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ビースト・ブラッド ー野獣のつがいー   作者: 文野さと


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20.混乱の兆し 1


 

 

「ゼライド・シルバーグレイ? あの獣人の?」

 男は覗きこんでいたモニターから椅子を回して振り返った。

 薄暗いが豪奢な室内は程良く空調が効いて快適だが、窓が無いせいか空気の密度が濃く、部屋は広いのにどことなく閉塞感が漂っていた。彼はゆっくりと立ち上がると、常備されている二つのグラスに琥珀色の酒を注ぎ、その一つを向きあう男性の前に置いてやる。

 大柄でがっちりした体形の割に優雅な動きは計算されたものなのだろうか。

「旧世界から引き継がれた酒だ。滅多に手に入らぬ代物だぞ」

「これは……痛み入ります。……でさっきの話ですが、あなたもやはりご存じで?」

 応えた男は酒を給した人物とは対照的に針金のように痩せている。縁なし眼鏡がモニターの光を白く反射させ、ただでさえ読み取りにくい表情を更に分かりにくく見せる。

「汚らわしい獣人どもの中でも特に目立つ奴だからな、顔ぐらいは知っている。それが……?」

「どうやら彼は、あなたがお気に召している娘の警護の任を引き受けたようです。ばかりか、娘は彼の家で共に起居しております」

「ふぅん」

 男は酒を舌の上で転がしながら言った。

「なるほどね。奴がサイオンジ市長の妹の護衛にねぇ。しかし、考えてみたらさもありなんとも言えるな。偶然とはいえ、襲われた彼女を間一髪のところで救出したのが彼であったのだとしたらね。サイオンジは決断が早いので有名な女だし……」

「はい。それで、動きを見る為に先日、少しだけ揺すぶりを掛けてみたのです。私の独断で申し訳ないのですが……何もデータがないと言うのも……」

「ああ、いいよ。それで? どんな事をしかけたのだね?」

 鷹揚な態度は彼がそれなりの地位にあり、格下のものから常に恭うやうやしく接っせられるのに慣れている事を示すものである。

「監視役の者から、どうやら窓に僅かな隙間があるようだと言う情報を得たのです。こんな事は今までに一度もなかったのでこれ幸いと、たまたま手元にあった小型の獣を侵入させてみたのです。まぁ、これは言うなれば私の分野でございますので」

「なるほどね。曖昧極まりない手だね。ま、奴は騙されないだろうが、仮に通報した所で、間抜けな当局なら偶然の可能性も捨てきれないと判断するだろう。隠れて禁止されている小さな獣をペットとして買っている金持ちはざらにいるからねぇ。それら逃げ出した事件も実際にあったし。上手うまいよ、実に巧妙だ。で、それで何か変わった事でもあったかね?」

「その夜は特に。悲鳴も銃火器の音もしなかったので、野人は上手く獣を仕留めたものと思われます。しかし、それから……大きな変化ではないのですが、二人の関係が微妙に親密になった気配が感じられます」

「ほぅ……根拠は?」

「ありません。私の……その……感覚です。データが極めて少ないので、非科学的だと思われても仕方がありませんが」

「確かに君にしては珍しいね……でも非科学的だとは思わないよ。大体君は観察が仕事じゃないか。だがそうだとすると……」

 そのまま彼は沈思黙考に入り、長い間グラスの酒が揺れるのを見つめていた。痩せた男はそんな彼に慣れているらしく、その思考の邪魔をせずに黙って正面に座っている。やがて男は一息に杯を煽ると、待機している男に楽しそうに笑いかけた。

「ミスター?」

「面白いな」

「……面白いと?」

「そうだ。良くも悪くも私の注意を引きつける彼らが、うまい具合に絡み合っているんだ。これを面白いと言わずしてなんとする?」

「は……で、どうされますか? しばらく様子を見ますか」

「そうだな。取りあえず君は娘から目を離すな。当分一人にはなるまいが、それでも若い娘の事だ。その内隙も出ようよ。ふん、野人と仲良くしておるのか。見かけどおり、頭の軽い軽薄な娘なんだろう。しかし、死を決した時のあの顔は大変にそそられるものがあった。是非間近で見てみたいものだ。あの女の妹とあれば尚の事」

 酒の杯が揺れるのをうっとりと眺めながら男は呟いた。

「……で? 下司な野人は娘をさっさとモノにしてしまったと言う訳か? まぁどうせ処女ではあるまいが、あの清廉潔白を身上にしているサイオンジの妹だからな。あからさまに蓮っ葉な振舞いもしづらいだろう」

「しかしながら」

 上質なものに囲まれながら、滑なめらかに下卑た事を口にするこの男の言葉を痩せた男は無感動に受ける。

「少なくとも表面上、肉体関係のある様子はありません。親密さが増したと言っても、娘がのぼせているだけで、野人の方はあくまで契約に基づいたビジネスライクな関係のように振舞っております。娘は感情を隠すのが得手なタイプではないので、何かあったらわかると思うのですが、今のところ、奴の外見に魅せられていると言ったところでしょうか? 周りの女たちも騒いでおるようですが、野人の方は女には無関心な態度です」

