恋のはなし
初投稿です。批判、感想、いただけたらとても喜びます。
「愛しています、涼子さん。僕と結婚してください」
「嫌です」
大学の正門前だった。
目の前に跪き、豪華な花束を差し出して告げた男に、涼子はにべもなく返した。
跪く姿も大きな花束も、彼がやると不思議とさまになるのが苛立たしい。中身は芯までアホが染みているのにそうは見えなかった。美形は得だ。
顔よし、頭よし、家柄よしのこの男…綾小路星彦が涼子に付きまとうようになって三か月が経つ。
彼は同じ市内にある旧帝国大学の学生だった。甘く整った顔立ちに、遡れば江戸の千石大名に行きつく家柄、何をやらせても完璧な秀才の噂は涼子の通う女子大にも届いていた。
そんなにすごい男なら一度見てみたい、などと考えた自分をぶん殴ってやりたいと思う。
珍獣見物のような感覚で、涼子は友人たちが星彦のテニスの試合を見に行こうというのにつきあった。こんな風に付きまとわれると分かっていたら、絶対に行かなかったのに。
星彦が涼子のもとに通い出したはじめこそ驚き、面白がって騒いでいたその友人たちも、今や日常と化した光景には関心すらないらしい。先に帰るから、と薄情な一言を残して涼子のわきをすり抜けた。
もちろん星彦は気にも留めない。彼の眼中には涼子しか映っていなかった。
…否、涼子すら映っていなかった。
「ああ、マグノリアの神よ。あなたの悩めるしもべをどうかお導きください。涼子さんに是と返事をいただくために、僕は何をすればよいのでしょう」
花束を突き上げ、空に向かって大仰な独白を並べる男は、もはや涼子の手には負えない。マリアナ海溝より深い溝を感じる。
「マグノリアの神よ、この重たい恋の病は僕には止めようもないのです。どうすればこの気持ちが涼子さんに伝わるのか、そればかりが悩ましい」
「…ミーナに、でしょう」
「いいえ、涼子さんにです」
半ば辟易しつつも訂正してやった涼子の言葉を、星彦は妙にきっぱりと否定する。
“現世のミーナ”という言葉に、彼はようやく『涼子』とルビをふる気になったらしかった。
“マグノリアの神”も“ミーナ”も、彼の夢中になっているアニメのキャラクターである。出会ったその日に嫌というほど聞かされた。
なんでも涼子は、彼の愛してやまないヒロイン、マグノリアの神子ミーナにそっくりだとか。
初めて会った時の彼の言葉は、忘れようにも忘れられない。
――――豚野郎って言ってもらえませんか?
試合を見届け、会場を去ろうと歩きだした時だった。突然袖をひかれて振り返った先で、王子様みたいな顔をした男はそうのたまった。
今でも夢に見てはうなされる。一瞬聞き間違いかとも思ったが、残念なことに涼子の耳は正しかった。
――――あなたに会うことをどれほど夢に見たことか。愛しています、現世のミーナ。
きらきらと熱を持って輝く瞳でそう告げて、星彦は涼子の手をしっかりと握った。あの時周囲から上がった絶叫は、涼子の何かしらを深く傷つけた。
以来、“現世のミーナ”と遭遇し二次元と現実の境目を見失ってしまったこの男に、涼子は毎日のように告白を受ける羽目になる。
「愛しています、涼子さん!現世でのあなたは神子として果たすべき役目も、帝国の王女としての義務もない。僕との結婚に障害はありません!」
悪かったわね、ただの女子大生で。障害があるのはあなたの頭です。
これ以上付き合ってはいられなかった。何せここは涼子の通う大学の正門前、公衆の面前も面前である。衆人環視のこの状況で星彦がなぜこうも憚らずにいられるのか、涼子には全く理解できない。
再度差し出された花束を無視して、涼子は星彦の横を通り抜けようとした。途端、彼は素早く立ち上がり、涼子の行く先をふさいでしまう。
「この後、何か予定はおありですか?よければ一緒にお食事でも」
「忙しいので行きません」
「では、涼子さんのご用事が終わるまで待っています」
「終わりません、帰ってください」
「あなたが抱える使命は終わらないほど重いものなのですね!ああ、この僕にお手伝いできることがあるならなんなりと命じてください。あなたの力になりたいのです」
これだけはっきりと拒絶しても星彦はくじけない。どころか、鬱陶しいほど食いついてくる。誰だ、この男を『頭よし』なんて評価した奴。
もっとも、彼の愛する二次元のミーナも相当辛辣なキャラクターらしいから、彼にしてみれば涼子の拒絶はあるべき反応なのかもしれなかった。
「…え、てことはあたし今まで、このひとに対する対応を間違えてた?」
はっきりと拒絶してさえいれば、いずれは飽きて去るだろうと考えていたのだが。
相手は星彦。初対面の女に豚野郎という言葉を求める男だ。
「さあ、涼子さん!あなたを悩ませる使命を果たしに向かいましょう!臆することはありません、僕が付いています」
彼に付きまとわれること三カ月。
思い当った事実と、涼子の嘘を拡大解釈して張り切る星彦。
どう対処すればいいのか分からないまま、涼子は頭を抱えるのだった。