26.荒野の激突! 1
翌日。
ユーフェミアは定期報告の為に、いつもの専用のルートを使って市庁舎の最上層階のサイオンジ市長の執務室に出向した。
仕事の方は午前中公休になっている。彼女を送ってきたゼライドは同じフロアの別室で待機していた。
「……ざっとこんな感じよ、姉さん」
長々と話し終えたユーフェミアは市長自ら淹れてくれた、淡い緑色のお茶を啜った。香ばしい香りが気分を落ち着かせてくれる大好きなお茶だ。
エリカへの報告は無論、ゼライドの家からほぼ毎晩端末でデータ送信している。忙しい市長に直通電話はなかなか通じないからだ。もっともエリカの方からは深夜に二度ほど直通で様子をたずねてきたが、万が一にも盗聴されている事を考えて、当たり障りのない報告だけだったから、姉妹が会うのはエリカがゼライドに護衛を依頼して以来の事である。
「ふぅん……絶滅した筈の獣の侵入。そしてそれは、バイオテクノロジー研究所の奥深くから盗み出されたものの可能性が高い……。週明けにはミスター・ゼライドがアウト・サークルY地区でゴクソツを含むゾクに襲撃されたものの、返り討ちに会わせると。これはもちろん、被害者からの届けはなかったけど、隠れて見ていた住人の通報で、警察が出動して事後調査ずみ。そしてつい昨日は、ナイツ中毒者の引き起こした爆発現場に偶然通りがかると……一カ月足らずの成果にしてはものすごいわね」
エリカはデータを見ながら呟いた。
「それと、私の大事なスクナネズミちゃんの事も忘れないでね」
姉の読み上げる血生臭い事件の数々を聞き流しながら、ユーフェミアは自分で茶葉を交換し、お茶のお代りを注いだ。繊細な高級茶葉は、二番煎じでは香りも色も飛んでしまうのだ。
「はいはい。ネズミ……ネズミと……」
エリカは形の良い指先で、自分の端末にメモを残しながら考え込んでいた。
「それにしても面白いくらい、たて続けだわね……なんだか……そう、監視されているみたいに。いえ、実際監視されているんでしょうけど、ちょっと不自然すぎるわね」
「でも、一番目はともかく、後は私を狙ったものかどうか分からないわ。二件目は完全にゼル狙い。三件目に至っては単に偶然でしょ」
「ねぇミア、私はとてもそんなに楽観的にはなれないわ。前の報告書の段階では知らなかったけど、その妙な獣……チュードって言ったかしら? あなたの働いている研究所で管理しているものを使って襲ってくるなんて、お膳立てが整いすぎてるわ。しかも、手間暇かけて孵化させて盗み出して……これは明らかな嫌がらせよ。つまり、あなたを通じて私に対する脅し」
どこか呑気な妹に対してエリカは厳しく言った。
「……やっぱりそうなのかな?」
「確実にそうなのです。敵はいつでもあなたの運命を左右できるって、暗に警告しているのだわ。直接手出ししないのは、ミスター・ゼライドが常に傍にいるからで、いない時はあの要塞のような屋敷にあなたを常に閉じ込めている。だから、もしかしたらゼライドを襲ったのは、おそらく……そう……」
「姉さん、その芝居がかった話し方やめてよ」
ユーフェミアはぞっとして身を竦めた。
「え? 普通だと思うわよ? てか、話の腰折らないで。ええと……だから敵は、あなたに手を出す機会を潰してしまった野人、ゼライドを排除しようとしたと考えられます。これも無論、警告のだめ押しね」
「でもゼルが言ってたけど、ゴクソツって、野人だけを敵視する暗殺組織みたいなものなのでしょ? 私と関係あるかな?」
「暗殺組織自体の存在を私は許すつもりはないから」
「つまり、姉さんの政敵とゴクソツがどこかで繋がっているってこと?」
「充分あり得るわね。私は犯罪と犯罪者、犯罪組織に対してかなり厳しい政策を布いているから、ある方面から恨みを買って当然ね。それに……野人を擁護する発言もしているし」
「そうか……」
「ええ、野人だと言うだけで凶悪な犯罪者のように誤解する人は多いけれど、実際に野人が犯罪を起こす率は人間よりずっと低いのよ。ただ、一つ一つの事件が大変なものだったし、大きく報道された。それに彼等の性格や体格と相まって、野人と見れば凶悪犯だと思い込んでいる人が大勢いるのよ」
