22.混乱の兆し 3
ユーフェミアがパルミラと対峙していた、そのちょうど同じ頃。
ここはアウトサクールの一角、金属加工で知られる街の外れだった。
ゴシック・シティを環状に走る三本のハイウエィの一番外側に広がる街をアウトサークルと言う。いわゆる下町だが、別に治安の悪い地域ばかりではない。しかし、街の外郭にほど近いこの区画に限っては余り評判は良くなかった。真面目な職人たちに混じって中にはあまり公にできない種類の武器や機械を扱う仕事師達が地下で隠れた工房を営んでいる。
ゼライドは馴染みの業者から、頼んでいた小型の改造短銃が出来上がったという連絡が入ったので、引き取りにやってきた。
ユーフェミアの生活圏で行動を共にする時に、大型のライフル銃や、獣を狩るときに使う大口径の銃を持ち歩く訳にはいかないからだ。
「なんか空気が悪い……」
いつもならガラの悪い中にも活気のある街なのだが、昼日中だと言うのに殆ど人影は見えない。この通りの一本前の筋にはいくらか人がいたのだが、仕事をするでなく所在なげにうろつく若者が目立った。幾人かはナイツに溺れているらしく、黒衣のゼライドを密売人と勘違いしてすり寄って来る奴もいたのだ。
ナイツ……ここいらにもかなり浸透してきているな。
ゼライドは辺りに気を配りながら歩を進めてゆく。しかし、しばらく前からねっとりと絡みつく殺気にはとっくに気が付いていた。
「……俺に何の用だ」
短く汚い裏通りの真ん中でゼライドは低く唸った。
威嚇である。大抵のゾクや無法者のハンターはこの声を聴いただけで、本能を直撃する恐怖を感じて引き下がる。引かないものは彼が誰であるかを知る者たちのみであった。
ゼライドは五人の男達に囲まれていた。この十数メートルだけはパッタリと人がいない。彼はそうと承知で踏み込んだのである。通りの片側は古い工場の壁になっていた。
——なんか人影を見ねぇと思ってたら案の定かよ。機械音がうるさい場所を選んだのは気配を消す為だな。
ゼライドは腰を落として構えの姿勢を取った。前方にゾクの風体の男が二人。後ろに三人。隠れて様子を伺っている者もいるに違いない。
ゾクとは、都会に寄生して生きるタチの悪いギャングの総称だ。サイオンジ市長の働きでここ二年、その数は以前より減ったと言われている。しかし、生き残ったゾク達は徒党を組み、高性能の武器を使うテロ紛いの事件まで引き起こすグループも出はじめたと報道は伝えていた。おそらくより大きな犯罪組織から金が流れているのだろう。
右手は工場の汚い塀。左は古びたビルがひしめき合う壁。狭い空を何重にも遮る違法ケーブルの向うにサークルラインの高架が聳えている。逆光の為、影になって見えるが、それでも美しい。あの中は清潔と安寧で満たされているのに、内と外とではこんなに風景が異なるのだ。
「誰に頼まれた?」
「……」
「ま、言う訳ねぇ……か」
ゼライドは逞しい肩を竦めた。
——俺一人の時を狙うって事は、ユミの一件とは関係ねぇ奴らだ。
「お前たちゾクか? ゴクソツに雇われたな?」
断定的な口調に返事は無い。その代わりに包囲の輪がじりっと狭くなった。ゼライドの薄青い目が見据えるのは、一番油断のならない様子で大型の銃を構えた真ん中の男だ。他の連中は派手な鋲付きレザーに身を包んでいるが、この男だけはゼライドと同じく黒一色の装いだった。
「やっぱりシカトかぁ。ママに礼儀作法を教わらなかったんだな」
「汚らしい獣人風情が……目障りだ」
一番近くに立つ赤いジャケットの男が、ゼライドの挑発に乗ったと見せかけて吐き捨てる。それが合図だったようだ。
近くに立っていた大柄な二人が、大ぶりなハンティングナイフを両手に突っ込んできた。ぶんぶんと腕が鳴る度に光が走る。相当鍛えているようだ。二人から繰り出される四本のナイフを躱しながら後ろに引いてゆくが、ゼライドは残りの男達にも注意を怠っていない。彼らは自分がナイフを避けるのに気を取られている隙に、銃で仕留めようと言うのだろう。
ゼライドは後ろ跳びに大きく退きながらコートの内側に手を滑らせると、太股に装備しているホルダーから愛用のナイフを引き抜いた。
「せいっ!」
大きく振りかぶって繰りだされる刃をぎりぎりまで引き付けてから身を捩り、すり抜けざまに男の黒い手袋にナイフ突き立てる。なめし皮が切り裂かれて血が噴き上がった。親指の付け根を深く抉る。指はほとんどちぎれかけていた。
男はうめき声を上げながらナイフを投げ捨てると右手を抑えて、戦線から離脱した。すかさず、もう一人の男が横から迫る。
「くそっ! このケダモノが!」
撃ち掛られるのは予想の内だった。ゼライドは背後に撃鉄を起こす気配を察するやいなや、襲い掛かってきた男の手首を掴み、身を沈めて盾にした。
パン!
