コールセンターの女
――だから上を出せと言ってるんだ。お前みたいな下っ端じゃ話にならないんだよ。
私はヘッドセットのボリュームを最低まで落として、欠伸をした。馬鹿のひとつ覚えみたいに上を出せとか、もっとマシな事言えないのかしら。
だいたいこのコールセンターには、上といっても正社員は所長だけ。その所長だってクレーム先に当たるメーカーの社員でなく、メーカーから受電業務を請け負っているアウトソーシング会社の社員。私に至ってはその下請け会社に派遣されているだけで、言わば孫請会社の時給労働者に過ぎない。
私は直属上司にあたる飛島SVをチラっと見た。PCに向かって作業をしているけど、きっとまた求人情報を検索しているだけね。まあこいつも契約社員で、確か私とあまり変わらない時給で働いているんだから仕方ないか。
――おい、聞いているのか。返事をしろ。
「お客様、承っております。それで大変恐縮なのですが、もう少しお声を抑えて頂けませんでしょうか?」
――何だと。お前のとこはお客の苦情を、こそこそ話せと言ってるのか?
「いえ、そうではございません。鼓膜に響いて私の耳が辛くなって参りましたのでお願いしております」
――お前の都合なら、もっと誠意のある頼み方をしろ。
「ではお客様、結構です。どうぞそのままのお声でお続けください」
――ふざけるな。勝手な事を言って謝れ。
「いえ結構ですので、お続けください」
――お前が頼みごとして話の腰を折った事に関しては謝罪しないのか?
「ですので、お続けください」
――謝罪しろ。まず謝罪するべきだろう。
「謝罪は結構ですので、お続けください」
――お前、俺の言っている意味が分からないのか? 俺はな、お前に
「お客様、申し訳ございません。鼓膜が痛くてよく聞き取れません。少々お待ちください」
私は飛島SVを呼び
「上を出せと言っていますが、どうしますか?」
と言った。
「で、どうなの? 収まりそうにないの?」
飛島SVは、いかにも面倒臭そうに答える。
「あと三十分、てとこですかね。随分疲れてきていますし、ブレイクタイムを取ったので少し頭も冷えると思います」
「じゃ、頼むわ。適当に引き回してクロージングして」
「かしこまりました」
私は時刻を確認する。昼休みまで四十五分。ジャストまで引っ張って食事にしよう。
「木村さん、お疲れ。今日もお弁当?」
休憩ルームで昼食中、仁科SVがテレビを点けながら話しかけてくる。いつもは人で溢れかえっている部屋だが、お盆対応シフトで閑散としていた。
「この時間、ランチタイムも終わっていますので」
「そうか。コールセンターは一斉休憩が取れないところが難点だよね。男なら中途半端な時間でも結構食べる所あるんだけど、女性は色々大変だ。でも十四時休を希望していなかったっけ?」
「はい。朝がっちり食べるんで昼休は遅めの方が。お弁当はもっぱら節約のためです」
私が笑うと、仁科さんも笑った。この人は以前、官庁御用達企業に勤め、得意技は場所を選ばない土下座という、自称「謝罪専門の営業マン」だった。何かミスを起こすと唯々頭を下げるというだけの仕事をしていたそうだが、勤務先が謝罪じゃすまない大不祥事を起こして倒産。それで転職してきた。
仁科はソファに腰掛けながら続けた。
「さっきの電話、ちょっと時間オーバーしていたけど?」
「はい。十四時丁度まで引っ張ろうとしたら、変になつかれて十五分オーバーしました」
「加減が難しいんだよな。で、そいつ何言ってたの?」
「えーと、何だっけ。そう、最初は商品苦情だったのですけど、そのうち経営批判になって、それから……忘れました。途中から聞き流していたんで」
「ははは。レポートはもう出したの?」
「飛島さんが、食事が済んでからでいいって」
「じゃ、適当に書いといて。戻れば交代で奴が休憩になるから俺に送ってね。即行で所長に転送して終了だ。まったく、クレイマーは迷惑だよね」
「でも、そういう人達がいるから私達の仕事もある訳で。私、クレイマーって嫌いじゃないです。電話が長引けば時間も潰れて、仕事も楽です」
「なるほど、確かにそうだ。クレイマー様々だ」
私は仁科と密やかに笑いあった。
◇
「ねえ、お肉に髪の毛が」
彼と入ったホテルの店でしゃぶしゃぶを頼むと、出された薄切りの肉に髪の毛が一本混ざっていた。
「本当だ。こういう高級店では滅多に無いミスだね。取り替えて貰おう」
彼は微笑むとスタッフに顔を向けた。
間もなく新しいお皿が運ばれてくると、店長と名乗った男が深々と頭を下げた。
「ご不快な思いをさせて、大変申し訳ございませんでした」
