35.オオカミの檻 1
「ゼライド・シルバーグレイ!」
市長の私的居住区域のセクションを出た途端、完全武装した六人のガーディアンが、ユーフェミアとゼライドの前に立ちはだかった。
ガーディアンと言うのは、警察機構とは別に、特別な訓練を選ばれた受けた市民で編成された、言わば市軍とも言うべき存在である。
無論その最高責任者、および総司令官は市長なのであるが、実際の作戦指揮は市長が指名したガーディアン内部のリーダーが行っている。そして、その上に立つ直接の管理者、及び責任者は、有力議員のインガルス、そしてハイドンであった。特にインガルスは若い頃、ガーディアンのリーダーをしていた経歴の持ち主だ。
ゴシック・シティのガーディアンは約二千人である。任務は主に、警察の手に余る規模の凶悪犯罪や大事件などが起きた時に警察と協力し、市民の安全を守ることだ。時には、先鋒を任される事もある精鋭たちだ。
その、ガーディアンがゼライドたちを取り囲んだのである。
「俺に何の用だ」
ゼライドは特に動じず、低く聞き返した。
ユーフェミアを背後に庇っているが、大人しくない娘は、広い背中からぴょこぴょこ顔を出して何が起きたのか確かめようとしていた。
「俺はゴシック・シテイ公安庁所属ガーディアン、第三部隊隊長アンドレ・ジョセルという。ゼライド・シルバーグレイ、お前には娼婦マヌエル殺害の嫌疑が掛かっている。我々に同行して警察庁本部まで出頭するように」
「なんですってぇ⁉︎」
怒声を上げたのは野人ではなく、後ろで忙しなくしていたユーフェミアだった。
「あなた達、何言ってるの? ゼルはたった今、市長さんにその……マヌエルさん殺しの件について訴えに来たところなのよ!」
先ほどの話ををどう説明したらいいのかわからなかったので、ユーフェミアは取りあえずもっともらしい言葉で言い返した。間違ってはいない筈だ。
「ユミ……お前は口を出すな」
落ち着き払って野人は言った。その青銀の瞳に感情の揺らぎは見られない。
「だって本当の事じゃない! なんでゼルにマヌエルさん殺しの嫌疑が掛かるのよ⁉︎」
「だが、こんなとこで怒鳴り合ってもしかたねぇだろ、な? いいからお前は黙っていろ」
ゼライドは振り向いてユーフェミアを黙らせた。口調はいつものように素っ気ないが、やはり態度に荒々しさはない。ゼライドは緊張の面持ちのガーディアン達に向き直った。
「嫌疑の根拠は?」
「現場検証で、娼婦の体から採取された体液から検出されたDNAが、ハンター登録の際に提出していたお前の血液から採取したものと一致した。
ジョセルが冷静に告げた。
警察でもガーディアンでもない、単独で行動する事が多いハンターを生業にする者達には、野人であってもなくても、法的に色々な規制が掛かっている。
彼らは殺傷能力の高い銃火器を使用するが故に、一歩間違えたら市民を巻き込む大惨事となるからなのだが、市民登録を持っていない野人には特に厳しく、指紋や声紋は無論、血液サンプルに虹彩写真等、様々な生体識別データを当局に提供する事になっている。
それによって、優秀なハンターが凶悪犯罪者にならないための抑止力としているのだ。社会性の低い野人の男たちは、ハンターになるものが多い。ハンターとは野人の荒ぶる血を鎮め、凶悪犯や獣と相殺させるために設けられた制度でもあった。
「マヌエルの部屋に俺の体液? それは汗か? 唾液か?」
「とぼけるな。娼婦の部屋だぞ。体液と言えば、精液に決まっている。女性器の中からたっぷりとな」
ジョセルの言葉に、後ろの若いガーディアンがからかうように笑った。しかし、ゼライドの態度は乱れない。
「ありえない。マヌエルに会った事は市長に報告済みだが、あの部屋で俺は女と寝ていない」
