神速の剣士
「おい、F級。ちょっと面貸せよ」
ギルドの裏手にある訓練場。
僕を呼び止めたのは、A級冒険者の『疾風』のジンだった。
彼は二振りの短剣を腰に差し、挑発的な笑みを浮かべている。
「お前がドラゴンを倒したとか、ミミックを手懐けたとか、噂は聞いてるぜ。だが俺は信じねぇ。F級がそんなことできるわけねぇ」
ジンが短剣を抜き放つ。
周囲には、噂を聞きつけた野次馬たちが集まっていた。
「俺のスピードについてこれるか? 化けの皮、剥がしてやるよ」
(やめてくれ。僕の皮はペラペラなんだ。剥がしたら即死だよ)
僕は逃げ出したかった。
だが、逃げれば「敵前逃亡」とみなされ、ギルドを追放されるかもしれない。
そうなれば、ダンジョンのゴミ拾い権すら失う。
ヒュオオオオ……。
一陣の風が吹いた。
その風に乗って、一枚の紙切れがヒラヒラと舞い込んできた。
【隠し実績が解放されました】
《ミッション:主婦の執念(風に舞う『スーパー玉出・牛肉半額クーポン』を、地面に落ちる前に無傷でキャッチする)》
《報酬:スキル『値切り(Lv1)』》
「ッ!?」
僕の目が釘付けになった。
あれは、今日の夕方まで有効な半額クーポン!
しかも対象は、僕が半年以上口にしていない「牛肉」だ。
(取る! 意地でも取る!)
「行くぜッ!」
ジンが姿を消した。
A級の脚力による高速移動。常人の目には残像しか映らない。
彼は僕の背後へ回り込み、手加減した一撃(峰打ち)を首筋に入れようとした。
だが、僕は動いた。
クーポンが風に煽られ、右へ流れたからだ。
ブンッ!
ジンの短剣が空を切る。
「なっ……!?」
ジンは驚愕した。
(完全に死角からの攻撃だったはず……。それを、振り返りもせずに避けた!?)
僕は必死だった。
紙切れは不規則な風に乗り、地面スレスレを滑空していく。
僕は泥にまみれるのも厭わず、地面を這うようにスライディングした。
「させるかよ!」
ジンが追撃を仕掛ける。
左右からの連続斬撃。目にも留まらぬ刃の嵐。
だが、僕にはそれが見えていない。
見えているのは、ヒラヒラと逃げるクーポンだけだ。
「そこだあああああ!」
僕は奇声を上げ、ありえない角度で上半身をひねった。
ちょうどクーポンが風で舞い上がり、僕の頭上を越えようとしたからだ。
ヒュン、ヒュン、ヒュン!
三発の斬撃が、僕の服をかすめて通り過ぎる。
「バカな……! 俺の『乱れ桜』を、全て最小限の動きで回避しただと……!?」
ジンは戦慄した。
カイトの動きは、まるで軟体動物のように予測不能。
いや、あえて体勢を崩すことで、こちらの攻撃のリズムを狂わせているのか?
(待って! 行かないで! 僕の牛肉!)
クーポンがまた風に乗り、ジンの股下を潜り抜けた。
僕は迷わず、ジンの足元へ飛び込んだ。
「うわっ!?」
ジンは慌てて飛び退いた。
カイトが捨て身のタックル(に見えた)を仕掛けてきたからだ。
もし飛び退かなければ、関節を極められていたかもしれない。
紙切れはふわりと舞い、僕の手のひらに着地した。
ガシッ!!
僕はそれを鷲掴みにし、地面に這いつくばったまま拳を突き上げた。
「獲ったどぉぉぉぉぉ!!」
《ミッション達成》
《スキル『値切り(Lv1)』を獲得しました》
静寂。
訓練場が静まり返る。
冒険者たちは、言葉を失っていた。
ジンは、短剣を取り落とし、膝をついた。
「……負けた」
「え?」
僕は泥だらけの顔を上げた。
手の中のクーポンが破れていないか確認するのに忙しい。
「今の最後の動き……。俺が飛び退く先を読み切り、地面に伏せることで死角を消したんだな? もしあれが実戦なら、俺は足を刈り取られて死んでいた」
「いや、紙を……」
「言い訳はいい! 完敗だ。……あんた、背中に目がついてるのか?」
ジンは震える声で言った。
彼の目には、カイトが「一歩も攻撃に転じることなく、回避のみでA級を屈服させた達人」として映っていた。
「すげぇ……。あのジンが手も足も出ねぇなんて」
「見たか、あのアクロバティックな回避。まるで風と遊んでいるようだったぞ」
「『疾風』の上を行くなら、あいつの二つ名は『神速』……いや、『空蝉』のカイトか」
勝手に二つ名が増えていく。
僕は大事なクーポンをポケットにねじ込み、立ち上がった。
「……もう帰っていい? スーパー閉まっちゃうから」
「スーパー……? そうか、次は『市場』という名の戦場へ向かうのか。休む暇もないとは、強者も楽じゃないな」
ジンは勝手に納得し、敬礼を送ってきた。
僕はダッシュで帰った。
牛肉が僕を待っている。
なお、手に入れた『値切り』スキルのおかげで、半額の肉がさらに3割引きになった。
この日食べた牛丼は、間違いなく人生で一番うまかった