「いえ。まったく気にしていませんから。それにきちんとした対応に感心しました」
彼はいつだって怒らない。それに誰に対しても丁寧な言葉で話す。普段くだらないクレイマーを相手にしている私にとって、彼は尊敬出来るパートナーだ。
食事を終え化粧室から戻ると、彼がレシートらしきものを見ながら首を傾げていた。
「どうかしたの?」
私が声をかけると
「この明細、英語で書かれているんだけど、取り替えて貰ったお肉の分も会計に入っているみたいなんで、少し驚いただけ」
と笑った。
「それは何かの間違いよ。店長を呼びましょう」
「いや。今は君とのデートの方が大事だ」
彼の優しさは強い自信の表れだと思う。自分の弱さを誤魔化す為に、優しさを装う男にはうんざり。私は小さく頷くと彼と腕を絡めた。
◇
――お前、いい加減にしろ。木村とか言ったな。舐めてたらぶっ殺すぞ。
「それは恐いです。今すごい恐怖感に駆られています。本気で仰られているのでしょうか?」
――当たり前だ。そこの場所も分かっているんだ。ネットで調べたからな。いまから刺しに行くからな。
「さようでございますか。それでは少々お待ち頂けますか?」
私は音声をミュートにしてSVを呼んだ。仁科さんがのんびり現れ、いつものとぼけ顔で
「どうした?」
と笑う。
「ぶっ殺すそうです。これから刺しに来るんですって」
「そう。で、木村さんはどうしたいの?」
「今週で退職しますし。どうでもいいんですけど。仁科さんも辞めるんですよね?」
「そうだよ。だから好きにしていいよ」
「じゃあ、百十番します。私ここから掛けますよ。私の暴走で構いませんから」
「ああ、そう。別に俺が掛けてもいいけど、その形にしておくか」
「いったいどういう事なんだ。お客様を警察に通報するなんて」
会議室で、メーカーの課長、コールセンター運営会社の所長、それと私が登録している派遣会社の担当社員、その他よく分からない偉そうな人達から囲まれた。隣には仁科SVがいる。
仁科SVが何か話し出そうとしたので、私が先に口を開いた。
「何か支障でもあるのですか?」
「何か支障でもだと、自分がやった事が分かっているのか。お前はな、うちの会社の信用を著しく傷付けたんだよ。相談室に電話してきたお客を怒らせて、その挙句百十番するなんて、何を考えているんだ。客はマスコミに告発すると言っている。いいか、このままじゃ済まさないぞ。お前もお前が勤める派遣会社も損害賠償で訴えてやるからな」
机を叩きながら二十代後半と思える男が怒鳴り散らした。多分こいつがメーカーの担当社員なのだろう。前に一度くらい見かけた事があるかも知れない。
「それは本気ですか?」
「当たり前だ。お前、二度とこの業界で働けると思うなよ。ブラックリストに載せてやるからな。何がクレーム対応のプロだ、馬鹿野郎」
「他の皆さんも本気ですか?」
私は周囲を見渡した。
「とにかくお客様に謝罪だ。それからだな」
「お前もご自宅まで同行して頭を下げろ」
「派遣会社の賠償はそれからだ。こんな女に払える額じゃない」
次々に知らない人達が口を開く。
「まあいずれにしても、まず警察の方を抑えないと。お客様が事情聴取を受けている段階で訴えは取り下げたので、後はあなたが警察に出向いて、勘違いだったと申し開きして、それで終わりにしましょう」
ひまわりのバッチをしている人が場を制するようにそう言って私を見た。
「つまり会社としては、今回の件は私の方の落ち度で、お客様の言葉は問題にしないという事ですか?」
「録音テープを検証しましたが、お客様側には問題が無いと判断しました」
ひまわりは探るように私を見ながらそう言った。
私はなるべく静かな口調で
「それでは仕方ないですね。私個人として、今回のお客様を脅迫罪で刑事告訴します。相手は私が勤務している場所を調査済みで、これから刺して殺すと明言したのですよ。会社とは一切関係なく告訴します。それから、私をブラックリストに載せるとか言ってましたね。この会議の内容は録音させて頂きましたので、それを含めて今回の件をすべて、私が、マスコミに告発します」
と言った。
ひまわりが渋い顔をしたのと、メーカーの担当社員が青ざめたのは、ほぼ同時だった。
隣の仁科SVが間を置かず
「今回モニタリングしていましたが、私も極めて危険な状況であるとの認識でした。木村さんは恐怖に震え業務を続けられる状況ではなかったです。お客様は明白に木村さんを脅迫する文言を繰り返し述べていました。裁判になれば、そう証言します。今回の録音データが無くなる事は、あり得ないとは思いますが、念の為申し上げておきます」