「だが、現にお前のDNAが採集されている。警察のデータバンクで照合したところ、コンピューターは99.997%の確率でゼライド・シルバーグレイ、つまりお前を指したんだ。だからこその逮捕だ。正式な命令コードもある。これだ」
ジョセルは腕につけた簡易の端末から映像を取り出すと、複雑に入り組んだ記号を示した。青色に光るラインで示されたコードナンバーとゴシック・シティの紋章が、ゼライドの顔を無機質に照らす。その下には警察長官のサインとゼライドの身柄拘束の理由が示されてあった。
「昔で言うなら逮捕令状ってところだ」
大して面白くもなさそうにジョセルは告げた。
「そんなのウソよ! 少し待ってて下さい。姉さんに聞いてきます。今、執務室から出て来たところなのよ。姉さんならこんな不当逮捕は許さない筈だわ!」
「姉さん? 執務室?」
怪訝そうに首を捻るジョセル達に勢いづいたユーフェミアが、今さっき出て来た通路へと大きくUターンした時、いつの間にか背後に立っていた大きな男にぶつかった。
「残念ながらそれはしない方がいい。お嬢さん」
「ミスター・インガルス!」
「サイオンジ市長を担ぎ出すのは止したがいい。姉上に恥をかかすことになるそ。それは法に則った正式な命令コード、突き詰めればその指令の最高責任者は市長閣下なんだよ」
それは、ついこの間TV討論でエリカと激論を戦わせた、次期市長候補の一人ハリイ・インガルスだった。彼は厚みのある体を揺すりながら難しい顔で言った。
「市長にはちょうど今頃、報告書が届いているはずだ。事情がはっきりすればあの方は動かない。今回のこの野人の逮捕の根拠と正当性は大きい。彼女なら、先ずは当局に厳正に調べるようにとは言うだろうが、妹の訴えだからと言って逮捕の撤回はさせないよ」
「でも、さっきは……」
「状況は水のようにくるくる変わっていく。もし、本当にこの野人の言うとおりならば、捜査は長引くだろうが、あなたにできる言は姉上の下で待つことだけだ。彼を信じているのならできるだろう?」
「信じられたら……ですがねぇ」
音もなく開いた右手のドアから姿を見せたのは、エリカやインガルスのライバルでもある、ジッグラト・ハイドン議員である。
彼はいつものように最高級のスーツを纏い、痩せた顔には全くと言っていいほど表情がなかった。
「私は警察内部にも詳しいんですよ。独自に調べさせた報告書を読みましたがね。それによると、この野人は過去に幾度となくこの娼婦と交渉を持っていたらしいです。私の言う意味がわかりますね、ユーフェミア嬢」
「ええ。でもそれはちゃんとした取引で合意の上、でしょう?」
「その野人は、殺された女に常にかなりの金額を渡していたそうですよ。相場をはるかに超えた、まるで恐喝されているような大層な金額をね。何か弱みでも握られていたんではないかな?」
ハイドンの薄い色の瞳は冷ややかにゼライドに向けられている。
「そんなことはないです。ゼル……ゼライドはマヌエルさん殺害にとっても憤って……」
「憤って……市庁舎に乗り込んだんですか? まるで安全な砦に逃げ込むように?」
「違います! これにはちゃんと理由があります」
「では、説明してもらえますか? ユーフェミア嬢」
びろうどのような猫なで声でハイドンは言った。ゼライドは表情を消したまま動かない。周りを取り囲むガーディアン達も、インガルスも何も言わずに成り行きを見守っていた。
「それは……」
ユーフェミアは語尾を濁した。自分まで狙われている事を姉の政敵達に知られたら、益々エリカの立場を悪くすると思ったからだ。荒野のライダーの追撃事件から、三日しか経っていない。あのライダー達は確実に野人を憎むゴクソツたちだろう。
「それは、彼が知っている野人の情報を告げるために……いわば捜査協力です」
「ならば、後で申し開きをすればいい。ここで揉めるのは得策じゃない。あなたの気持ちはわかるが、ここは聞きわけ給え」