「ゼライドは優しい人だわ。それにとても紳士なの……ちょっともの足りないくらい」
「私の目に狂いはなかったわねぇ……」
頬を染める妹を仕方なさそうに見やりながら、エリカは言った。ユーフェミアが彼に惹かれるくらいの事は予想はしていたのだ。
「姉さんはいつも間違わないのね」
「そうだといいんだけどね。……で、三件目、昨日の話だわね。あなたは直前までレストランを秘密にしていたそうだけど、そのお店で二時間近く過ごしたのでしょ? 場所が特定出来たら、帰宅ルートを割り出して事件を起こし、あわよくば巻き添えにしてしまう可能性もあるわ」
「ちょっと! いくらなんでも自爆テロなのよ! ナイツ中毒者の! しかも関係ない人が巻き込まれて何人か亡くなっているし……そこまでして……」
「疑う余地のある間は可能性から除外できないわ。この件に関しては警察の捜査を待たなくてはならないけど……最近ナイツ絡みの事件が多発しているから、そっちからも調べないと……あなたの警官のお友だちは……」
「ええ、ウェイ・リンチェイ。彼とはたまに連絡を取っているの」
「彼は信用できる人のようね」
エリカの言葉にユーフェミアはちょっとげっそりした。この姉がそう言うなら、ウェイの生育歴のみならず、両親の出自まで徹底的に調べ上げたと言うことだった。
——やれやれ、ウェイ……気の毒に。小学校の成績まで知られているわよ。
「彼は私の学生時代からの友人よ。ちょっとへらってしてるけど、本当は正義感が強くてとってもいい奴」
「でも振ったのでしょ?」
「……そんなことまで」
姉の情報網はどこまで緻密なんだろうとユーフェミアは肩を落とす。しかし、エリカは妹に構わず壁のモニタにデータを投影させた。そこにはエリカと同じ人種の血が流れた、黒髪の青年が制服を着て映っている。
「あら、この写真最新のね。ハンサムじゃないの。もったいない」
「ホント。ウェイったら、まじめくさっているわ。こう見たら結構いい感じ」
二人の姉妹は似たような感想を漏らした。
「けれど確実な線から進めましょう。……そのヘビみたいな獣……チュードの件は極秘に調査させなければ……うまくいけばそこから手掛かりが見つかる。敵はあなたがその獣の情報に辿りついたとは、今のところ知らない筈だから」
「ええ、機密事項は一般職員のIDじゃ見れないもの。私は姉さんのお陰で特殊なIDを貰っているから……って、これは極秘なのよね」
「気をつけなさい。直接の上司にも漏らしてはいけない機密事項よ。知っているのはムラカミ所長だけ。絶対に漏らしてはダメよ、ゼライドにも」
「でもそれが役に立ったんだから大収穫じゃない。研究所内に犯罪に関わっている人がいるかもしれないとわかったんだから」
——ムラカミ所長ねぇ……なんで姉さんはあのおじさんを贔屓にするのかしら?
ユーフェミアはほとんど会ったこともないムラカミ所長を思い出した。そういえば、彼もエリカやウェイと同じ人種の血を引いている。しかし、その風采はパッとしない、凡庸な見てくれの人物だ。
「ええ、そうね。直ぐに所長に言って極秘裏に調べさせるわ」
「わかった。でもあの所長さん、人は良さそうだけどなんだか頼りないって皆が言ってるわ。おっとりして、会議でもいつも何も言わないらしいし。口の悪い人はミスター・イエスマンって言ってるのよ。元々全然違うの畑の人で、バイオが専門じゃないんでしょ? バルハルト室長の方が断然人気も人望もあるけど」
「目から鼻に抜ける才気だけが、有能な人物を示す事にはならないわ。知ってる? 旧世界にかつてあった都市国家の諜報部員の選抜条件は、いかに人が良さそうに見え、騙されやすそうか、だったのよ」
「へえっ! じゃあ、あのムラカミ所長はもしかしてすごいデキブツだってこと?」
ユーフェミアは本当に驚いたようだった。
「私はそんなことは言ってないわよ。まぁ深く詮索しないこと。あなたは直ぐ顔に出るからね……それからネズミの件だけども」
「ただのネズミじゃないわ。スクナネズミ!」
「ええ、それ。その件は……」
「姉さんが控えろって言ってもやりますからね。もしかしたらナイツに対して大きな成果が出るかもしれない。科学者のカンがそう言ってるの」
