十八番目のお客様
突発的に書いた物語。楽しんでいって下されば嬉しいです。※途中、流産という暗い話が出てきます。短編ですので、好まれない方はご注意下さい。
小さな街から続く、赤い煉瓦が連なる道を歩いて行けば、深き森の中にひっそりと佇む、紫黒色の三角屋根が見えてくる。
ひと昔に建てられたであろう、その洋館は壁の汚れが少し目立つが、何とも言えぬ美しい白壁が印象的な古風な館であった。
小さな喫茶店を営む洋館。しかし、さして大きくないその洋館には、不思議な話がある。
なんでも、店の主人は少年と言えるほどのまだ年若い男で、道に迷った人々をこの世の物とは思えないほどの美味しい紅茶でもてなして、館から出てきた客人はまるで狐に包まれたような、不思議と幸せな気分になるという。
ほら、今日もまた。
深き森に魅せられ、洋館に辿り着いた客人が、一人やってきた…。
******
ある日のこと、一人の旅人が人里離れた洋館を訪ねてきた。
辺りは既に夜が深まり、静かで不気味な森が気配を色濃く映している。ぼんやりと明かりを灯す洋館が、なんとも魅惑的に見える、そんな中。来客を告げる鈴が、扉の開閉と共に森に響いく。
「…ごめんください。」
「はい、いらっしゃいませ。」
店の奥から出てきたのは、まだ成人してはいないであろう、年若い少年だった。
白い長袖のシャツを着、その上には茶色のベストと黒のネクタイ、揃いの黒く踝まであるエプロンを腰にまいている。
「まだ、お店…やってますか?」
「はい、営業しておりますよ。お一人様ですか?」
古びたマントで体と顔を隠した旅人は、コクリと首を縦に振って頷いた。
「ではこちらのお席へどうぞ。」
少年はにっこりと笑って、窓側の席へと流れるように旅人を案内すると、一礼して側を離れた。
「…どうぞ。こちらが当店のメニューでございます。お決まりになりましたらお呼びください。」
マントと荷物を置いた旅人に、少年はコップに入った水と小さな冊子を持ってきた後、踵を返そうと身を動かした。
「…あの、オススメでいいです。」
「承知致しました。しばしお時間を頂いても?」
「…えぇ。」
黒緑の短い髪によく似合う萌黄色の瞳を細め、一礼すると少年は店の奥へと消えて行った。
「お待たせ致しました。当店オススメ、特性オリジナルティーでございます。こちらは、ふわふわホットケーキ。シロップをかけてお召し上がり下さい。」
しばらくして、丸い銀のお盆を片手に席へと戻ってきた少年は、湯気が立ち込めたカップを右側に、丸い白い皿を客人の前へと静かに置いてそう説明した。
「…美味しい。」
一息ついてからカップを手に喉を潤した客人は、思わずそうこぼして笑みを浮かべた。
「そうでしょう?当店自慢の紅茶ですから。」
にっこり笑う少年は、窺っていた客人の顔の変化を見て驚いたように声を上げた。
「…おや、どうされました?」
見れば、涙を流しているではないか。
さり気なく懐から布を取り出すと、そっと金髪の客人に差し出した。
「ご、ごめんなさい。」
その布を手に持ちながら、そう呟いた女性に、少年はゆるゆると首を振って言った。
「お辛いことがあったのでしょう?…謝らなくて宜しいんです。泣きたい時は泣けば。…どうでしょう、こんな年若い僕でもよければお話をお伺いいたしますよ。」
「…でも。」
戸惑う客人は、その蜜柑色の瞳を始めて少年に向けた。少年は、さして急かさないように静かに隣の木椅子に座って、客人に笑いかけた。
客人はしばらく迷っていたようだが、ぽつりぽつりと身の上を話始めた。
金髪の髪に蜜柑色の瞳を持つ客人は、名をケイと言った。山を三つ、険しい谷を一つ越えた場所に彼女の故郷はあるという。小さな小さな村なその故郷は、人口も少なく、結婚するときは親戚同士で成り立つのは当たり前であった。彼女も、従兄弟と五年前に結婚し、幸せな日々を過ごしていた。
