ニシエヒガシエ
季節の移り目は似てるようで違う。
例えば、夏は秋へこっそりと姿を変えるし。
秋は冬へと急激に身を落として。
冬は春を穏やかに迎え入れる。
そして今。
春は世界に色をもたらした後、役目は終わったと言わんばかりにあっさり季節を夏へ手渡した。
その変化にほとんどの生き物はすんなり順応しているにも関わらず、何故か人間だけはそれについていけない。
不思議なことだ。
人間は生き物としてカウントされていないのか。
確かによくよく考えれば、人間ほど自然に対して何も生産しない生き物もいない。
馬鹿みたいに全てを食い散らかしてその後はそのままほったらかしなんだ。
人間は必ず自分だけが大事だから。
「ま、これが僕の持論なんスけど」
「へーぇ」
やる気のない返事が耳に届く。
いかにもかったるいといった感じの声だ。
隣室では法事の最後の締め括りとして大人達が宴会を開いていた。
「ちょっと何スかそれー? もう少しちゃんとした反応して下さいよ」
「ぁあ?たかだか十六、七しか生きてねぇガキの開いた悟りなんかいちいち聞ぃてらんねぇよ」
「なっ、そっちだってまだ二十代後半じゃないスか」
僕は畳の上に並んで足を投げ出して座っている坊主に顔を向ける。
と同時にスパンと頭を叩かれた。
「社会に出てからの十年舐めんじゃねえぞ」
「……痛ぇ」
頭を押さえて、叩かれた衝撃で下がった視線を持ち上げる。
最初に袈裟の黒が目に入り、次に銀のピアスが輝いた。
右耳しか見えないこちらからでは三つの銀色しか見とめられないが、向こう側の左耳にはさらにもう二つピアスが刺さっているはずだ。
また、出家する前は地元で頭をまっ黄色にして相当なヤンキーをやってたらしい。
以前本人が言っていた。
これでこの寺の神主サンの孫だっていうんだから世の中おかしなもんだ。
開け放された障子の先に広がる境内の風景に僕は視線を戻した。
日毎少しずつ強さを増す太陽の光に照らされた境内は影を求めて寺の中に逃げ込んでいても眩しいと感じる。
「……お祖父さんとの奇跡の出会いができてなかったら、今の僕と大した人生経験の差なかったと思いますけどね」
反射する陽光を遮るように片目を瞑って僕は憎まれ口を叩いた。
また頭を叩かれると思ったが、今度は何も飛んでこなかった。
「確かになぁ……」
代わりに聞こえたのはやる気のない声。
いや、どちらかというと感慨深い、て感じだ。
僕は何と返事をしたものかと膝を曲げて両腕に抱き込み、同い年の従兄弟が親戚の小さな子達と追いかけっこをしているのをただじっと見つめた。
天然入った従兄弟のぼっちゃんは楽しそうに走り回っていた。
野球部らしいので体力は有り余っているんだろう。
親の勝手な言い分で行きたくもない進学校に行かされた僕としては、好きなことを自由にしている従兄弟が羨ましくてたまらなかった。
この人だってそうだ。
僕は隣を横目で見る。
この人は若い頃、親泣かせなことを散々した割りに、その両親とはあっさり和解。
親友に言われた言葉を契機に上京し、ふらふらして何となく入ったこの寺の神主サンが実の祖父だったそうだ。
この人のお父さまは寺を継ぐのが嫌で駆け落ち同然にお母さまと結婚し、そのまま音信不通だったらしい。
運命的な出会いの相手が腐りかけのじじいじゃなあ。
そのときは苦笑してそうこぼしていたが、声色はどことなく満足そうだった。
そしてこの人は出家した。
過剰なまでに似合っていると自負していた金髪を剃り上げて。
「……羨ましっスよ」
僕にはそんなことできない。
親に言われるがまま机に向かい、親が望む通りの成績を取り。
何一つ自分でやりたいと決めたことはなかった。
それは楽なことでもあるけれど。
「オレの友達にも今のお前みたいな奴いるぜ」
「え?」
急に言われて僕は首を起こした。
知らず知らず膝に乗せていたアゴにズボンの跡がついている。
「そいつこの春まで大学生だったんだけどな、いっつも面倒臭そうにだらだらしててよぉ。やっとこの間どっかの企業に採用もらって社会人になったんだよ」
「はぁ」
「そしたら今度はその面倒臭そうさにさらに磨きがかかってな。一時期コイツ本当に自殺するんじゃねぇかって本気で心配になった」
「その人、自殺しちゃったんスか?」
「いんや。五月病だとよ」
「………」
「あ!お前今オチね〜って思ったろ!」
「えっ? ま、まさか」
「嘘つくな! ったくなんだよ、人が心配してやってんのに」
「心配、スか?」
僕は少し驚いて目を瞬かせた。
オレが誰かを心配しちゃ悪いかと尊大な態度を見せるこの坊サンに、年に一回会うか会わないか程度の僕を気にかける心があるなんて。
言っちゃ悪いが端塵も思えなかったからだ。
「何か、……予想外だ」
「人を見た目で判断すんな」
「や、確かにそうなんスけど」
まだ目をぱちぱちさせていると、頭を叩かれた。
本日二度目。
さっきよりは力弱めだったのかそんなに衝撃はなかったが、痛いのに変わりはない。
これ以上僕の脳細胞を壊さないで下さい、と言おうとしたら、赤い包み紙が目の前に現れた。
りんごあじと平仮名で書かれてある。
「やるよ」
差し出した本人はすでに口をもごもごさせていた。
僕は何も言わないでそれを受け取り袋を破く。
「親が全てじゃねぇんだからな」
小さく、声が聞こえた。
「お前が自分だけで歩ける日なんてすぐ来るんだからよ。忘れんな」
親に縛られて、息苦しい毎日に飽々していた。
操り人形と言ったら少し言い過ぎかもしれないけど、それでも目の前にはいつでも両親の敷いたレールがある。
僕の役目はそこを外れないよう進むだけ。
ただ、それだけ。
「………はい」
この人は気付いてくれた。
僕の中の小さな諦めに。
そして摘み取ろうとしてくれたんだ。
「ありがとう、ございます」
相変わらず日射しは緩やかに強い。
従兄弟みたいに僕はまだあれを真っ直ぐ浴びる気にはなれないけど。
頑張ろうと思った。
気付いてくれる人がいたから。
養われてる間はおとなしくレールをそれないでいてやろうじゃないか