姉の様子に不審を感じたユーフェミアは慌てて彼女を遮った。
せっかく、憧れのバイオテクノロジー研究所でチームを組めたのに、志半ばで頓挫してしまうのは忍びない。最初こそ姉の口利きで叶えられた職ではあるが、それでもその後のことはユーフェミアの努力で得たものなのだ。
「あなたのカンは今まであんまり当てにならなかったのではなくて?」
「今まではそう。でもこれからは違うの……なんか……そう、生まれ変わった感じするんだよね。こう……目標が見えてきたって言うか……やる気に溢れて来たって言うか……」
「……それはもしかして『彼』の所為?」
「う……そうかな? そうかも」
ここで上手くはぐらかせると思うほど、ユーフェミアは姉を舐めてはいない。無論ゼライドのことである。
「彼を好きになった?」
「うん……多分。でも伝えてないけど。ゼルは私の事、仕事の対象だと思っているみたいだし、人間にあんまり好意を持っていない様子だし……けど、最近は少しだけ私に心を許してくれたかも……」
「依頼人に手を出すようなプロはいないわ」
「彼は最後まで守ってくれるって言ったわ。もしかしたらこの件が終わっても、友だちくらいにはなれるかも」
姉の冷静な分析に抗議するようにユーフェミアは言い募った。
「どっちみち辛くなるわよ。私は野人を認めているけど、やっぱり人間と違う種なのは確かだから」
「……私は他の野人を知らないから何とも言えないけど、ゼルはすごく繊細な人だと思う。人間に対しては複雑な思いを持っているようだけど……私にはわかるの。彼はすごくいい人」
「だけど本気にならない方がいいわ。彼は……彼らは、私たちとは精神的な意味で交われない人だと思う。だからこそ、法で擁護しようと思っているのだけど」
「……でも」
——姉さん。ちょっと遅かったかも。もう私半ば以上本気になってる……
しかし、ユーフェミアはその事は今は黙っておく事にした。目下の重大事は恋ではなく、自分の命と姉の名誉、そしてゼライドを狙う敵の事なのだ。これらがもし絡みあっているとしたら……。
ユーフェミアはしっかりと顔を上げた。
「姉さんのやってる事は正しいわ。犯罪の取り締まりと、野人とは切り離して考えるべきだと思うもの」
「そうね。まぁ、この話は今は置いておきましょう。それどころではない事ぐらい、あなたにもわかっているはずだし……それからスクナネズミの件も承知しました。認めましょう、しっかりと研究に励みなさい」
エリカは妹にしっかりと釘を刺しながら、飴と鞭をうまく使い分けた。
「本当! 嬉しい! 私頑張るわ! 頑張ってきっとナイツの根絶に至って見せる!」
「ミアったら……まさかいくらなんでもそこまでは」
素直に喜びを表している妹を見つめてエリカは僅かに微笑んだ。
今なら事態はまだそれ程ではないと判断したからユーフェミアを野放しにしているが、エリカがその気になれば、妹の自由を奪う事ぐらい、端末を操作するのと同じくらい簡単なことなのだ。無論、妹の身の安全の為である。彼女にとってもユーフェミアは守るべき愛する家族なのだ。
だが、まだ暫らくは泳がせておいてもいいだろう。ゼライドという護衛もいる事だし。それに、もしバイオ研究所の内部に裏切り者がいるとしたら、ユーフェミアがいる方が都合がいいかもしれなかった。
研究所は市の最重要施設の一つである。妹をそこに置くことで、研究所内は安全だと敵に思わせる事ができるのなら、いつかは尻尾を出すかもしれないのだから。
——それはおそらく、ユーフェミアに近い人物。同僚、上司、知人……おそらく、もう接触を図っている。ネズミの研究チームには何人かが立候補したと言う事だったし……。この子は広く浅く付き合うタイプだから、気をつけないと。
「余りやりすぎないようにね。あなたは夢中になると他が見えなくなる人のだから、ミア」
「わかった。姉さん、姉さんは市長としてこの街を守って。私は私にできる事をする」
「充分気をつけてね……報告を怠らないように。私からも何かわかれば連絡します……本当に気をつけて……私にはあなたしか家族はいないのだから……」
エリカはその白い額に気懸りそうな色を刷いて、妹の頬を突いた。