しかし、子はなかなか出来ず、漸く念願の子供が出来た時には、結婚八年目となっていた。
「…結婚八年目にして、漸くの子供。夫も初めての子供に大喜びでした。」
そんなある日、彼女が散歩に出掛けたことのことだった。その日は、うっすらと道に結露が出来、散歩するには不似合いな日。けれど、あまり外に出掛けていなかった彼女は、ちょっとだけと足を伸ばした。
思うように動かない身体といつもとは違う道、いくら気をつけていたとは言え、足を滑らすことは必然的だった。
「…流産でした。ようやく出来た、あの人ととの子を、わたしの不注意で。わたしが、散歩などにでなければ…。」
責任を感じて村を出てきたと声を詰まらせて泣く客人に、静かに聞いていた少年はそっと彼女の背中に優しく手を添えた。
「お辛かったでしょう。…いつまでも残る思いでしょうが、前に少しずつ進まなければなりません。今は思いっ切り泣いて、すっきりしたらこの紅茶を飲んでみて下さい。きっと、あなたが進む道が開けますよ。」
すすり泣く女性からそっと離れ、少年は店の玄関前から続く赤い煉瓦をしばし見つめていた。
彼女が幾分落ち着いた頃、再び店の扉が来客を告げた。
「いらっしゃいませ。お一人様で?」
にこやかに出迎えた少年は、やってきた栗毛の男性にそう問いかけた。
「…いえ、人を探しているんですが。ケイっていう女性、この店に来てませんか?」
きょろきょろと店を見渡していた男性は、少年に気づくや否やそう聞いてきた。
少年は、しばし右手の拳を顎に当てて考える仕草をすると口を開いた。
「ケイさん、ですか。どこかで聞いたことがある名前ですね。…あぁ、あちらのお客様が確かそのようなお名前だったような。」
ちょうど少年の背後になっていたであろう、女性の席を男性に見えるように移動した。
「!!!」
「ケイっ!」
女性も驚いて固まっている中、男性は駆け寄って女性を抱きしめた。
「ショウ?どうしてここまで…」
訳が分からないと戸惑う女性に、男性はバカやろうと泣きそうな声で呟いて彼女を離した。
「探しに来たのに決まってるだろっ!」
止まったはずの涙が再び、女性の頬を伝う頃。少年は開け放たれたままだった扉を閉めながら、透明な硝子扉に掛かる店の看板を開店から『閉店』へとひっくり返した。
「だって、わたし。」
向かいに腰掛けた夫に、女性は俯いたままそう呟いた。無言が佇むそんな中、少年が女性が飲む同じ紅茶を男性に差し出した。
「…あの、頼んでませんけど。」
「当店のサービスです。こちらの女性は、十八番目のお客様ですので。」
「…え?」
「十八番目って何か理由でもあるんですか?」
「いいえ、特に理由はございません。では、ごゆっくりと。」
にっこりと笑って去ってゆく少年に、首を傾げる二人だったが、目の前の問題に再び俯いたのだった。
「…俺の元に戻って来てくれないか?」
ようやく口を開いたのは、男性の方で女性をそっと伺った。女性は必死に首を振り、泣き出した。
「わ、わたしの不注意で、赤ちゃんを、殺して、しまったわ。今更どんな顔で、あなたの妻であればいいの?」
「側にいてくればいいんだよ。…昔みたいに。子供のことは、俺の責任でもあるんだ。ケイだけが気に病むことはない。俺も、一緒に罪を償うから。」
傷だらけの女性の両手を握り締めながら、男性は女性に話掛けている。
「あなたはそう言ってくれるけれど、周りはそう簡単には許してはくれないわ。義母様だって、きっと。」
「あぁ、俺がケイを守ってやれなくて、辛い思いをさせたと思う。今度はちゃんと側にいるから…。お前なしじゃ生きて行けないんだ。」
懇願にも似たその声に、女性が涙で濡れた頬を上げた。
「…子供が出来ないわたしでも?」
「いつか出来るかもしれないだろ?」
