ALIVE
電車が駅のホームにゆっくり止まって、そしてまたゆっくり動きだす。
これで八回目だ。
僕はつい一時間前からずっとベンチに座ってその様子を見ている。
何でそんな事してるかって?
闘ってるんだよ。
誰にも見えない心の中で。
この体の細胞一つ一つの生への執着とそれを正当化する理性が、死にたいと請い願うイカれた感情と。
頭はさぁ線路に飛び込めと体中に指令を出す。
けれど優秀な理性がそれを拒んで筋肉の動きを止めさせてるんだ。
また電車が入ってきた。
これで九台目。
巻き起こる風がホームを通り抜ける。
「何やってるの?」
僕は後ろからふわりと抱き締められた。
振り返らなくても誰かは分かる。
「また死ぬ事考えてたでしょう」
彼女のくすくす笑い声が僕の鼓膜を優しく打った。
いつもの鈴を鳴らしたみたいに澄んでいる笑い声だった。
何も言わなくてもそこまで分かっているなら頷く必要もないだろう。
僕は静かに瞳を閉じた。
「いつから見てた?」
「最初っから」
「マジかよ」
「マジだよ」
またくすくす笑い声。
僕も目を閉じたままふっと笑う。
彼女の長い髪の毛が僕の鼻にかかるのを感じた。
「死なないでね?」
きっと今彼女は顔を傾けている事だろう。
「どうかな」
「もう、これあげるから」
耳元で何かくしゃくしゃとビニールが擦れる音がした。
目を開くと飛び込んできたのは赤い色。
それと同時に人工的な甘い果実の匂いが鼻をくすぐった。
「飴?」
「そう」
「いつもの林檎味の?」
「そう」
「またかよ」
呟いて口を開けると、彼女は黙って飴をその中に投げ入れた。
甘い砂糖と林檎の混じった味が舌の上に広がった。
「元気出た?」
「もう食べ飽きたからなぁ」
「これは特別な飴なんだからね」
「例の列車のおじちゃん?」
「おじちゃんっていうかお兄さんだったけど」
「は? 何それ」
「おじちゃんって言ってみたらちょっとショックそうな顔してたから面白くって」
お前Sかよ。
言いかけて止めた。
彼女にそれを自覚させたらどうなるか想像がついたからだ。
「その人も災難だなぁ」
とりあえず無難な返事でかわしといた。
十台目の列車は止まらずにそのまま駆け抜けていく。
特急だろうか。
風を切る音と列車の走る轟音がやけにうるさい。
ふいに、ある光景がフラッシュバックした。
一人の青年がホームに立って今の僕のように列車を見ている。
眠たそうに、面倒臭そうに。
人生に飽きていたみたいだった。
あの青年が今頃どうしているのかなんて検討もつかない。
僕に死を意識させだしたあの青年が。
「今度は何考えてるの?」
風に舞っていた彼女の髪がまた僕の前に戻ってきた。
「死ぬ事なんじゃないの?」
彼女にあの青年の話をしても無駄だ。
そう考えて適当に誤魔化す事にした。
彼女は誰からも影響を受けない人だから、青年の話をしてもきっと笑われる。
「嘘吐きは嫌いー」
「じゃ、生きる事」
「大嘘吐きはもっと嫌いー」
けれども勘の鋭い彼女はなかなか騙されてくれない。
本当の事を言う気がない僕はともかく無口を決め込む。
しばらくするて彼女は再びくすくす鈴の音を鳴らし始めた。
此処まで綺麗な笑い声が出せるのは人間では彼女だけだろう、と本気で思う。
「ねぇ。飴、おいし?」
「……まぁまぁ。」
僕は偽林檎を味わう。
そうして彼女の思い出を味わう。
彼女がいる限り、僕があの青年の立つ場所まで行く事はない。
だって僕はこんなに大事な鈴を持っているから。
くすくすくすくす、鈴の音は荒れた水面を落ち着かせてくれるんだ。