 一気にそれだけを喋ると彼はグラスの酒を舐めた。たった一杯で労働者の数カ月分の家賃に相当する酒も、彼にとってはなんの感慨をもたらすものではないらしく、直ぐに杯を置く。目の前の男はそれを憐れむように眺めてから言った。

「ふん、野人には頑丈で大ぶりな自分と同類の女がいいのだろうよ。あいつらの交合は激しいと言う話だからな。……ふん、汚らわしい野人の男など、どうでもいいが、あの娘には偶然・・でも構わないから会ってみたいものだ」

「はい」

「だがまぁ、真の意味で私の前に引き摺りだすのは、もう少し準備を整えてからにしておこうか。……それとは別に、アウトサークルでの活動だが」

 アウトサークルと言うのはゴシック・シテイの一番外側を走るハイウェイのさらに外側、つまり下町の総称である。一般に余り豊かではない労働者階級の住まう街だが、一般的な集合住宅地が多くを占める半面、一部では極端に治安の悪い地域もある。大都市が大都市であるが故の影の部分である。

「新たに何か?」

「ああ。ゾク共のリーダーに申しつけて、少し派手に暴れて良いと言ってやれ。報酬に純度の高い<ナイツ>をくれてやってな。多少死人が出ても構わん」

「成程、治安を乱して市長の再選を阻むおつもりですね」

「君、何を言っているんだね? 再選どころか、この街の王座からあの女を引き摺り下ろしてやるのだよ。エリカ・サイオンジはその高潔な思想とは裏腹に、任期を全うする事も出来ずに不名誉な辞職を遂げるのだ。これまでの功績なぞ塵になってしまう」

「……わかりました」

「ああ。だが、くれぐれも慎重に。これが私の信条だからね」

 男はそう言って低く笑った。その滑らかな微笑みは、痩せた男に何故か爬虫類を想起させた。

「……は」

「期待しているよ。シャンク」


「これでシチューの仕込みはよし!」

 ユーフェミアは大きな寸胴ずんどう鍋の火を止めた。これで半日くらい寝かせるといい味になるだろう。最近出来る料理が増えた。もっとも殆ど滅多に失敗しない煮込み料理ばかりだが。

 ゼライドと一緒に暮らし始めて既に二週間が経つ。その間、一度だけ奇妙な獣の侵入があった他は脅迫めいたものも無く、拍子抜けがするほど平穏無事に日々が過ぎていった。もっともゼライドの方は常に警戒を緩めず、常にセキュリティをチェックし、夜も幾度も見回っているらしいが、一般人のユーフェミアはそのような緊張状態は長くは続かず、一時の恐怖から嘘の様に立ち直ってしまった。寧ろ少しぐらい何か起きてくれなければ、ゼライドが自分から興味を失ってしまうのではないかと言う気さえする。

 ——あれだって自分を狙ったものではないかもしれないんだし。

 ついそう思ってしまう軽薄な自分が嫌だ。

 あれから、二人の仲は何も進展はしないが、後退もしていない。ユーフェミアはゼライドに益々惹かれ、ゼライドもユーフェミアを取りあえずは認めてくれるようになった。それだけでも満足しなくてはならない事はわかっている。時々ではあるが、一緒に食事をとってくれるようになったことだし。

 ——でもね、一を得ると、その次はって思っちゃうところが人間なのよね。

 彼は野人だからからなのか、それとも彼個人のスタイルなのか、空腹にならないと食事を全くしないのだ。そして空腹になるのは大体三日に一度くらいで、一度の食事で相当な量を摂取する。そして本気で我慢しようと思えば、一週間ぐらい何も食べなくても大丈夫だと言うのだ。これは野人と言う種が、原始の血を色濃く残しているからではないかとユーフェミアは推測している。食物が豊富ではなかった頃には人類だって、所謂『食い溜め』をしていたらしいから。

 だから、ユーフェミアは二日置きにたっぷりと夕食を作ることにした。不思議な事にゼライドは余り野菜を取らない。特に生野菜は殆ど食べない。嫌いとは言わないし、勧めれば少しは食べない事は無いのだが、放っておくとやはり食べない。

 これは生で肉を食べる所為で、ビタミン不足にならないからだとユーフェミアは考え、強いては勧めない事にした。ただ、濃いスープの類たぐいは冷めれば比較的食べられるようなので、料理の経験の浅いユーフェミアは色々調べたり、メイヨー夫人にレシピを貰って、野菜や肉を煮込んだ料理のレパートリーを増やした。

