星に願うより、君と約束を
ストーリアの冬にそういうお祭りがあったら
冬を迎えたストーリア王国では、日が暮れると一段と冷え込みが厳しくなる。
王城の中庭にも薄く雪が積もり、庭木の枝には白い雪化粧が施されていた。石畳は綺麗に掃き清められ、その両脇に並べられた小さな灯籠が、雪に覆われた庭を柔らかく照らしている。
今夜は年に一度の星渡り祭だった。
中庭には銀糸で飾られた白い枝がいくつも立てられ、それぞれに色とりどりの祈り札が結ばれている。星枝と呼ばれるこの枝には、願いを星へ届けるという言い伝えがあり、冬の空が最も澄むこの夜、人々は大切な誰かを想いながら祈り札を結ぶのだという。
星渡り祭は恋人たちの祭りとして知られているが、家族の健康や旅人の無事を願う者も多い。王城でも毎年ささやかな催しが開かれ、騎士や文官たちが思い思いの願いを託していた。
今年も星枝には様々な願いが並んでおり、王国の平和を祈るものもあれば、遠征中の仲間の帰還を願うものもある。中には仕事が早く片付くようにと書かれた札や、イスト隊長に叱られずに済みますように、と書かれたものまであった。
最後の願いについては、本人に見つからないことも祈っておいた方がよさそうだ。
そんなことを考えながら、僕は手元の祈り札に目を落とした。先ほどから何度か筆を取っているのだが、書こうとするたびに考え込んでしまい、結局一文字も書けずにいる。
「レクサス王子、まだ書いてないの?」
聞き慣れた声に振り向くと、冬用の外套を羽織ったイスズ神官長が立っていた。僕の手元を覗き込んだ神官長は、白紙のままの祈り札を見て面白そうに笑った。
「随分と悩んでるみたいだね。そんなに難しい願い事?」
「……少し、考えていただけです」
「ふうん。ノアのことかな?」
「どうしてそうなるんですか」
「だって、さっきからあの子の方ばかり見てるから」
思わず顔を上げると、神官長は楽しそうに笑っていた。どうやら自分でも気づかないうちに、何度もノアの姿を目で追っていたらしい。
「ノアなら、もう祈り札を結んでたよ」
神官長が指さした先には、星枝のそばで背伸びをしている銀髪の少女がいた。
ノアは白い騎士服の上から淡い水色の外套を羽織り、枝の先に祈り札を結ぼうとしている。長い銀髪は冬の風に揺れ、灯籠の明かりを受けて柔らかく輝いていた。
ようやく結び終えたのか、ノアは満足そうに小さく頷いた。その姿がなんとも彼女らしくて、眺めているうちに自然と頬が緩んでしまう。
「ほら、また見てる」
「……神官長」
「あはは。邪魔しちゃ悪いし、私は向こうに行ってるね」
神官長は僕の肩を軽く叩くと、上機嫌で歩いていった。まったく、あの人には敵わない。
僕は小さく息を吐き、祈り札を手にしたままノアの方へ向かった。
「ノア」
「あ、レックス。こちらにいらしたんですね」
声をかけると、ノアはすぐに振り向いた。寒さのせいか頬がほんのりと赤くなっていて、僕の姿を見つけると嬉しそうに微笑んでくれる。
「君も祈り札を書いていたんだね」
「はい。先ほどいただいたので、結んできました」
ノアはそう言って、今しがた自分が結んだばかりの祈り札を見上げた。
「毎年、こんなにたくさんの願いが集まるんですね」
「そうだね。城の者たちも、この祭りを楽しみにしているから」
「ふふ。素敵なお祭りです」
白い息を弾ませながら微笑むノアを見ていると、胸の奥まで温かくなるようだった。
彼女はこういう時、いつも嬉しそうに笑う。自分のためというより、誰かの幸せを願えることが嬉しいのだろう。聖騎士として人々を守ることに誇りを持つ彼女らしいと思う一方で、僕としては、もう少し自分自身の幸せも願ってほしいところだった。
「レックスは、もう書かれたんですか?」
「それが、まだなんだ。何を書こうか迷っていてね」
「そうなんですか? 何か難しい願い事なんでしょうか」
「……そうかもしれない」
僕が苦笑すると、ノアは真面目な顔で頷いた。
「でしたら、ゆっくり考えてください。せっかくの機会ですから、レックスが一番願いたいことを書いてほしいです」
彼女にそう言われて、僕は改めて手元の祈り札を見つめた。
一番願いたいことと言われれば、王国の平和や民の幸せが真っ先に思い浮かぶ。王子として、これからも守っていきたいものだからだ。
