24.人と野人 2
「ゼル! こっちよ!」
にこにこしてユーフェミアが駆け寄ってくる。
ゼライドは今気がついたように振り返ったが、もちろん彼の耳は、遠くから駆けてくるユーフェミアの足音を聞き分けていた。
その後に数人が続いているようだ。いずれも女のものだろう。
最早、研究所のゲートに迎えに行くのは日課のようなものだったから、ゼライドはどうすればあまり目立たないか心得ている。ただ、わざわざ自分をめざして寄ってくる人間達を遠ざけるのは、さすがに難しかった。
「ぜぇるぅ~」
語尾にハートをつけてユーフェミアを押しのけた女は同僚の美人、ソニアである。
初めての邂逅以来、不撓不屈の努力で終にソニアはゼライドに名前を覚えて貰うところまで漕ぎつけたのだった。但し、ユーフェミア以外は、彼を単にゼルと言う名前でしか知らない。
一般人こそ知られていないが、その道ではゼライド・シルバーグレイと言う名前は有名らしいので、妙な詮索をされないようにユーフェミアは細心の注意を払って、彼をフルネームで呼ばないようにしているのだ。
「今日は私の招待に応じて下さって嬉しいわ。今夜は思い切り飲みましょうよ!」
「ちょっと、ソニア! 何が私の、よ!」
ユーフェミアは小声で突っ込みを入れた。
そう。今日は以前からユーフェミアの同僚達からせっつかれていた、ゼライドを交えての――というより彼がメインの食事会なのである。
食事会という言葉が似合わない黒衣の大男に秋波を送る気満々で、ソニアは大胆なスリットの入った私服のワンピースで、ゼライドの腕に絡みついた。余りにあからさまな同僚にユーフェミアは露骨に顔を顰める。
「俺は酒を好かんと言わなかったか?」
彼は絡められた腕を如才なくさらりとかわして不自然でない距離を取った。
そんなゼライドを見てユーフェミアはやっぱり複雑だった。その何気ない仕草は、この男が数々の女達をあしらってきた事を示すものだったからだ。だが、ソニアはそんな事は感じなかったらしい。
「だったら、お料理をいただきましょう! 今日のお店はお魚が美味しいの。隣の席に座らせてね」
「じゃあ、私が向こう隣りね」
別の女性が割って入った。コーラと言う、厳選な抽選の末に難関を突破した幸運な同僚である。ユーフェミアを入れて女性陣は三人になる。
「ちょっと! 私を抜きで勝手に話を進めないでよ!」
ユーフェミアが女二人に何とか割り込んで言った。
「あら、ならあなたも前に座って構わないけど?」
「え!? 前なの? ゼ……ゼルはどうなの?」
楽しみにしていた食事ではあるが、いざ話しを進めてみると同性の同僚達が余りに騒ぐので、人数はユーフェミアとゼライドも入れて四人に制限した。これ以上ライバルが増えては困ると判断したソニアの妥協の選択だ。
元々女性の少ない現場ではあるが、その殆どが一緒に行きたがったのにはユーフェミアも驚いていた。服務中は規律が厳しい職場なので、表には出さなかったが、みんなゼライドに興味津々だったらしい。
「ユミは俺の隣だ」
だが、短い言葉がポジション争いをあっさり決着させた。いざという時に直ぐに庇えるように自分の傍に置いておきたいからだ。コーラがユーフェミアに悔しそうな一瞥をくれる。
「楽しそうだね。僕も行っていいかい?」
「……しゃしゃり出るんじゃないわよ、ロン」
割り込んできたのは陽気な青年研究者ロナウドである。ソニアが冷たい視線を向けたがロナウドは平気だった。
「ツれないなぁ。だって女の子ばっかりじゃ寂しいだろ。これで三対二、キミは両手に花! 僕は片手でいいから。ね、ミア」