今度はインガルスが、厳しくユーフェミアに向かって言った。
「そんなっ!」
「いい、ユミ」
ずいと前に出たのは野人である。周りのガーディアンたちがさっと緊張し、議員達を背後に庇った。しかし、ゼライドの態度は相変わらず静かで、つまらなさそうに男達を見渡しただけである。
「この男の言うとおりだ。俺は行った方がいいだろう」
「ゼル! 何でそんな事言うの!? どう見たってこれは罠だわ。罪を負わされたのよ。一回逮捕されたら二度と出て来れないかもしれない!」
ユーフェミアが人目を憚らずに叫ぶ。しかし、野人はあくまでも冷静だった。
「それでもいい。だが、お前はここに残れ。絶対に外へ出るんじゃないぞ!」
最後の言葉は恐ろしく厳しい顔で告げられた。ゼライドは本気なのだ。本気で拘束されようとしている。
「い……嫌よ。私は戦う。絶対戦うわ!」
「ダメだ!」
ビィンと空気が張り詰めた。その場にいた誰もが竦む程の迫力だ。普段の低い声が驚くほど豊かに硬質な壁に響いた。
「お前はもう……深入りするな」
「嫌よ! ゼライド、私は嫌! 私、あなたを守りたい!
「ユミ……」
「ゼル、私はあなたを好きだって言ったでしょ? 好きなの! 愛してるの! だから戦う!」
ユーフェミアは人目も憚らずに人類の最も尊い言葉を叫んだ。さすがのガーディアンも――いや、当のゼライドでさえ、顎を引いて目を剥いている。
「あい……愛? ああ……そうか。そうだったのか」
ゼライドはこんな時だと言うのに、妙に腑に落ちた顔で頷いた。
それから改めてユーフェミアに向き合う。その瞳は暗闇でもないのに輝いていた。
「わかったよ、ユミ」
ゼライドはいっそ清々しく言った。
「ゼル……?」
「ああ、いいんだ。俺はわかった。なんていうか、頭でじゃなくてここでわかった。だから今は引きな?」
ゼライドは長い指で自分の胸を指した。
「……っ!」
「ユーフェミア」
居住区の扉が両側に開く。その真ん中にエリカ・サイオンジの姿があった。先ほどとは衣服も改めている。ここから先は彼女の戦場なのだ。
「ゼライドの言う通りです。あなたの出る幕はここにはありません」
「姉さん」
「ゼライド」
妹の縋る様な声にも眉一つ動かさず、エリカはゼライドにまっすぐな視線を向けた。
「ゼライド、あなたは今までよくやって下さいました。これまで命をかけて妹を守ってくれた事に、姉としてお礼を申し上げます。しかし事態が大きく変わってきたようです。これからは私がユーフェミアを守ります。ええ、絶対に。あなたはあなたの義務を果たしてください。私は成り行きを厳正に見届けます。必要ならば、直接手を下すこともあるやも知れません」
それはゼライドにか、彼の敵にか。
エリカにもわからない。だが、ゼライドは晴れ晴れと頷いた。
「ありがてぇ……」
エリカはゼライドの嫌疑については何も言及しなかったし、ゼライドもそれに対して何も言わなかった。二人はちらりと視線を絡めただけだったが、それで全て納得し、お互い自分の為すべき事に身を向ける。
「ゼル!」
「俺は行く。ユミ、いい子にしてな」
ゼライドはそれ以上何も言わないで、いつものように唇の端だけで笑うと、ガーディアンに付き添われてユーフェミアに背を向けた。
「私絶対に何とかするから、絶対に諦めないから!」
ユーフェミアの悲痛な叫びにも彼は背を向けたまま、片手を上げただけで、黒いレザーに包まれた広い背中はガーディアンの一団に埋もれ、通路の奥に消えていった。
ユーフェミアは改めて姉に向き合う。
「姉さん、あんまりだわ! 私達が勝手にゼルを巻きこんだんじゃない! 彼は被害者よ!」
「黙りなさい。あなたが何を言ってもこの問題は解決しない。身の程を知りなさい」
「!」
「あなた、ユーフェミアを居住区へ。適当な部屋を与えて監視するように」
エリカは背後に控える側近にそう告げる。