「ぐあっ!」
人のいない通りに乾いた音が響く。サイレンサーもつけていない堂々の発砲だ。銃弾は腹に命中したらしい、致命傷かどうかも確認しないまま男を投げ捨てると、ゼライドは手首に仕込まれたワイヤーを放って向かいのビルの看板に巻きつけ、矢のように空中に跳ね上がった。上昇しながら敵の位置を視認する。
——路上に二人、そして小さな路地にもう一人。
俯瞰で敵を見定めながら銃を取り出す。空中を移動しながら狙いをつけるのは至難の業だが、ゼライドの視力と反射能力はそれを軽々とやってのけた。
パンパン!
「ぎゃあっ!」「うぐあ!」
掌を撃ち抜かれて、二人の男達は大きく仰け反った。もう一生利き手で重い物は持てないだろう。手や指を攻撃するのはゼライドの得意技である。しかしリーダーと思しき黒衣の男は、撃たれても執念深く左手に仕込んだ飛び道具でビルの庇の上に下り立ったゼライドを狙った。飛燕の速度で放たれたのは針のような武器だった。それらが五・六本も銀光を引きながらゼライドに伸びていく。
ザリン!
しかし、襲い掛かった針の束は嫌な音をさせて路上に叩き落とされた。ゼライドがワイヤーを引き戻しざま、それらをことごとく弾き落としたのだ。いや――。
黒いレザージャケットが破け、ぼたぼたと血が路上に滴り落ちている。一本だけワイヤーが間に合わなかった針が、ゼライドの左の二の腕を掠めたのだ。
「ちぇっ!」
ゼライドは面倒くさそうに悪態をついた。野人は痛みにはかなり強い。
「あ~あ、せっかくの一丁裏が台無しだよ。お前責任とれ」
そう言いながら銃をぶっ放す。
「うぎゃああ!」
今度こそ男は路上に転がった。股間を抑えて悶絶している。急所を撃ち抜かれたようだった。早く処置しないと命に関わるだろう。残るは後一人――。
「うわぁ!」
身を翻えそうとした男の五モル先にゼライドはひらりと降り立った。
「ひ……ひ!」
腰が引けながらも何とか立て直し、大型の銃を両手で構えている。少なくとも臆病者ではなさそうだ。
「あのリーダーの奴とお前は、ただのゾクじゃねぇ」
「……」
男の喉がごくりと鳴る。
「ゴクソツだな」
「そ……そうだ。俺はゴクソツだ」
顔中に脂汗を滲ませながら男は認めた。
「俺が憎いか?」
「憎いとも。野人は皆憎い。俺の父親は野人に殺された」
男は吐き捨てるように言った。
「そりゃ、気の毒だったな。だがてめぇの親父を殺ったのは俺じゃねぇ」
「同じだ……野人は皆ケダモノだ……うぐぁ!」
ゼライドの拳を頬に喰らい、男は真後ろに吹っ飛んだ。前歯が数本、血の糸を引きながら道端に転がる。
「そうだ。確かに俺はケダモンだ。だが、お前らと何が違うってんだよ、ああ⁉︎」
ゼライドは路上の男を蹴り上げた。鈍い音がしたのでおそらく肋骨が折れたものと思われるが、彼は構わなかった。
「言え! お前らの首魁は誰だ! 言わねぇと、肺をぺしゃんこにしてやる」
「……ぐええ」
男は口から血を流しながらゼライドを睨み据えている。その目には憎悪が色濃く宿っていた。
「言え! 殺されたいのか!」
激昂したゼライドは男の胸に重い革靴を乗せて叫んだ。
「ぐうう……殺……せ、けがらわい……野人……め!」
重傷を負った男はそれでも顔を歪めると、ゼライドのブーツに唾を吐きかけた。
「な……仲間が必ず敵……を討ってくれる。お前ら野人を根絶やしに……な」
「……」
ゼライドは溢れるような怒りをその目に湛えて男を見下ろしていたが、やがてゆっくりと足を退けた。
「くそっ! お前などこのまま野垂れ死ね!」
そう叫んで彼は男の顔の横の地面に拳をめり込ませる。血飛沫が飛び散り、男の顔を更に汚した。彼はそのまま気を失ってしまう。
ゼライドは立ち上がって周りを見渡した。周りで倒れ伏している男達はぎらぎらした目をこちらに向けて入るものの、最早襲い掛かる気力は無いようだった。いずれも重傷を負っているのだ。
「いいか! 命があったらに首魁に伝えろ! お前らは俺達をケダモノと言うが、俺を襲い続ける限り、お前ら人間だって限りなくケダモンなんだってな!」
真昼の路上にゼライドの怒りが木霊した。




