脆
洞窟を出た直後だった。
指にはめていた『翻訳の指輪』から、パキィッという嫌な音が響いた。
「……え?」
恐る恐る指輪を見ると、真ん中に亀裂が走っている。
すかさず目の前にシステムウィンドウが表示された。
【警告:アイテム『翻訳の指輪』の耐久値が限界です】
【残り使用可能回数:1回】
【注:安物なので喋りすぎると壊れます】
「嘘だろ!? 一回使っただけでこれ!?」
僕は頭を抱えた。
せっかく手に入れたチートアイテムが、まさかの一回使い切り仕様だったとは。
やはり、あのふざけた実績システムの報酬だ。まともな性能であるはずがなかった。
「あと一回……。これはもう、人類の存亡に関わるような大事な場面でしか使えないぞ」
僕は指輪を丁寧に布に包み、ポケットの奥底にしまい込んだ。
貧乏性の僕には、これをおいそれと使う勇気はない。
さらに追い打ちをかけるように、猛烈な目眩が襲ってきた。
視界がぐらりと揺れ、その場に膝をつく。
【警告:MP残量が危険域です】
【スキル『カリスマ(低級)』の使用コスト:MP9】
【現在のMP:1/10】
「燃費が悪すぎる……!」
僕のMPは一般人以下の10しかない。
ゴブリンと10分話しただけで、ガス欠寸前だ。
これではスキルを連発するどころか、一度使ったら気絶しかねない。
「……帰ろう。とりあえず換金だ」
ふらつく足取りで街へ戻った僕は、冒険者ギルドのカウンターに向かった。
受付には、いつも少し眠そうな顔をしている受付嬢のルナがいる。
「いらっしゃいませ……あ、カイトさん。生きてたんですね」
「ひどい言い草だね。はい、これ」
僕はゴブリンたちから「貢がれた」魔石の袋をカウンターに置いた。
ルナは面倒くさそうに袋を開けたが、中身を見た瞬間、その目が大きく見開かれた。
「こ、これは……!?」
取り出した魔石は、どれも傷一つなく、宝石のように磨き上げられていた。
通常、戦闘で倒したゴブリンの魔石は砕けていたり、汚れていたりするものだ。
だが、これはゴブリンたちが「兄貴」のために、泥を拭い、丁寧に手入れをして差し出した最高級品だった。
「カイトさん、これ……どうやって手に入れたんですか? 戦闘の痕跡が全くありませんけど」
ルナの鋭い質問に、冷や汗が流れる。
まさか「ゴブリンの労働環境について愚痴を聞いてあげたら貰った」とは言えない。
そんなことを言えば、頭のおかしい奴だと思われて会員証を没収されてしまう。
僕はMP切れの頭痛をこらえながら、なんとか言葉を絞り出した。
「……話し合い、かな」
「話し合い……?」
ルナの手が止まる。
彼女の脳裏に、とんでもない光景が浮かんだ。
言葉の通じない魔物を相手に、剣ではなく「言葉」で屈服させ、自らの意志で魔石を差し出させる。
それは、単なる討伐よりも遥かに困難で、恐ろしい所業だ。
「まさか、魔物の言語を理解し、精神的に支配したとでも……」
ルナが震える声で尋ねる。
しかし、僕にはもう答える余力はなかった。
MP枯渇による眠気と脱力感が限界に達していたのだ。
「……悪い、疲れてるんだ。あとよろしく」
僕はカウンターに身を預けるようにして、ふらりと出口へ向かった。
その足取りの重さは、ルナには「圧倒的な強者の余裕」ではなく「深淵を覗いた者の疲弊」に見えた。
ギルド内が静まり返る。
誰もが、無言で立ち去る僕の背中を見つめていた。
「聞いたか? 『話し合い』だとよ」
「ゴブリンが自ら心臓を差し出すほどの交渉術……」
「アイツ、本当にF級か? 実はギルドマスターよりヤバいんじゃねえか」
ひそひそ話が聞こえてくるが、訂正する気力もない。
僕はただ、家に帰って寝たかった。
晩飯の焼肉はお預けだ。今の体力じゃ、肉を焼く前に僕が燃え尽きる。
《ミッション:???が解放されました》
意識が遠のく中、視界の隅に新しいウィンドウが見えた気がした。
だが、内容は確認できないまま、僕は下宿のボロアパートの前で力尽きた。




