PADDLE
春も終わりかけで日差しが中途半端に鋭くなりつつある今日この頃。
学校は恐ろしく退屈で、死にそうだった。
ぼくはスケッチブックの入ったバックを肩に下げ、足元に慣れ親しんだ野良犬をまとわりつかせながら歩いていた。
行き場所は決めてない。
のらりくらりってほどじゃないけどぼくはふらふら行き場所を探すのが好きなんだ。
犬はさしずめお供か。
だからってこれにさらに雉と猿がやってきても鬼ヶ島には行きたくない。
きびだんごも持ってないし。
「あれ」
今日は近くの寺にでも行こうかなと歩いてたぼくは見えてきた目的地に異変を見つけた。
「今日は法事でもやってるのかな……?」
いつもはしない生きてる気配が寺からしてくる。
ひっそりとしてはずなのに、今日はやけにのびのびとしてる感じっていうのかな。
「困ったな」
ぼくは足元の犬を撫でた。
すっかり寺に行くつもりになってたっていうのにな。
今更ほかの場所に行きたくない。
今日は寺から見える町並みをスケッチしたかったんだ。
わんと犬が鳴いた。
ぼくの胸中を察してくれたのかもしれない。
コイツは野良犬のわりに頭が良い。
ぼくは背中に手を置いたまま話しかけた。
「どうする? もうスケッチはやめて一緒にアイスでも買い行く?」
確か近くにコンビニがあったはずだ。
「まぁお前は店の外で待ってなきゃいけないけどな」
どうする?と最後にまた聞こうとしたら、いきなり犬はぼくの手を離れて走り出した。
鳥居目指して一直線。
「ちょっ、寺には行かないんだって!」
ぼくは目を丸くして叫ぶ。
お前今さっきぼくが行ってたこと聞いてなかったのか?
でも当然犬は足を止めてくれなくて、仕方なくぼくも犬にならって走り出した。
スケッチブックの入ったバックが肩からずり落ちそうだ。
やっと追い付いたとき、犬は寺に続く石段を登ろうとしていた。
「だーかーらー駄目だったらー。今来てる人達に迷惑だよー」
言ってみるけど犬は聞耳無しってことで。
コノヤローぼくがあのときハンバーガーあげなかったら、お前今頃ここにいないで餓死してたんだからななんて悪態を吐きつつ、実のところぼくも寺から望む風景を諦めきれないでいた。
「まったく……ちょっとだけだぞ?」
ぼくたちはゆっくり石段を登りはじめた。
少しだけ茂った木々が日陰をつくり、夏になりきれてない空気はまだ寒いくらいだ。
気持良い。
冷たさがぼくの体温を教えてくれる。
学校でも家でも絵しか描けない能無しでも、ぼくは体温を持ってる。
根暗がなんだ。
ぼくはお前らと話してるより犬に話しかけたりカンバスに向かってる方が楽なんだよ、くそう。
根暗で何が悪いんだ。
唇を突き出して眉をしかめていたら、不意に日差しが戻ってきた。
石段を登り終えたんだ。
「あ、れ」
わんと犬が足元で鳴いて、ぼくはいつもと違う境内の姿に呆然とした。
生きてる。
人の息づきがある。
ただ普段よりは人がいるってだけの違いなのに、こんなに違う。
すごいことだ。
同じなのにそれだけで変わる風景もあるって、初めて実感した。
「スケッチ……ッ」
ぼくは思い出したようにバックからスケッチブックを引っ張り出した。
この情景をスケッチブックに写さないで世界の何を写せっていうんだと、本気で思った。
後ろに広がる町並みなんてもう頭になかった。
4Bの鉛筆も一緒に出そうとしたけど見付からなくてバックを除き込む。
あったあった。
犬のわんという鳴き声に顔をあげてまた境内に視線を戻した。
人が寺から出てきたところだった。
三人。
そのうちの一人がこっちを見る。
やる気のないぼんやりとした目が。
「やば………」
逃げないと。
とっさに思った。
場違いな自分を見咎められたくない。
溢れていた意気込みはどこかに瞬間移動してしまった。
他の二人にも気付かれる前に、逃げよう。
なのに、それを阻むみたいに突風が吹いた。
短くはないぼくの髪がなびいて、隠れていた両耳が日の下に晒される。
隠していた秘密も一緒に。
「!!」
驚いて耳を塞ぐように押さえてぼくは石段を一目散に駆け降りた。
一瞬名残惜しく振り返った境内の情景には、まだあの三人がいた。
袈裟と、黒い学ランと、紺のブレザーが網膜に焼き付く。
それと、代わらずやる気のないぼんやりとした目も。
いいなぁ。
くそう。
ああいう虚無に満ちた目つき。
何でも出来るはずなに何にも出来ないで諦めてる色だ。
いいなぁ。
何でも出来るくせに絵しか描かないぼくには縁遠い。
「おいワンコ! 早いって! ぼくを置いてくなっ」
伊達に犬じゃないって速さで遥か前を走る犬にそう呼び掛けても、やっぱり聞耳はない。
あの制服どこだっけなぁと足を動かしながら考える。
隣にいた方の学ランは吹奏楽で有名な高校のとこのだ。
確かこの間そこの部長が国際コンクールで優勝してなかったっけ。
じゃああのブレザーは、県下一って言われてるの進学高の制服かな。
ちなみにぼくの学校は何の取り柄もない中の中。
だったらどうなんだってかんじだけど。
いい加減両手を耳から離しすと、金具に髪が絡まってしまっていた。
もう面倒だからこのまま犬を追い掛けよう。
今日は何でだかどこまでも走れそうな気がする。
今度は風がぼくを後押しするむたいに吹いて、たまらなく気持ち良かった。
瞬間移動した意気込みが戻ってきたようだ。
ああ!
一晩中かけてあの情景とこの気持ちを目に見えるものにしてしまいたいや!
「ねぇ、今夜はぼくに付き合ってくれるよね、ワンワン!」
根暗がなんだ。
ぼくには筆が持てるんだ。
他に何でも出来るけど、今のところ絵を描く以外何もしたくない。
それでいいんだ。
犬がわんと鳴いてぼくを振り返って、嬉しそうに舌を出す。
まるでぼくの胸中を読み取ったみたいに。
頭がいいからお前は野良犬なのか?
人語でそうだよと答えそうだったので、ぼくは問いかけずに足を必死で動かした。
そういえばあのお坊さん、お坊さんなのにピアスしてた。
変なの。
でも、ぼくと一緒じゃないか。
隠した秘密。
知ってるのはぼくとこのワンコだけ。
楽しいな!
楽しいことがしたいから楽しいことしかしないんだ。