27.荒野の激突! 2
いろいろと気がかりなことを聞かされたユーフェミアが、ゼライドを伴って市庁舎を後にした時は正午を大きく過ぎていた。
いつもなら空腹を訴えて食事をしたがるユーフェミアも、今日ばかりは大人しくゼルに従って車に乗り込む。
「本当にこれから出勤するのか?」
待たされた事に文句も言わずにゼライドが尋ねた。鋭い青銀の目が少しばかり心配そうに見えるのは、ユーフェミアの願望だろうか?
「するわ。公休は午前中の届けだし、こんな事で負けたくはないもの。……ダメ?」
「……いいぜ」
ふっと笑うと、ゼライドはアクセルを踏み込んだ。
「飛ばすぜ。いいか?」
「もっちろん! わぁ! ステキ」
「ベルトをがっちりしておけよ!」
ユーフェミアの春の苔のような明るい翠の瞳は、ゼルを軽く興奮させている。
車は速やかにセンターサークルを抜けると、中央大通りに殴り込みをかけ、街の正門とも言うべき壮大なフォザリンゲートを目指す。
ゴシック・シテイを縦に割るこの広い道は「ラルゴ」と呼ばれていた。
「幅広くゆったりと」と言う意味で旧世界の言葉からきているらしい。しかし、銀色の車はゆったりとは間逆の速度で滑るように流れてゆく。確かな運転技術ゆえの野性的なクルージングである。間をおかずに城のようなフォザリンゲートの尖塔が見えてきた。ゲートのチェックを通過すると、直ぐに草原地帯を走るフリーウェイに出る。
要塞のような街の外には、多くの大規模な施設が点々と並んでいた。
ユーフェミアの勤めるバイロテクノロジー研究所もその一つである。車は快調に進んでいる。この速度では二十分も飛ばせばつく筈だった。
――が。
「ちっ!」
ステアリングを握るゼライドが、突然大きな舌打ちをした。
「ユミ、伏せてろ」
「はい!」
質問は無しでユーフェミアは素早く座席に身を折って伏せた。ゼライドがこのようなものの言い方をした時は、問答無用で従わねばならない事を既に知っている。
ゼライドは左右に開けた草原地帯から、フリーウェイに向かってやってくるバイクの集団に全神経を集中させていた。それらは土煙を立てて地平線に突然現れたのだ。
フリーウェイには基本的に大きな防護壁はない。この平原に島のように浮かぶ街や周辺施設に入るには厳しいチェックが必要だが、その版図を繋ぐ全てのフリーウエィに頑丈な壁を設けるほどの余裕はない。堅固な防護壁があるのは街の外、数十キロス程度である。
行き交う車の隙間から覗く一団のバイク。何もなければ、荒野をただ疾走する飛ばし屋達だと思ってしまいそうだが、良く統率され、威圧感のある走行形態が彼等をプロだと知らしめている。
——右から二台、左に三台か。さてどうするか。
この世界で屈指の規模を誇るゴシック・シティに出入りする車両は多い。昼のこの時間帯は物資を運ぶ大型のトレーラーが殆どだ。その間隙を縫ってゼライドが嵐のように車を駆る。対向車線との間には事故防止の為に、かなり広い空間が設けられているが、そこにもやはり遮蔽物はない。
——何が起きているのかしら……ゼルの腕がびりびりと緊張しているみたい。
まるで上下運動のないジェットコースタに乗っているようで気分が悪い。ユーフェミアは身を縮めながらも、どうにかして周囲の状況を把握しようと耳を澄ませていた。軽快なエンジン音が更に高くなったようだ。速度は最大限に近いのかもしれない。何が、そして誰が自分達を狙っているのだろう。エリカの言った通り、これでは疑わなくては不自然なほどたて続けだ。
「ぐぅっ!」
ゼライドが喉の奥で唸った。
——くそ、他の車が邪魔になって思うように動けねぇ。
かなりの速度を出している。
ついさっきユーフェミアの職場である研究所も飛ぶように過ぎ去った。もう街からはかなり離れた筈だ。この先はどんどん施設の数が少なくなる。そして半日も飛ばせば、隣町のロマネスク・シティが見えてくる。
——まさか、そこまでは行けねぇやな。車が少なくなった時点で仕留めるか。
ハイウェイの外から追随する大型のバイクは、かなりの腕前の人間が操っているようである。
常に一定の距離を保って追い縋って来たが、行き交う車が減ってきた事で、仕掛けのチャンスだと思ったのか、右から来る二台が対向車線を易々と乗り越え、街に入る車が右往左往するのを尻目に安全地帯に侵入し、内側を走るゼライドの車の後にぴたりと付けた。
銃が見えたが撃っては来ない。この速度で片手での運転は危険な上に、ゼライドの車がある程度の防弾処理をされていることを知っているのだろう。運転者は低く身を伏せて機会を窺っているようだ。するとゼライドの行く手に山のようなコンテナ車が現れ、やむなく銀の車のスピードが緩んだ。
するとバイクの前部の装甲から、先の捻じれた槍の穂先のようなものがするすると現れた。これで車のタイヤをズタズタにしようと言うのだろう。黒くシールドされたヘルメットからライダーの表情は伺えないが、邪悪な笑みを浮かべているのに違いない。
彼の仕事は一瞬ゼライドと並走し、彼の足である車を走れなくする事だけなのだ。後の始末は仲間がやってくれるのだろう。自信を持ったハンドル捌きで、ぐいとバイクが近づいた。
ゼライドが手元のスイッチを入れる。頭を抱えて伏せているユーフェミアは車内にさっと一陣の風が通るのを感じた。車のどこかが開いたのに違いない。
その瞬間――
ズガァン!