 例の生肉は具合よく切り分け、器や盛り付け方で体裁を整えて食卓に出すようにしている。ユーフェミアにはよく分からないが、火を入れないと言う事に意味があるのだろうと考え、香りや味を損なうようなことは何もしない。ゼライドはそれを何と思っているか知らないが、ユーフェミアが作って出した分は大人しく食べた。本当は足りていなくて、後でこっそり補充しているのかもしれないが、あれほど自分の嗜好を隠していた彼が、一緒に食事を共にしてくれるだけでも大した進歩だとユーフェミアは思っている。

 しかし、やはり欲張りになる自分がいる。少しでいいから自分を女として見て欲しい。確かに以前よりよく口を聞いてくれるようになった。普段からあまり喋る方ではないから、ユーフェミアが話しかけた事や尋ねた事に返事をしてくれるくらいだが、それでも無視はしないでちゃんと相手をしてくれる。もっとも、あの「友だちの」口づけ以来、体に触れてくる事は全く無く、ユーフェミアの部屋に近づこうともしない。言葉が適切かどうかは分からないが、そういう意味では彼は申し分ない「紳士」だった。

 ——紳士な野人ってのも妙な響きだけどさ。だけど、一つ屋根の下に一緒に暮らしているんだからもう少し何かあってもいいと思うのは、やっぱりいけない事なのかな?

 ユーフェミアは洗いものを洗浄機に入れると勢いよく扉を閉めた。

 その日は休日で特に予定もなかったから、彼女は終日家にいる予定だ。ゼライドは少し出てくると言って、朝から車で出て行ったからユーフェミアはこの家に一人である。奇妙な獣の襲撃があって以来、彼は暫く考え込み、この家のセキュリティもいろいろ弄いじったようだった。おそらく昼夜を問わず監視されているので、一人では近所に散歩にも行けない。窮屈だったが、元々彼女のミスで引き起こされた事件だから、文句を言う訳にも行かなかった。

 ——でもさ、日中に堂々と何か仕掛けてくる事はないと思うわ。だって、それこそ正体をばらして逮捕してくれって言うもんじゃない。この街の警察だってそれなりに優秀な筈だし。

 この家にいる限り、何かあったら姉を始め、方々へ連絡が取れるから彼女は特に警戒してはいなかった。それに、姿は見えないが、この家のどこかにティプシーがいる筈なのだ。あの翼竜型の獣は夜行性だが、昼間ずっと眠っている訳ではない。嗅覚も鋭いから、認知しない匂いを嗅ぎつけたら、直ぐに騒ぎ出すに決まっていた。

 夕食の支度をしてしまうとする事がなくなったので、ユーフェミアは報告書の下書きでもつくろうと端末に手を伸ばした。自分の部屋に行けばいいのだろうが、キッチンにいた方が落ち着く。それに彼が帰ってくれば直ぐに分かるし。

 ——どこへ何しに行ったかは聞かない方がいいんだろうなぁ。

 そんな考えを振りはらって、ユーフェミアはキーパネルに指先を走らせた。端末を開くと、ラボ内で彼女の飼育しているスクナネズミ達が旺盛な食欲で<ナイツ>の種子を食べている画像が表示される。これはそろそろ本気で上に報告した方がいいかもしれない。まだ個人に許された範囲での実験だが、もしこれが認められれば予算がつき、もう少し規模を拡大して実験ができる。理解あるバルハルト室長なら次の企画会議で彼女を押してくれるかもしれない。これまでの実験成果をそろそろまとめにかかった方がいいかもしれないと、ユーフェミアは暫く仕事に没頭した。

 だから、気がつかなかった。密やかなヒールの音が廊下をこちらに向かって進んできた事に。


 ふと顔をあげると、一人の女がキッチンのドアの前に立っていた。

「……だ、誰?」

「ああ……あなたがそうなのね?」

 その女はユーフェミアを見ても特に驚いた様子もなく落ち着いた声で言った。おかしな事だが、ユーフェミアはその時、姉のエリカを思い出していた。長身ですらりとしている所は姉に似ていたが、他はどこも似た所はないなのに。肩の辺りで揺れる髪はグレイッシュブラウン。瞳はもっと濃い茶色、肌も白い事は白いが、エリカのようなクリーム色ではなくて、ピンクがかっている。そして如何にも高級そうな凝ったデザインのパンツスーツを着ていた。エリカも自分も絶対に着ないスタイルだった。

「誰なの? この家にはゼルが許した人で無いと入れない筈よ」

 ゲートは登録された人間や車にしか開かないシステムである。普段は鈍なまっている警戒指数を上げたユーフェミアの声が鋭くなった。が、それを聞いても相手は少しも動じず、硬質な微笑を口元に浮かべた。

「私もその許された一人だとは考えないの? サイオンジ市長の妹さん」

「え?」

「私はパルミナ・ニールセン。 ゼライド・シルバーグレイの代理人。パルって呼ばれているわ。よろしくね、お嬢さん」






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