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後ろでまたバスケットボールがリングをくぐる音がした。

あたしは腕に抱えていた膝から顔を上げる。

濡れた膝に空気が触れて、冷たかった。

喉から嗚咽が漏れる。

鼻をすすり、あたしは後ろのブロックから背中を離した。

灰色のブロック塀は、座ったあたしの肩より少し上ぐらいの高さしかない。

そのため、体育座りで頭を伏せていれば、あっさり塀の影に隠れてしまうことができるのだ。

そのブロック塀の上には鉄のフェンスがそびえている。

あたしは軽く腰を浮かして後ろを振り返った。

夜のバスケットコートを照らすライトが眩しく涙でうるんだ目に染みる。

まだあの二人はいた。

多分もう一時間近く、ここでお喋りをしてるはずだ。

よく飽きもせず、そんなに一緒にいて何が楽しいのか。

二人から伸びる長い影は仲良さそうに寄り添って、嬉しそう。

あたしは嬉しくない。

あたしに寄り添ってくれる人はいない。

そう思うと、また涙がこぼれた。

嗚咽も漏れる。

指がすがるように目の前のフェンスを掴んでいた。

フェンスにしかすがれない自分が悲しくて、いっそ叫び出したい気分だ。

誰か、あたしの涙に気付いてよ。

思わずポケットの中の携帯に手を伸ばしかけるけど、すんでのところでやめた。

携帯を開いても何も変わらない。

誰とでも繋がれるから、誰かが助けてくれそうな気がするけど、助けてくれるような誰かが、あたしにはいないから。

すごく情けないことだ。

今まで生きてきて、あたしは迷惑も省みずに泣き付ける相手も見つけられてないなんて。

フェンスの向こうのあの二人みたいに、愛する人だって、愛してくれる人だって。

惨めだ、惨めだ、惨めだ。

あたしはフェンスから手を離してその場に蹲った。

黒いアスファルトは、ブロックが作りだす濃い影のお陰より真っ黒。

あの二人はライトに照らされてるのに、あたしは影の中。

ちょうど良いじゃん。

お似合いだよ。

なんて、言えるほどあたしはまだ自分を蔑めないていない。

プライドは一人前って、どんな悲劇。

ふっと息が口の端から漏れた。

ここまで独りでぐだぐだ泣いときながら、まだ自分を揶揄する余裕が残ってることが馬鹿らしかった。

今度は大きく息を吐き出す。

胸の奥を締め付けていた痛みが軽くなる。

お母さんは、あたしがまだ塾にいると思っているんだろうか。

ふと、落ち着いてきた頭にそうよぎった。

嗚咽は止まってないけど、鼻の内側の通りがちょっとだけ良くなったような気がする。

塾なんてとっくの昔に終わっていた。

いつもなら、そのまますぐに家に帰って晩御飯を食べてる予定だ。

でも、今日は無理だった。

心が異様なまでに無理だと叫んだ。

今は家に帰れない、お母さんに会いたくないと。

あたしは鼻をすする。

たまに、お母さんの愛をまとわりつくようだ、と感じるときがある。

濃い、煮詰まった愛。

あの人はそんな愛情をどこまでもあたしに与え続けてこようとするのだ。

それこそ、あたし以外に与える先を失ったように。

けど、あたしはそれをいつまでも受け止めることが出来るほど、もう子供ではなくなってきていた。

絡み付く愛は、あたしの体を重くする。

どろどろどろどろと、そのままあたしはどんどん動けなくなっていきそうで、煩わしい。

それでもあたしは何とか今までやってこれた。

時にお母さんのそんな愛をまだ嬉しく思える余裕だって残っていた。

愛されている、あたしは幸せな子供なんだと。


「なのに……」


嗚咽まじりに出た声は鼻声。

そうだ。

それなのに、お母さんはお父さんを愛していない。

お母さんはあたしにあれだけの愛を与えるのに、お父さんには一滴だって与えようとはしない。

お父さんにあげたくないんだ。

そうなんでしょ、お母さん?

だからあたしに全部くれるんでしょ?

握った掌に爪が食い込む。

ねぇ、欲しくないよ、あたしは。

元からそんなに望んでないよ、横取ってまで欲しくないよ。

皮膚が切れそうな痛みに、あたしは指の力を抜いた。

でもお母さんはあたしにくれるのを止めてはくれなくて。

断ったら、ほら、怒り出す。


「大丈夫、大丈夫。何も考えなくて大丈夫……」


またせりあがってきた涙を必死に拭って、あたしは自分に囁いた。

大丈夫だよ、大丈夫だよ、泣いたって、何の意味もないよ。

そうやって、自己暗示。

あたしを助けるのはいつでもあたし。

寄り添って、涙を拭いて、大丈夫と言ってくれる人は誰もいないから。

いるかもしれないけど、あたしには見付けられないから。

悲しいね、情けないね、惨めだね。

あたしは大きく息を吐いた。

そっと顔をあげて、ブロック塀に手をかけて、フェンスの向こうに目をやる。

伸びる二つの影は寄り添って、なんて幸せな光景なんだろう。

ふいに、ある言葉が頭を過ぎった。


「笑いたいとかは笑えばいいんです、泣きたいときは泣けばいいんです、か」


教えてくれたのは誰だったか。

多分、友達。

担任の先生が言っていたとかなんとかで。

ありがとう、と口の中で呟く。

君自身があたしを助けてくれるとは思ってないけど、君の言葉は偶然にもあたしの心を、気休めではあるけど、楽のしてくれたよ。

もう少し泣いたら、笑って家に帰ることにしよう。

そうすればまたお母さんの愛を黙って受け取れると思うから。

あたしは立ち上がって、脇目も振らず走りだした。

あの二人はあたしに気付いただろうか。

あたしがずっとあそこで泣いていたことに気付いてくれただろうか。

嗚咽が漏れる。

鼻をすする。

あたしは、あたしが独りであそこにいたという事実を、せめてあの二人にだけでも知っといて欲しかった。


それくらいの身勝手は許してよ。

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