けれど、今の僕にはもうひとつ、どうしても叶えたい願いがあった。
ノアと、これからも一緒にいたい。
彼女が笑っている時には隣で笑い、苦しい時にはその手を取って支えたい。いつか自分が国を背負う立場になっても、彼女と過ごす時間を大切にしていきたいと思っている。
想いはすでに伝えているし、ノアも僕の気持ちに応えてくれた。それでも、互いの立場を考えると、この先どんな困難が待っているのか分からない。
僕は王子で、ノアは聖騎士であり、神竜でもある。彼女が背負っているものを知っているからこそ、自分の願いをどこまで望んでよいのか、時折考えてしまうのだ。
「……レックス?」
顔を上げると、ノアが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん。少し考え込んでしまったね」
「いえ。私でよければ、お話を聞きますよ?」
いつものように優しく微笑む彼女を前にして、僕は少しだけ迷った。せっかくの祭りなのだから楽しい話をして過ごしたい気持ちもあるけれど、ノアには自分の考えていることを知っていてほしかった。
「……ノアは、星渡りの伝承を知っている?」
「はい。離れ離れになった二つの星が、年に一度だけ空の川を渡って再会するお話ですよね」
「そう。昔、母上から聞かせてもらったんだ」
僕が夜空を見上げると、ノアも隣で顔を上げた。
雲ひとつない冬の空には無数の星が瞬き、その中央を淡い光の帯が横切っている。あれが伝承に語られる星の川で、星渡り祭の夜には、離れ離れになった二つの星があの川を渡って再会するのだという。
「子供の頃は、寂しい話だと思っていたよ。一年に一度しか会えないなんて、僕だったらきっと耐えられない」
「……そうですね。私も、少し寂しいと思います」
ノアはしばらく星を眺めていたが、やがて何かを思いついたように口を開いた。
「でも、それほど会いたいと思える大切な相手がいるということですよね。離れている間も、きっとお互いのことを想っているんだと思います」
「……なるほど」
「だからこそ、一年に一度の再会を楽しみに待っていられるんでしょうね。私だったら、会えた時に話したいことをたくさん考えてしまいそうです」
そう言って微笑むノアの横顔を、僕はしばらく見つめていた。
彼女なら、きっとそうするのだろう。たとえ遠く離れていても、相手の無事を信じて待ち続けられるし、再会した時にはいつもの笑顔で迎えてくれる気がする。
「……僕は、少し怖いんだ」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
「怖い、ですか?」
「うん。君とのこれからを考えると、時々ね」
ノアは不思議そうに首を傾げたものの、僕が続きを話すのを静かに待っていてくれた。
「僕は王子だから、いずれ父上の跡を継ぐことになる。その時には、今よりもずっと多くの責任を背負うだろうし、君も聖騎士として、これからたくさんの人を救っていくんだと思う」
「……はい」
「それに、君には神竜としての力もある。僕たちがそれぞれの務めを果たしていくうちに、こうして一緒にいられる時間が少なくなってしまうんじゃないかって、考えることがあるんだ」
ノアの隣にいたいという願いを、王子としての務めと両立できるのだろうか。彼女を大切に想うからこそ、無理をさせたり、自分のために何かを諦めさせたりすることは避けたかった。
「……レックス」
ノアは小さく僕の名前を呼ぶと、外套の前で両手を重ねた。
「私も、同じことを考えていました」
「ノアも?」
「はい。私は聖騎士ですから、困っている人がいれば助けたいですし、神竜としてできることも、きっとたくさんあると思います」
彼女はそこで一度言葉を区切り、僕の顔を見上げた。
「でも、レックスと一緒にいたいという気持ちも、私にとっては同じくらい大切なんです。だから、どちらも大切にしていきたいと思っています」
「……どちらも?」
「はい。きっと難しいこともあると思いますけど、今から諦めてしまうのは寂しいですから」
ノアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「それに、私ひとりで頑張らなくてもいいんですよね。レックスがそばにいてくださるんですから」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
