋がっているのだ。二人が巻き込まれた数々事件の事も既に聞いている。
それらが偶然ものではなくて、彼らを抹殺しようとして仕組まれたものだったら?
そして、今回の重要な証拠となったゼライドの体液は、ゼライドの証言によると研究所内から採集されたと言うのだ。バイオテクノロジー研究所は市の重要な施設である。学術の分野のみならず、医療やエネルギー、果ては食糧事情にまで影響を及ぼす、この世界における知的財産の集積所ともいうべきところなのだ。研究所内に犯罪者の手先がいるとしたら、それは市民に対する大いなる脅威であった。
「単にあんただけを狙うだけにしては、妙なやり方だしな」
「俺がここから出られたらあいつを守ってやれるのに」
野人は終に目を伏せてしまった。
「……」
ウェイはなんとなくわかってしまった。この男がなぜユーフェミアに手を出せなかったのか。身分違いよりなにより、この男はユーフェミアが大切なのだ。手を出すことも躊躇われるほどに。
——やれやれ、何がただの依頼人だ。結局両片想いなんじゃねぇか。大体ユミってなんだよ、勝手に自分だけの呼び名つけてんじゃねぇ。
「まぁ、今はあきらめろ。焦って早まるなよ。上はあんたを犯人に仕立てあげたくて堪らないようだから。ちょっとキナ臭さを感じるくらいにな。だから俺も調査しようって気になったんだが」
「なに、出られる方法ならあるにはある」
ゼライドは漸く顔を上げた。
「へぇ。どんな?」
「あんたを人質にすることだ」
「へ? 俺? どうやって」
ウェイは目をぱちくりさせて親指で自分を示す。
「この壁はここだけ強度は弱い。この穴があいた部分だ」
ゼライドは声を通す為の細かい穴が空いた場所を指した。
「いつもの尋問なら複数の人間がいるから無理だったが、今ならあんたが俺がこいつをぶち破る間、知らんふりをしていてくれたら、できない事でもないだろ」
「ひえっ! マジかよ。野人の力はすげぇな。けどそれは止めたがいい」
「わかってる。直ぐに包囲網が敷かれるだろうし、指名手配になった脱走犯になったら、今度こそユミに近づけやしねぇからな」
「そんなことになったらサイオンジ市長の評判にも関わる。最近の事件続きで市民からのバッシングが高まって来ているんだ。今んとこはこれまでの功績で何とかなっているが、これ以上何かあれば、次回の選挙は立候補すら絶望的になるぜ。悪くすりゃ市外追放だ」
「ああ……だが、俺は」
——ユミが心配で気が狂いそうだ……。
これで丸五日、ユーフェミアの顔を見てはいなかった。
——姉貴が庁舎の私的なフロアから一歩も出さないだろうが、見かけの割に頑固なあの跳ねっかえりが、いつまでも大人しくしているとはとても思えねぇ。絶対に何か突拍子もない考えを行動に移そうとしている筈だ。いや、もしかしたらもう何かしでかしているかもしれない。
ゼライドは背中を丸めたまま、自分の膝を砕かんばかりに握りしめた。
——会いたい、ユミ。なんでこんなに苦しいんだ……。
「まぁ、待て」
苦悩するゼライドに、ウェイは宥めるように言った。
「もう少しすれば何かもっと動きがある筈だ。今の話が本当なら、あんたの動きを封じた時点で目標の一部は達成された筈だから、近いうちに何かやらかすだろ」
「……」
「ミアが心配なんだろ? くそ、なんだかんだ言ってお前たち、らぶらぶじゃないか。くそっ!妬けるぜ」
「らぶらぶ?」
「そうだよ! あんないいオンナ前にして抱かないなんて。しかもその理由が自分だって? どんだけお前、ミアを大事にしてんだよ。それが惚れてなくて何なんだよ。畜生! ええ加減にせー。俺が切なくなるじゃないか……って、あれ?」
「らぶらぶ……惚れてる……人間にはいろんな言い方があるんだな」
野人ならつがい、の一言だけで全てが語れるのだ。
「……お前……やっぱり」
ウェイは目の前にあるものが信じられなかった。男性美を絵にかいたような野人がうっすらと頬を染めてそっぽを向いている。肌色が濃い目だから気がつきにくいが、絶対赤くなっている。間違いない。
「うるせぇ……ともかく、ユミの事を頼む。あいつに何かあったら、それこそお前の襟首を掴んでここをずらかってやるからな!」
「うへぇ〜、本気でやりそうで怖いぜ」
そのやりとりから二日後。
サイオンジ市長の元に、ゴシック・シティ警察署長から緊急連絡が入った。
「市長! 大変です。たった今バイオ研究所所長殿から連絡がありました。レベルDクラスのアクシデント発生です!」
「説明を」
「ビジュール……あのビジュールが飼育檻から、逃げ出したってことでっ」
その中身は、危険生物飼育室から凶獣ビジュールが複数、脱走したと言うものだった。屋外へ出たという情報はまだないが側近は青ざめている。ビジュールは動くものすべてを攻撃する。その進路上には怪我人どころではない、死人が出るのは確実だ。しかしエリカは落ち着き払っていた。
「バイオ・ハザードです。すぐにムラカミ所長を呼びなさい」




