有給が欲しい
1億イェンをドブに捨てた精神的ダメージは大きかった。
僕はリハビリも兼ねて、初心者向けの『F級ダンジョン:小鬼の洞窟』に来ていた。
ここなら、弱いゴブリンしか出ない。魔石を換金して、今日の晩飯代くらいは稼げるはずだ。
「……はぁ。虚しい」
洞窟の奥へ進むと、焚き火を囲む3匹のゴブリンを見つけた。
いつもなら「ギャーギャー」という奇声しか聞こえないはずだが、指にはめた『翻訳の指輪』が怪しく光る。
『あー、マジだりぃ。魔王軍の人事部、またノルマ上げてきたぞ』
『マジで? 先月も冒険者撃退数20%増だったじゃん。これ以上どうしろってんだよ』
『残業代も出ねぇのに、やってらんねーよな。俺、先週子供生まれたばっかなのに』
「……え?」
僕は思わず足を止めた。
聞こえる。
完全に、居酒屋で愚痴るサラリーマンの会話だ。
【隠し実績が解放されました】
《ミッション:中間管理職の悲哀(モンスターの愚痴を10分間、相槌を打ちながら聞く)》
《報酬:スキル『カリスマ(低級モンスター限定)』》
《失敗時のペナルティ:ゴブリンのフンドシを装着(解除不可・洗濯不可)》
(また変なミッションきた! ていうかフンドシは嫌だ! 臭そう!)
僕は意を決して、岩陰から姿を現した。
武器は持っていない。ただ、疲れた顔で近づく。
『あ? なんだテメェ、人間か!? 殺すぞコラ!』
ゴブリンたちが錆びたナイフを構える。
僕は両手を上げて、深くため息をついた。
「……わかるよ。辛いよな、ノルマ」
『……は?』
ゴブリンたちの動きが止まる。
人間が自分たちの言葉(ゴブリン語)を、しかも妙に流暢に話したからだ。
「僕もさ……さっき1億の契約を逃したんだ。上の理不尽な命令でね。働いても働いても報われない。一緒だよね、僕たち」
『お、お前……人間なのに、俺たちの苦しみがわかるのか?』
「わかるさ。君たちが悪いんじゃない。経営陣(魔王)が現場を知らないだけなんだ」
僕の言葉は、彼らの琴線に触れたらしい。
一番体の大きいゴブリンが、ポロポロと涙を流し始めた。
『そうなんだよぉぉ! 現場はいつだってギリギリなんだよぉぉ! 課長は丸投げだしよぉぉ!』
「うん、うん。飲もう。今日は僕が奢るよ(泥水だけど)」
『兄貴ぃぃぃぃ!!』
気がつけば、僕はゴブリンたちと車座になって語り合っていた。
ただ愚痴を聞いて、「大変だね」「すごいね」と相槌を打つ。
それだけで、彼らは僕を「理解ある上司」のように崇め始めた。
《ミッション達成》
《スキル『カリスマ(低級モンスター限定)』を獲得しました》
10分後。
僕の周りには、50匹以上のゴブリンが集まっていた。
全員が正座し、僕の話を神妙な顔で聞いている。
「いいかい、君たちはもっと自分を大切にしていい。有給は権利だ!」
『うおおおお! 有給! 有給!』
その時だった。
洞窟の入り口から、他の冒険者パーティーが入ってきたのは。
「おい、ゴブリンの群れがいるぞ……って、なんだあれ!?」
彼らが見たのは、異様な光景だった。
一人の少年を中心に、凶暴なはずのゴブリンたちが土下座のように平伏し、涙を流しながら叫んでいる。
カイトは無表情で彼らを見下ろしている(実は眠いだけ)。
「あいつ……魔物を『洗脳』しているのか?」
「なんて禍々しいオーラだ……。ゴブリンたちが恐怖で泣き叫んでいる……!」
「『死よりも深い絶望』を与えているに違いない……関わっちゃダメだ、あれは闇の魔導師だ!」
冒険者たちは顔を青くし、音もなく逃げ去った。
一方、カイト。
「あ、魔石もらうの忘れた」
『兄貴! これ、俺たちのヘソクリ(魔石)です! 使ってください!』
「えっ、いいの? 悪いねぇ」
ゴブリンたちは感動の涙を流しながら、自主的に魔石を差し出した。
カイトは「モンスターを精神的に支配し、全財産を貢がせた最悪の支配者」として、新たな噂が立つことになった。