「あんたの隣には誰も坐ったりしないわよ」
「……じゃあ、私もいいかな? これで三対三になる。今日は珍しく仕事にきっちり区切りがついたんで、久々にちゃんとした食事がしたいんだよ」
その時、ゲートの脇で盛り上がる集団の後ろから、意外な人物が声をかけたきた。
ユーフェミアの直属のボス、バルハルト室長である。
ユーフェミア達の所属する実用植物部門の責任者だが、専門は微生物という話である。
落ち着いたその美声に、一同は、はっと振り返った。若い研究者たちの視線を一斉に集めて、バルハルトは少し苦笑している。
「室長!」
「えええっ! 室長が⁉︎」
「ひええ!」
「ホントですか⁉︎ これはお珍しい」
ロナウドも驚いている。
「タマには……って思ったんだが、いけないかい? たまには若い人達といろんな話がしたいんだが」
ゼライドを除いて皆口ぐちに騒いでいるが、バルハルトは穏やかな微笑みを浮かべて一同を見渡した。
「いえっ! 是非ご一緒して下さい!」
ユーフェミアは勢い込んで言った。
「そうですよ、室長は密かな人気の的なんですから! 所長より所長らしいって」
ソニアも抜かりなく同意する。
四十がらみですらりと細身のバルハルト室長は穏やかな人柄と熱心な仕事ぶりで、研究所内でも人望のある中間管理職の一人なのだ。そして、次期所長の候補の有力な一人でもあった。
「ありがとう……きみはどうだい?」
室長の殆ど色のない瞳がゼライドに向けられる。
野人は胡散臭そうに一部始終を聞いていたが、素っ気なく頷いて、ユーフェミアの手を引いて歩きだす。
皆は意気揚々とその後に続いていった。
一同が入った店はさほど大きくないレストランだった。
明るく上品な室内は若い客でほぼ満席である。店内はブースに区切ってあっても見通しがよく、暮れかけた表通りの様子も良くわかる。
ユーフェミアはゼライドの言う通り、どこの店にしたかは直前まで知らせなかったので、皆は店の雰囲気を楽しみながら、出入り口に近いテーブルを囲むように腰を落ちつけた。
テーブルはあまり大きくないので、ゼライドは一番外側に一人で陣取った。右には飽きもせず秋波を送り続けるソニア。左にユーフェミア、更にその向こうはバルハルトである。
そしてこの目立つ一同に引きつけられるように、店内にいた何人かの若い男女がテーブルを近づけて話しに加わろうとしていた。多くがゼライドを見つめている。
しかし、何を話しかけられてもゼライドは適当に相槌を打つだけで、料理が運ばれて気ても酒も飲まず、ひたすら自分の嗜好に合うものばかりを食べ続けていた。
「まぁ、すごくよく食べるのねぇ……この鍛え方を見たらさもありなんだけど」
「別に鍛えちゃいない」
「そうなの? じゃあ生まれつきなのね? このきれいな髪も?」
ソニアは彼女を相手にしないでひたすら食べているゼライドの銀髪を手に取った。伸ばし放題で、邪魔になれば適当に自分でハサミを入れるだけなのに、その髪はつやつやと美しい。
「銀色のオオカミみたいね。オオカミなんて標本でしか知らないけど」
「……済まんが、あんまり触らねぇでくれ。他人に不必要に触れられるのは好きじゃないんだ」
「あらごめんなさい。でもあなたの言う他人はどこまでがそうなの? 親しくない人は他人?」
「自分以外はみんな他人だ」
ゼライドは二人の会話を、背中を耳にしてユーフェミアが聞いているなどとは夢にも思わず、ぶっきら棒に言い捨て、揚げた魚を口に放り込んだ。ユーフェミアの肩が震える。
——そうなの? なら、私も他人なの? 本当は触れられたくないの?