と勝ち誇ったように言った。
◇
待ち合わせの駅前ビルに着くと、仁科は携帯で誰かと話をしていた。私が軽く会釈すると、手を挙げて応えすぐに電話を切った。
「なんか久々の感じがするけど、まだ会社を辞めてから二週間しか経ってないんだよね」
仁科は前と変わらぬ、とぼけた笑顔だ。
「そうですね。同窓会みたい」
「とりあえず、店に入ろうか」
私達は、近くの高層ビルの地下にあるビストロで乾杯をした。
「結局、メーカーから業務委託を切られて、あの部署すっ飛んだ」
「皆さんにはご迷惑をお掛けしました」
「別に木村さんが悪いんじゃないよ。うちの会社にとっては結構痛手だったみたいだけど、木村さんは当然の事をしただけさ」
「でも……」
私は一応しおれた振りをした。
「ほんと、全然気にする必要ないよ。俺も出ない筈の退職金を貰えたし、派遣のみんなも契約満了までの給料と同額の補償が出て喜んでいたよ。働かなくてお金貰えてラッキーみたいな。長く勤めようとしていた人なんて、あのセンターにはいなかったからね。それに俺、次の就職決まったんだ。また土下座営業だけどね」
仁科はグラスを持ち上げウインクした。
「そうですか。ならいいんですけど」
私はそう言ってワインを一口飲んだ。
もっとも多額な金を得たのは間違いなく私だろう。退職金名目だったが、事実上の慰謝料兼口止め料で一桁違いの金額だ。
「それでさ。驚いた事にあのメーカー、コールセンター業務をTソリューションと契約したらしい」
「Tソリューション?」
「そう。実は俺もこの業界に入るまで知らなかったんだけど、日本屈指のクレイマーであるSが起こした会社らしい。CMには、と言うか俺達SVにも開示されてない情報で、悪質クレイマーのブラックリストがあるんだ。こっそり所長権限でネットワークに入って盗み見したんだけど、実質、日本ナンバーワンのクレイマーがS。歴戦の猛者であらゆる会社が泣かされている。不思議な事にSは一切金品を受け取らないらしい。趣味でやっているのかな。で、そいつが最近作った会社がTソリューション。笑える事にクレイマー対策の会社なんだ。正しく毒を以って毒を制すって感じ」
「ハッカー対策でハッカーを雇うようなものですかね?」
「そうだね。あっと、木村さんをブラックリストに載せるとか言ってたけど、あれはコールセンターで重大トラブルを起こした、スタッフ情報なんだよ。でも会社内部の人事情報で他の企業に出ることは無いから安心して」
「そうですか。良かった。後で訂正されたけど、ちょっと心配していたんですよ。もう一生働けないんじゃないかって」
それから私達は一時間ほど飲食を共にして別れた。仁科は最後まですっとぼけた顔で、にやりと笑うと手を振った。
さようなら仁科さん、もう一生逢う事は無いでしょう。私達はクレームがあるから、クレイマーがいるから生きられる同士よ。
◇
――仁科の独白
しかし木村も、いけしゃあしゃあと良く言うぜ。たんまり退職金をふんだくった事は分かってるんだ。散々会社をおもちゃにして楽しんで、お土産付きで退職かよ。まあ俺もそれなりに美味しい思いをしたけどね。それにしてもあのメーカーの弁護士に「この際、膿を出し切りましょう」と提案された時は驚いた。焚きつけて揉み消して、マッチポンプもいいとこだ。まあ、たまには揉め事が無いと、顧問弁護士も切られかねない世の中だからな。それに結構な臨時報酬も得たんだろう。
――木村の独白
どいつもこいつもゴミばかりね。会社に難癖つけてストレスを発散したり、暗に強請りをかけてくるクレイマー。その対応を自社の社員にやらせないで下請けに丸投げするメーカー。それを請け負っておきながら派遣会社からスタッフを寄越させて、実体が空っぽのコールセンター運営会社。要望されるままに使い捨てとして人を出し、かすりを取る派遣会社。それでかかった費用は結局のところ消費者が負担している。
愛社精神なんて笑わさないで。契約していた派遣会社には登録する際に一回行っただけ。仁科だって業務請負会社の契約社員で、忠誠心なんてものは微塵も無かった筈よ。だから陰で弁護士とこそこそやって、後ろ足で泥をかけるように退社した。
でも誰も知らなかった事が一つある。クレイマーのSは私の彼なの。今回のトラブルは彼の部下と私が起こした出来レースだったのよ。でなきゃ都合よく「殺す」なんて言ってくれないもの。それでメーカーの弁護士を取り込んで、コールセンターひとつ頂きました。消費者の皆様、どうもご馳走様です。