立ち上がって女性に歩み寄るとぎゅっと抱きしめた。
「…二人で初めからやり直そう。」
男性の静かな声の後、先程とは違うすすり泣く声が静かな喫茶店にいつまでも響いていた。
お互いが笑顔になった夫婦が仲良く、冷めた紅茶を美味しい美味しいと飲み終わった後、いつの間にか奥に消えて少年が再びやってきて笑った。
「仲直り出来ましたか?」
「…えぇ、ありがとうございました。この紅茶、一体何が入っているのか、教えてくださりませんか?」
短い金髪を照れくさそうに撫でつつ、そう言った女性に夫である男性がすかさず割って入った。
「おい。」
「だって…。」
「申し訳ありません。それは企業秘密でして。」
にこにこと夫婦を見ていた少年は、僅かに残念な素振りを見せてそう言った。
残念、と肩を落とす女性をほら見ろと言ってから、男性が少年に言った。
「お会計をお願いします。」
「お代は結構ですよ。」
「えっ!そんな、長い時間お邪魔して…。」
驚いて声を上げる二人に、少年は首を振って拒否を示すと悪戯っぽく笑った。
「十八番目のお客様ですから。」
腑に落ちないと言うような顔つきの夫婦を入り口まで見送ると、満足気な笑みで腰を折って礼をした。
「またのお越しをお待ちしております。」
何度も振り返ってはお辞儀をする夫婦に手を振って笑うと、木々で見えなくなるまでその二人の後ろ姿を見送っていた。
漸く二人の姿が見えなくなると、少年は扉を閉めて鍵を掛けると、エプロンを取り近くの木椅子に掛けた。そして、胸元のポケットから取り出した、蜜柑色の小さな硝子の欠片をカウンターの上におかれた小瓶へと入れた。
「十八番目の涙…っと。」
そう呟いた少年は、うっすらと笑って黒いネクタイを緩めると店の奥へと消えて行った。
残された店内は、少年が消えると同時に真っ暗闇になり、天井にはあちらこちらに蜘蛛の巣がかかり、先程客人が座っていた木椅子には、埃が白く溜まっている。まるで長年使われて居ないかのような店内に早変わりし、洋館はその存在をうっすらと消していった。
数日後、再び夫婦が礼に訪れた時には、風変わりな洋館は森にはなく、雑草が生えた空き地へとなっていた。
******
「ねぇ、お母さん。わたしもそのお店に行ってみたいわ。」
「あらあら、メグにはまだ早いわよ。」
「えぇー!お母さんとお父さんだけずるーい。」
二人仲良く手を繋ぐ母娘を暖かい夕陽が照らしている。赤い煉瓦が続く街並みを小さな娘に、お伽話を聞かせながら幸せそうに歩くのは、長い金髪の女性。
蜜柑色の瞳を不意に上げた女性は、少しだけ立ち止まって今し方すれ違った少年を振り返った。
紙袋を両手に抱えたその少年は、金髪の女性に気づくと同じように歩みを止めて振り返り、被っていた黒い帽子のつばを手に軽く帽子を浮かせて会釈をしてきた。女性は丁寧に腰を折って礼を返すと娘へと向き直った。
「お母さーん、どうしたの?」
「うん?なんでもないわよ。」
「えー?でも今、あの男の人に見とれてたよ。」
「違うわよ。」
「うそだあ。いいよ、お父さんに言ってやるんだから。あっ、お父さんだ!」
「こら、メグ!」
遠くから手を振る茶髪の男性に向かって、駆け出した娘を追って歩き出した女性を眺めながら、少年はぽつりと呟いた。
「…ご来店、ありがとうございました。」
その声は、街に溢れかえる賑やかな声にかき消されたが、気にもとめずに少年は再び歩き出した。
今日もまた深き森に見せられた客人のため、小さな洋館が姿を表して、営業している。
不思議な少年が喫茶店の主人を勤めるあの洋館に、あなたも一度訪れてみたらいかがだろう?
最も、洋館に辿り着いて、少年にお持て成しを受けれるかどうかは分からないが。
「ご来店の程、お待ちしております。」
今日もほら、また。少年自慢の紅茶を頼りに、お客様がいらしてますよ。