天の川の下で
田舎の夜は、緩やかな時間を感じさせた。
田んぼの蛙の声が、辺りを満たしている。
彼は実家の近くの小さな橋にいた。
帰省するたび、なぜかここに来てしまう場所だった。
川は暗く、せせらぎも聞こえない。
流れているのかどうかも、よくわからなかった。
欄干に身を預け、煙草をふかす。
見下ろした川は、街灯の光を拾って、かすかに揺れていた。
「あっ……。やっぱりいた」
背後から声がした。
振り返ると、彼女が立っていた。
白いTシャツと、水色のショートパンツ。
都会なら無防備に見える格好も、この場所ではただの夜だった。
髪が少し濡れている。
風呂上がりなのだろう。
彼は苦笑した。
「偶然だな」
「この時間、この場所で?」
「まあ、何となくな」
彼女は笑って、欄干に背をもたせる。
すぐ隣に立つ距離は、昔と何も変わっていなかった。
学校のこと。
友達のこと。
将来のこと。
いつかの約束のこと。
時間を忘れるほど、たくさん話した。
沈黙が落ちる。
犬の遠吠えが、遠くで長く引いた。
「結婚したんだってね」
彼女が言う。
「どこで聞いた」
「親伝い」
「田舎はそういうの早いな」
彼は煙草を深く吸い、ゆっくりと吐いた。
灰が、煙草の先からこぼれ落ちる。
「そっちは?」
「してない」
「ふーーん……。」
「ふーーん、って」
昔は、時間を惜しむように喋り合っていた。
いつからか、言葉は途切れることが多くなっていた。
「高校の頃さ」
彼女が口を開く。
「ここでさ、よく話してたよね」
彼が横目を向けると、彼女は微笑んで目を細めていた。
その目は、夜空のほうを見ている。
「……そうだな」
釣られて、彼も夜空を見上げた。
都会では決して見られない光景だった。
天の川が、静かに夜空を渡っていた。
また、途切れた。
彼は欄干で煙草の火を消し、吸い殻を携帯灰皿に入れる。
もう一本吸おうかと考えてから、やめた。
「もしさ」
彼女が続ける。
「あの頃に戻れるとしたら……。」
「戻れるとしたら?」
「……ううん、何でもない」
小さく笑って、それ以上は何も言わなかった。
彼は視線を伏せる。
すぐ隣にいるのに、やけに遠い。
彼女は、ここで待っていた。
裏切ったのは、都会での自分だった。
何も言えなかった。
「いつ戻るの?」
「明日」
彼女は欄干から背を離す。
「じゃあさ」
歩き出しながら言う。
「次に帰ってきたときも、ここにいる?」
彼は答えない。
ただ、彼女の背中が橋の向こうの暗がりに少しずつ溶けていくのを見ていた。
その姿が見えなくなると、歩き出した。
彼女とは逆の方向へ。