「……と考えていたんだが、ミア?」
「……あ、すみません、室長。ちょっと気になる案件があったんで……」
自分のもの思いの理由を、ユーフェミアは仕事にこじつけた。
「やれやれ、それって仕事の事かい? そう言えば、今日も休憩時間にどこかへ雲隠れしていたね……熱心なのも程々にしないと、今に体を壊すよ?」
バルハルトは仕方なさそうに苦笑する。
「私なら大丈夫ですよ。それで何のお話でしたか?」
「私は前回の君の報告書が興味深かったので、少し規模を広げたらって提案していたんだよ」
「え! 本当ですか?」
ユーフェミアはゼライドとソニアの様子を気にしながらも、忽ち上司の話しに気持ちを奪われた。
「ああ、ここ最近の君の研究成果を見て、そろそろ個人的な実験の枠を出てもいい頃かなと思っていたんだ。君は真面目な研究者で、ここに来てからもずっと頑張っていたしね。ムラカミ所長に予算申請を出そうと思っている」
「予算! うわぁ……夢みたいです。あのスクナネズミ達に日の目が当たるなんて……」
「日の目ねぇ……予算と言っても、当面はほんの少しだよ。ただ近々第三実験飼育棟に空き部屋ができる筈だから、君のペットのスクナネズミ達をそこへ移したらどうかな? あそこなら設備も大きさも余程充実しているだろう? 但し、他の業務はそのままだから、今までより忙しくなると思うが、それでもいいんなら」
「はい!」
勢い込んでユーフェミアは応じた。今までは研究棟内の個人に許された小さな檻で数十匹のスクナネズミを使って実験してきたが、飼育棟へ移ると言うことは、複数で研究を進められるのだ。つまり、研究チームができる。これで一気にネズミの数を増やせるし、実験の規模も大きくできるだろう。もしそこで成果を示す事が出来たら改めて予算がつく。これは大きな前進だ。
<ナイツ>撲滅は、実用生物研究室の大きなテーマで、今までにも成果の出そうな研究に大きな予算がついている。その内の幾つかは既に実用化されていて、<ナイツ>禍の小さな防波堤となっていた。
「そうかい? だが拘束時間が増える事になるよ? あんな事があった後なのに、君は平気かい?」
「構わないです! あの時はご心配をおかけしたから、気遣ってくださるのはありがたいんですけど」
あの時とは数週間前、フリーウェイで殺されそうになった事だ。あの時もバルハルトは大層心配してくれていた。そして今も気遣ってくれている。ユーフェミアは、自分がこの上司に認められている事を感じた。
「どんな風に変わるんだ? 説明しろ」
ゼライドが話に割って入る。ちっとも聞いていないように見えて、しっかり話の内容を把握していたようだ。バルハルトは、野人に話しかけられて少し眩しそうにしながらも事情を述べる。
「そうだね。今までみたいに定時で帰宅できるとは限らないと言う事かな? 一応チームのリーダーになる訳だし……」
「はいはい! 僕そのチーム立候補する!」
ロナウドが騒々しく話しに割りこんできた。
「僕のチームのプロジェクトが一段落するから、体が空くよ? 室長、僕も是非ミアのチームに入れて下さい。げっ歯類好きだし」
「ガルシア君か……まぁ、考えておこう」
「じゃあ私も!」
テーブルの向こうからソニアも身を乗り出す。周りに集まった若者たちに笑顔を振りまきながらも、しっかりこちらの話を聞いていたようである。
「だから、遅くなった時はゼル……私も送ってね?」
「ははは、ミア。君はすごい人気者じゃないか、あっという間にチームが出来上がってしまったよ」
「え……? いやでも……」
なんだか下心の方が大きい顔ぶれの自己推薦に、ユーフェミアは余りいい気はしなかったが、折角室長が推薦してくれると言うのに、正面切って文句を言う訳にはいかない。仕方なく、ユーフェミアは二人の若い同僚に頭を下げた。
「……じゃあ、お願いします」
「よろしい。だが、無理はいけない。手に負えないと思ったらすぐに撤退するんだ。君は無鉄砲なところがあるから」
バルハルトは鎮痛な面持ちで諭す。彼の気遣いが感じられてユーフェミアは嬉しかった。
「大丈夫です、室長。慎重に進めますわ。……では、協力をお願いします。ロナウド、ソニア。チームになった以上は成果を出せるように、誠心誠意協力してください」
「よしきた!」
「任せて!」
二人の同僚は利害が一致した模様で、早速意気投合している。
「今までのデータは明日渡すわね」
「よろしくぅ」
「じゃあ、取りあえずチーム・ミアにかんぱ~い!」