いつも誰かのために剣を取り、自分のことは後回しにしてしまいがちな彼女が、こうして僕を頼ってくれている。それが嬉しくて、僕も自然と笑みを浮かべていた。
「……そうだね。僕も、君に頼っていいのかな」
「もちろんです。私にできることでしたら、何でも言ってくださいね」
「ありがとう、ノア」
僕は改めて祈り札に目を落とした。先ほどまであれほど迷っていたのに、今なら書きたいことがはっきりと分かる。
星枝のそばに置かれていた小さな机を借り、筆を取った。
――大切な人が、自分の願いを大切にできますように。
書き終えたところで、隣にいたノアがそっと覗き込んできた。
「……レックスらしい願い事ですね」
「そうかな?」
「はい。とても優しいと思います」
嬉しそうに微笑む彼女を見ていると、こちらまで照れくさくなってしまう。
「君にそう言ってもらえるなら、嬉しいよ」
僕は祈り札を持って星枝へ向かった。先ほどノアが結んでいた枝にはまだ少し余裕があり、ちょうど彼女の札の隣が空いていたので、そこへ自分の札を結ぶことにした。
二枚の祈り札が並んだところへ冬の風が吹き抜け、触れ合った札が小さな音を立てる。
ノアはその様子を眺めながら、嬉しそうに目を細めていた。
「……あの、レックス」
「うん?」
「私の願い事も、少しだけ聞いていただけますか?」
「もちろん」
ノアは自分の祈り札を見上げたまま、少し恥ずかしそうに口を開いた。
「大切な人と、これからも同じ空を見上げていられますようにって、書いたんです」
思わず彼女を見ると、ノアは頬を赤らめながらこちらを向いた。
「……素敵な願いだね。その大切な人は、きっと幸せ者だろうな」
「レックス……」
彼女は何か言いたそうに僕を見上げたあと、少しだけ眉を下げた。
「分かっていて、言っていますよね?」
「ごめん。少し意地悪だったかな」
「もう……」
ノアがそんなふうに拗ねるのは珍しく、つい笑ってしまった。すると彼女も困ったように笑い、やがてためらいがちに僕の方へ手を伸ばしてきた。
冷たい指先が、僕の手にそっと触れる。
「……レックスのことですよ。私が、これからも一緒に空を見上げていたい人は」
小さな声で告げられた言葉が嬉しくて、僕は彼女の手をそっと握り返した。
冬の冷気にさらされていたせいか、ノアの指先は随分と冷たくなっている。僕がもう片方の手も添えて包むようにすると、彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。
「……手が冷えているね。もう少し早く気づけばよかった」
「あ……そうですね。でも、レックスの手は温かいです」
「君が冷えすぎなんだよ」
「ふふ。そうかもしれません」
ノアは小さく笑い、僕の手を握り返してくれた。こうして手を繋いでいるだけで寒さも少し和らいだように感じられ、もうしばらくこのままでいたくなる。
「……ノア、来年も一緒に星を見よう」
僕がそう言うと、彼女は少し目を見開いたあと、嬉しそうに頷いた。
「はい。来年も、その次の年も、一緒に見たいです」
「うん。約束だよ」
「約束です」
ノアの笑顔を見ていると、これから先もこうした時間を大切にしていきたいと、改めて思う。
王子として果たすべき務めも、彼女が聖騎士として歩む道も、決して簡単なことばかりではないだろう。それでも、互いに支え合いながら歩いていけるのなら、きっと乗り越えていける気がした。
そんなことを考えていた時、背後から控えめな咳払いが聞こえてきた。
「……こほん」
振り向くと、少し離れた回廊に母上たちが立っていた。
母上は扇で口元を隠しながら、どこか嬉しそうにこちらを見ている。その隣ではイスズ神官長が満面の笑みを浮かべ、ユーノス騎士団長は腕を組んだまま静かに目を閉じていた。
……一体、いつから見ていたんだろう。
「ふふ。若いっていいわね」
「ねえ。見てるこっちまで温かくなっちゃうよ」
母上と神官長が楽しそうに言葉を交わしているのを聞き、僕は思わず苦笑した。
「……母上、神官長」
「あら、レクサス。私たちのことは気にしなくていいのよ」
「そうそう。せっかくいい雰囲気なんだから」