「嫌よ! 嫌だってば、離してよ。姉さん、話を聞いて」
「聞いて欲しければ先ずは冷静になることね」
怒りで頬を真っ赤に染めているユーフェミアは、二人の側近に両腕を取られてもがいている。
それを見送ったエリカは、何かを考え込んでいる様子のインガルスと、音の無い拍手をしているハイドンへ冷めた視線を投げた。
「この間から妹が何度もご迷惑をおかけしたようで痛み入ります。身内として監督不行き届きでお恥ずかしいですわ」
「なんの。市長閣下、妹御は大変優秀な科学者だと聞いております。だから今は引くべきだということも、わかっていただけるとおもっていましたよ。捜査は厳正に進むでしょう。だが、野人だからといって不利になるようなことないはずです。私はフェアじゃないことは好かないのでね」
身内に厳しいエリカにインガルスも同調した。しかし、ハイドンの感情のない目はユーフェミアに向けられている。
「ねぇ、お嬢さん。あなたはまだお若くて考えが浅い。見目がよく、珍しいものにあこがれる気持ちはよくわかります。先ほどの愛の告白には感動しました。だが、すぐに熱も冷めるでしょう」
ハイドンの声はやはりびろうどのようだった。しかし、ユーフェイアにとってはインガルスの厳しい態度よりもずっと気分が悪かった。まるで彼女が恋に恋する愚かな少女だと決めつけている様子である。
「違っ……」
「ええ、ハイドン議員。おっしゃる通りですわ」
エリカがユーフェミアを遮った。
「姉さん! 私は本気で言ったのよ! ゼルを……」
「あなた達、早くユーフェミアを連れて行きなさい!」
いつになく厳しいエリカの態度に側近達は慌てて従い、文句を言うユーフェミアを居住区へ引き摺っていった。後には大人三人が残される。
「うん、サイオンジ市長。あなたの妹はとても楽しいお嬢さんだ。しかし、あのご様子では、どうにかしてあの野人を助けるために、とんでもない事をしでかしそうですな。軽率にも愛してるなどと……」
「申し訳ありません、ミスター・ハイドン。今まで甘やかしてきたおかげですっかり我儘になってしまいました。私の監督責任ですわ。子どもの頃から珍しいものが好きで、直ぐ飽きる癖に手に入らないものばかり欲しがって……。先日の件もあるし、しばらく頭を冷やさせます」
「それはいい。そういうことでしたら、私の別荘にご招待しましょう。 ロマネスク・シティにあるのですが、そこならほとぼりが冷めるまで静養して頂くことが可能ですよ。近くには彼女の好きそうな研究施設もある。よければそこと連絡を取って、好きな研究をさせてあげてもいいですよ。世間では私とあなたは、このインガルスと並んで政敵のように言われておりますが、全部は否定しないにせよ、この街の未来を共に考える同志でもあります。お身内を預ける事で、あなたの懐の深さを示す事ができるのではないかな?」
「さすがに着眼点が違いますわね。ミスター・ハイドン。お心遣いありがとうございます。お世話になりたいのは山々ですが、あの子はもう少し手元に置いて、厳しく監督して再教育する事に致します。あれでも身内ですので」
「左様ですか、わかりました。ならばせいぜいお気をつけられることですな」
ハイドンは上品に会釈すると、厳しい顔つきのエリカを残して立ち去った。
後にはユーフェミアのつく悪態が廊下に響くのみである。
以下、どうでもいい補足。
ガーディアンは、主に警察官の優秀な者から選抜されます。かなりのエリートです。グリーンベレーみたいなもの。無論、犯罪対処だけでなく、レスキューなどにも出動します。プロです。なりたくてもなかなかなれません。市民権を持っている野人で、保証人がいる場合のみ、選抜試験テストを受けることができます。でも、野人は秩序ある集団活動が苦手なので、あまりガーディアンには向いていないようです。