ちゃっかり新しい酒を注文していたソニアが意外に真面目な顔をして杯を掲げた。それに唱和して若者たちが口々に喋り出す。
些か頼りない気もするが、研究も、<ナイツ>撲滅も、遊びではないことくらい、卑しくも研究者なら皆よく承知している筈だ。ユーフェミアは即席のチームに早くも希望を覚えた。
彼らは意気投合し、明るい雰囲気で食事が進んでいく。食事会は一気に盛り上がった。
「君は……野人だね」
盛り上がる若者達に理解ある苦笑をむけながら、バルハルトはゼライドに半身を向けた。
「……」
バルハルトにちらりと視線を流しただけで、ゼライドはただの水の入った杯を見つめている。
「いや不躾に眺めて済まないね。こんなに近くで真正の野人を見たのは初めてなんで……生物学者と言っても、専門は細分化されていてね。私は野人に関しては門外漢なんだ。とはいえ、なかなか興味をそそられる。ああ、失礼。長い事科学者をやっていると、こんなものの言い方になってしまって……いつもはシャーレに培養した細胞達と付き合っているもんだから……気を悪くしたかい?」
「別に。珍しけりゃいくらでも見るがいいさ」
「それじゃ遠慮なく。しかしすごい身体だな。ソニア君じゃないが……少しだけ触ってもいいかい? 嫌ならよすが」
バルハルトは遠慮がちに尋ねた。
ユーフェミアは意気揚々と自分の実験経過を同僚に語っている。
「手を拭いてからならな」
「すごいな……こんなに発達しているのに柔かくてしなやかだ。人間ではこんな風な筋肉は付かない。野人とはよく言ったものだ。それにとてもハンサムだ。彼女達が騒ぐのも無理はない。まるで雌の気を惹くために派手に装う動物のようだね」
バルハルトはおどけて言ったが、ゼライドはその声に含まれる僅かな悪意を聞き逃さなかった。野人の青い瞳が細められ、二人の視線がちらりと絡み合う。
「……」
「ハンターをしているんだって?」
「今はただの雇われ護衛だ」
「ああ、しばらく前にミアが暴漢に襲われかけたから」
実際は襲われかけたというものではなく、もう少しで殺されるところだったのだが。
「私は彼女……ユーフェミアの周りの事情は少しは知っていてね、そうかい。君のような野人が彼女の護衛を務めているんだね」
「仕事だ」
「ああ、そうか……いや、彼女はあんなに派手な見かけだが、中身はとても真面目ないい子なのだよ。変な誤解をしないで欲しいと言うか……仕事だけの付き合いに留めて欲しいと言うか……ああ、これでは余計君に失礼だね、何と言ったらいいんだか……私はどうも口下手で……」
バルハルトは、本当に途方に暮れたように口を手で覆った。
「わかってるさ。俺は野人だ。あんたに牽制されなくても人間の女なんかに食指は動かさねぇ」
口籠るバルハルトに低く言い返しながら、ゼライドは一気に杯を飲み干した。その時、キャーと言う声が上がったのでその方を見てみると、後から加わった若い男の一人がユーフェミアを引っ張り、バランスを崩した彼女が男の膝の上に倒れかかる所だった。体の奥から熱い衝動が突き上がるのを理性を総動員して押さえつける。
「けど、あれに余計な虫がつかねぇようにするのも俺の仕事なんで、まぁ気を悪くしねぇで貰いたい」
唖然としているバルハルトにゼライドは、その青銀の目を煌かせて言い放つと、ぐいと立ち上がった。途端に今度は別の方から方々悲鳴が上がる。仁王立ちになった長身の男に店中の女達が注目したのだ。
しかし、ゼライドは構わずに長い脚を振り上げてテーブルを乗り越えた。その勢いにユーフェミアがぱっと顔を上げる。
「あ、ゼル」
「帰るぞ」
そう言いながら、片手をひょいと上に上げるだけでユーフェミアを男の膝から引っぺがした。にやけた顔のまま、硬直している若い男に蔑むような一瞥を投げると、引っ張り上げた勢いのまま唇を重ねる。ちゅうと大きな音が鳴った。
「‼︎」
驚いたのはユーフェミアばかりではない。余りにあけっぴろげな美丈夫の行動は、店内にいた人間すべて視線を掻っ攫ってしまった。
「悪いがこいつに手を出すなよ。俺が怒るからな。さぁ、もういいだろ? 義理は果たした」
そう言い捨ててゼライドは片腕にユーフェミアを抱え上げると、大股で店を後にした。その後ろ姿を女達の黄色い声とハートマークが追い掛ける。彼女達はゼライドの大胆さにすっかり悩殺されてしまったのだ。
そして、バルハルトもまた、その逞しい背中を黙って見送っていた。