頭上で酷く大きな音がした。ゼライドが銃を撃ったのに違いない。続いてブオンという大きな音と、くぐもった悲鳴。ユーフェミアがちらと顔を上げようとした途端、まるで見えてるようにゼライドが怒鳴った。
「見るな!」
ユーフェミアはあっと頭を下げたが、その一瞬バックミラーに土くれを舞いあげて地に転がるバイクが見えた。だが、ユーフェミアが見たのはそれだけである。ライダーは遠くに吹っ飛ばされ、路上をごろごろ転がった末、後続のトラックにすり潰されたのだ。
——先ずは一つ。
ゼライドがステアリングの横から銃身を短くしたライフルを取り出し、車のルーフから発射したのである。殆ど狙いもつけない早業だった。それだけではない。倒れて硬質な路面を横滑りしたバイクは車の列を大きく乱れさせ、後方のバイクの行く手を遮断してしまった。これで右からの攻撃をかなりの程度緩和した筈だが、一息つける間もなく、左から襲い掛かる三台が後ろに追いついて来た。
ーー仲間を見殺しか!
恐怖を感じた、前を行く一般車の列が左右に割れはじめる。ゼライドはその空間を銀色の矢のように疾走した。
忽ち周りの車は潮が引くように見えなくなる。しかし、ハイウェイ上では機動力に勝るバイクの方が有利だ。ゼライドは最大限にアクセルを踏みこんだ。
「ユミ、左に旋回する。しっかりつかまっていろ!」
答えも待たず、ゼライドはステアリングを切る。彼の大きな掌に滑稽なほど小さく見えるそれは、彼の意思を忠実に駆動部に伝えた。
——うわわわわ~!
まるで世界が回っているようだ。ユーフェミアは必死で激しい遠心力に耐えた。気持ちの悪い旋回は直ぐに収まったが、今度は急に路面が悪くなったのか、酷い振動がシートを揺らす。ゼライドがハイウェイを逸れて荒野に出たのだ。
あちこちにブッシュや岩が突出しているが、荒野ならば二輪より四輪の方が安定する。しかし、横を走る二台のライダーが銃を構えるのが見えた。直ぐにパンパンと撃ちかけられる。だが反動の少ない銃は威力も低めで、銀色の車の塗装を傷つけるだけだ。だが、他にどんな武器を持っているか分からない。
——ちぃっ! めんどくせぇ。
ゼライドは鋭く長い棘を持つ灌木、キリエンジュの茂みに躊躇わずに突っ込んだ。案の定、追いすがるバイクの速度は落ちる。ぐるりと回りこんだゼライドは再びルーフを開けて、すれ違いざま一台を撃った。今度はさすがに振動が大きかったせいで、直撃はできなかったが、威嚇にはなったらしく、バランスを崩した一台が激しく藪に突っ込んだ。
絡まるキリエンジュの蔓は頑丈で、まるで有刺鉄線だ。しばらく動けないだろう。
——二つめ。後二台――。
ゼライドは今度は追う立場となって、前を行くバイクを睨んだ。さっきからユーフェミアは声も立てずに丸まっている。あちこち振り回したおかげで結った髪が解けて乱れていた。
「大丈夫だ、ユミ。俺の方が優位にいる。だが、まだ顔を上げるなよ」
「はい!」
どうやら声は震えていないようだ。ゼライドはにやりと口角を上げた。
——そうとも。この女は強いんだ。殺されそうになっても不思議な目をして自分の翳した刃を見つめていたくらいなんだから。
「いい返事だ。もう少し我慢できるか?」
「へいき!」
「よし!」
前を行く二台が左右に分かれる。ゼライドは、やや運転技術が劣ると思われる右のバイクの方へ迷わずハンドルを切った。
——挟みうちにされる前に仕留めてやる。
前方のバイクはゼライド追い縋られて余程焦ったのか、振り向きざまにフロントガラスに向かって撃ってきた。二発、三発。流石に距離が近いので防弾ガラスが丸く抉れた。周囲が白く歪んで視界が悪くなる。だが、ゼライドは構わずに車を蛇行させた。
ライダーはゼライドがダメージを喰ったと思ったらしく、振り向いてその動向を確かめている。が、行く手には枝を低く伸ばしたクビツリノキが迫っていたのだ。
「ほうら、前方不注意だぞ」
ゼライドが言い終えぬうちに、張り出した太い枝で後頭を強打したライダーが地面に投げ出された。首を折ったに違いない。大きくは吹き飛ばなかったが、最早男は動かなかった。
「三つめ。後一つだ。さて――どうしてやろうか?」
ゼライドの酷薄な言葉はしかし、上空から迫る爆音で遮られた。
バラバラバラ
「今度はなんなの⁉︎」
「ヘリのようだな。敵か……いや、あれは……」
ユーフェミアは無理な体勢からバックミラーに映るヘリを確認した。ダブルローターの大型機の横腹には、誰もが知っている派手な色のロゴペイント。
あれは――。
「テレビ局……」
呆然とユーフェミアはつぶやいた。