神官長までそんなことを言うものだから、返す言葉に困ってしまった。
隣を見ると、ノアは耳まで赤くして俯いている。どうやら彼女も、今のやり取りを見られていたことが恥ずかしいらしい。
「……父さままで」
ノアが小さく呟くと、ユーノス団長は何か答えようとして口を開きかけたものの、結局は咳払いをするだけに留めていた。その様子が少しおかしくて、僕は笑いそうになるのを堪えた。
ノアも恥ずかしそうにしていたが、繋いだ手を離そうとはしなかったので、僕もそのまま彼女の隣に立っていた。
すると、中庭の端から聞き慣れた鳴き声が聞こえてきた。
「きゅう」
「あ、モコ!」
ノアが顔を上げた先には、灯籠の並ぶ小道を歩いてくる白い飛竜の姿があった。
雪を踏みながらやってきたモコは、僕たちを見つけると嬉しそうに尾を揺らした。ふさふさとした白い体毛には小さな雪がいくつも付いていて、背中に畳まれた翼の羽根も、灯籠の明かりを受けて柔らかく輝いている。
「モコも来ていたんだね」
「きゅ!」
元気よく返事をしたモコはノアのそばへ歩み寄ると、撫でてほしいと言わんばかりに首を差し出した。
「ふふ。こんばんは、モコ」
ノアが空いている手で首元を撫でてやると、モコは気持ちよさそうに目を細めた。
けれど、すぐに僕たちの繋いだ手が気になったらしく、首を傾げながら交互に顔を見上げてくる。
「……モコ?」
「きゅう?」
不思議そうな声を上げたモコは、繋いだ手に鼻先を近づけてきた。ノアが恥ずかしそうに笑いながら、その額を優しく撫でる。
「ふふ。モコも気になりますか?」
「きゅ!」
「じゃあ、モコも一緒に星を見ようか」
僕がそう言うと、モコは嬉しそうに尾を振り、その場でくるりと身体の向きを変えた。
その拍子に足元の雪が舞い上がり、ノアが慌てて声をかける。
「あ、モコ。そんなに動いたら雪が……」
ところが、モコは注意されていることに気づかなかったらしく、そのまま勢いよく身体を震わせてしまった。
体毛に付いていた雪が辺りに散り、僕たちは思わず肩をすくめた。
「わっ……モコ!」
驚いたノアが目を丸くしているのを見て、僕は笑ってしまった。彼女の銀髪にも細かな雪が付いていたのだが、どうやら僕の髪も同じようなことになっているらしい。
お互いの顔を見合わせると、ノアも堪えきれなくなったように笑い出した。
「もう、モコったら……」
「きゅう?」
当の本人は何がおかしいのか分からない様子で首を傾げている。そんな姿がまたおかしくて、僕たちはしばらく笑っていた。
やがてモコは満足したのか、今度は僕の方へ顔を寄せてきた。
「はいはい。君も撫でてほしいんだね」
空いている手で首元を撫でると、モコは気持ちよさそうに喉を鳴らした。白い体毛はふんわりと温かく、冷えた指先にもその温もりが伝わってくる。
「レックス、モコにも気に入られていますね」
ノアが楽しそうに笑いながら言うので、僕もモコの首を撫でながら頷いた。
「それなら嬉しいな。これからも仲良くしてもらわないと」
「ふふ。モコも、きっと喜びます」
「きゅう!」
まるで話が分かっているかのように、モコが嬉しそうに鳴いた。
僕たちは顔を見合わせ、また笑った。
ふと空を見上げると、冬の夜空には今も無数の星が輝いていた。中庭を吹き抜ける風に星枝の祈り札が揺れ、灯籠の明かりが雪の上に淡く広がっている。
隣ではノアも同じ空を見上げており、銀色の髪に残った小さな雪が、灯籠の光を受けてきらりと輝いていた。
「……綺麗だね」
「はい。とても綺麗です」
嬉しそうに頷く彼女は、きっと夜空の星のことを言っているのだろう。
僕はもう少しだけ、その横顔を眺めていたかった。
「ノア、来年もその次も、こうして三人で見られるといいね」
僕がモコにも目を向けると、ノアは嬉しそうに微笑んだ。
「はい。きっと、見られますよ」
「きゅ!」
モコも賛成するように鳴いたので、僕たちは思わず笑ってしまった。
繋いだ手をそっと握り直すと、ノアも優しく握り返してくれる。その温もりを感じながら、僕はもう一度、星枝に結ばれた二枚の祈り札を見上げた。
冬の風に揺れる祈り札は、寄り添うように並んでいる。
来年も、その次の年も、彼女と一緒にこの空を見上げられますように。
そんな願いを胸に、僕たちはモコと一緒に、しばらく冬の星空を眺めていた。




