「婚約者代行」をあなたが依頼してなければ、恥も外聞もなく結婚していましたよ?
◇◇◇
王都でも指折りの名門、アストレア公爵家の令嬢である私は、幼いころから一人の方に想いを寄せていた。
婚約者、レオンハルト・ヴァルディス様。
文武両道、誠実で寡黙。けれど不器用で、少しだけ笑うと頬が緩む。
――その横顔を、私は十年近く追い続けてきた。
もっとも。
ここ数年、私が「直接」お会いできたことは、ほとんどない。
◇◇◇
私は前世の記憶を持っている。
異世界――いえ、元いた世界から持ち込んだのは、執事たちが“占術箱”と呼ぶ黒い板。
その中には、未来予測AIが入っている。
こっそりと入力する。
『本日の待ち合わせ、来訪者は?』
淡々と表示された結果。
> 最有力予測:婚約者本人の弟(確率 43%)
> 次点:婚約者代行(確率 39%)
> 本人来訪(確率 18%)
……十八パーセント。
恋とは、なんと心許ない数字なのだろう。
◇◇◇
待ち合わせの温室には、今日も“代行”が立っていた。
レオンハルト様ではない。
代わりの男性。
しかも毎回、信じられないほど整った容姿の者ばかり。金髪碧眼、長身細身、微笑みが絵画のように完璧。
王都の令嬢たちが見れば卒倒するような“物件”。
――だが、私には関係ない。
私は彼の顔を、実はよく知らないのだ。
だって、毎回違うのだから。
その中で、ひとりだけ。
いつも端の方に立っている、がっちりとした体格の男性がいる。
茶髪、鋭い目。無口で、どこか暗い顔をして俯いている。
華やかな代行たちの中で、明らかに浮いている。
けれど。
彼が一歩前に出て「本日は私が」と低い声で告げた日。
私は胸が、どうしようもなく温かくなった。
――ああ、来てくれた。
彼が来る日は、会話は少ない。
だが、手袋越しに触れる手は、いつも震えていた。
それが、たまらなく愛おしかった。
◇◇◇
最初の頃は、その“彼”が来ていた。
だが、次第に回数が減っていった。
代わりに、笑顔の完璧な代行者たちが増える。
エスコートも、ダンスも、贈り物も。
すべて代行。
「ご多忙とのことですわ」
「本日は公務で」
「急な視察が」
私は、何度も伝えた。
「来られないなら、その時間は来なくていいのです」
「体調が悪いなら、お休みください」
「代行は……やめてくださいませ」
けれど返ってくるのは、決まって同じ言葉。
「婚約者として、毎日愛を示す義務がございます」
義務。
愛が、義務?
私は首を振った。
好きという感情は、代行できない。
完璧な所作も、美しい笑顔もいらない。
あの人が、不器用に立っていてくれれば、それでよかった。
なぜ。
なぜ、代行なんて依頼したのですか。
◇◇◇
婚約の正式発表の日。
王城の大広間。
もし今日も代行が来たら。
もし弟が来たら。
もし、彼自身が来なかったら。
――私は、壊れてしまう。
未来予測を開く。
> 本日来訪者予測:代行(確率 51%)
……半分以上。
私はドレスを着たけど、馬車には乗らなかった。
屋敷の自室で、ただ座っていた。
怖かったのだ。
愛を代行される未来が。
◇◇◇
その夜。
私の部屋の扉が、荒々しく叩かれた。
「なぜ来なかった!」
聞き慣れた、低い声。
私は扉を開ける。
そこに立っていたのは――
いつも暗い顔をしていた、あのがっちりした男性。
息を切らし、額に汗を浮かべている。
「……レオンハルト様」
彼は、目を見開いた。
「どうして……俺の名を」
私は、笑った。
「だって、あなたしか好きではありませんもの」
彼の顔が、くしゃりと歪む。
「……俺は、顔が怖いと言われてな。お前に嫌われるのが怖かった」
「だから、代行業者に頼んだ。完璧な男を演じさせれば、お前は満足すると思った」
愚かだ。
あまりにも。
私は一歩近づく。
「『婚約者代行』をあなたが依頼してなければ」
彼の胸ぐらを、ぎゅっと掴む。
「恥も外聞もなく、今頃とっくに結婚していましたよ?」
沈黙。
次の瞬間。
彼は私を抱きしめた。
「……代行は、もういらない」
「ええ、いりません」
「俺が、毎日行く」
「来られない日は?」
「……その日は、正直に謝る」
私は笑う。
「それでいいのです」
好きな感情は、代行できない。
不器用でもいい。
格好悪くてもいい。
あなたが、あなたとして来てくれれば。
未来予測AIの画面が、ふと光る。
> 婚姻成立確率: ——————
私はそっと、電源を落とした。
もう、予測なんていらない。代行なんかなければ。
私はとっくにその人が好きだったのに。




