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黄昏の追憶  作者: 小屋隅 南斎


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第8話

「じゃ、じゃあ桜。早速だけど、新人さんにどうやって話し掛けたらいいか教えて?」

 梅は遠慮がちながらも勇んでそう切り出した。

「正面から声を掛けると威圧感あるだろうし、後ろから声を掛けたら気付いてもらえなさそうだし……。いきなり名前を呼ぶのも怖いよね? 天気の話題とか? 最初は肝心だよね、椛ならどう声をかけるかな……」

「……」

(……前途多難そうだな)

 桜は眉間に皺を寄せ、内心で先行きを案じたのだった。

 紅色の制服に身を包んだ二人は、しばし対新人の作戦会議を開いた。抗争関係の作戦会議など毎日のように行っているが、朝日に包まれた二人だけの平和な作戦会議は、なんだか悪くないように感じた。新たな一歩を踏み出そうとしている梅は、意志は強くともやはり少し緊張している様子だった。それでも、なんとなく。いい方向に向かうのではないかという予感が、桜の胸の中にはあった。




***




 薄暗い部屋の中、桜は机の奥で突っ立ったままだった。耳に痛い程の静けさが広がっている。

 あの日、扉を開けて入ってきた梅の姿は、未だに脳裏に焼き付いている。あの時受けた衝撃は、凄まじいものだった。時が経つにつれて次第にその姿も見慣れていき、梅の傍に灯がいることも日常になっていった。林檎の計らい通り、二人の相性はとても良かった。梅は無理をしながらも、椛を目指して彼女のように振舞い続けた。勿論、梅が他人である椛になることなど不可能だ。しかし『ブルー』に殺されるその瞬間まで、梅は周りを鼓舞し続け、後輩達の前に立って皆を先導し続けた。まるで、椛のように。

「梅……」

 桜はだだっ広い部屋に一人佇み、彼女の面影を探すようにポツリと呟いた。梅は桜より一つ年上だったが、頼るというより甘えられる方が多かったように思う。梅が灯と出会ったばかりの頃には、「死体の処理の仕方で灯に気持ち悪がられたかもしれない」と半べそをかいて桜のもとに駆け込んできたこともあった。「絶対灯にドン引きされた」「もう一緒にいたくないかもしれない」と泣きつく梅を宥めるのに、桜は一晩を費やした。任務以外の話が出来る相手は、お互いにお互いしかいなかったように思う。

「……」

 今は、桜が梅に話をきいてほしかった。桜は任務以外で他人に話をしに行くことはしない。でも、今だけは。無性に梅と話がしたくて堪らなかった。

 必死に目を合わせようと堪えていても、ふとした時に逸らされる視線。板についてきた明るい笑顔の合間に見せる、本来の控えめな笑み。椛を意識しつつも、なんだか空回っている言葉選び。全てが懐かしく、恋しかった。

 無人の広々とした部屋は、窓を開けていないのになんだか肌寒く感じた。冷たさから逃れるように、桜はふらりと足を動かした。紅色のグラデーションが鮮やかな薄手のスカートが、ふわりと広がる。並べられた机の間を進み、桜は出入口へ向かった。この部屋には異常はなかったのだから、次の階へ行くべきだ。桜は廊下へ出ると、扉を優しく閉めた。手を離した時、梅が呼ぶ声が聞こえた気がして、思わず廊下の先を振り返った。長い廊下が続くばかりで、誰もいない。風が木々を揺らす音だけが、窓の外から小さく聞こえる。どうやらこれを聞き違えたようだった。

 桜は廊下の先に向けていた目を伏せ、背を向けた。カーペットの上を歩き出し、見回りを再開する。その小さな背中は、どこか寂し気に丸まっていた。




***




 六階の見回りを終えた桜は、五階に降りずにエレベーターへと乗り込んだ。押したボタンは、最上階を示していた。到着するとふらふらと降り、昔たまかを泊めたゲストルームの横を通り過ぎていった。そのまま奥の小さな階段室へ入ると、心ここにあらずといったような足取りで上へと上がっていく。階段の先に現れた扉の前で、その足は止まった。桜がドアノブを回すと、扉はあっけなく開いた。同時に隙間から風が勢い良く吹き付け、桜は目を瞑った。切り揃えられた黒髪が、ぶわりと舞った。制服が激しくはためく。

「……っ」

 目を開く。宵闇に包まれた屋上が、視界一面に現れた。豪華な内装と比べると飾り気のない、柵に囲まれただけの広々とした空間。その奥、薄っすらと見える月の下に、人影が立っているように見えた。

「……朱宮さ……っ」

 縋るように名を呼んだところで、見間違いだったと気が付いた。屋上を囲む柵が続くばかりで、人影どころか物一つすら置かれてはいなかった。

「……」

 桜は思わず駆け寄ろうとしていた足を止め、唇を結んだ。そっと扉を閉めると、人影があるように錯覚してしまった場所まで歩いて行く。何もない柵のもとまでやってきて、桜は外を見下ろした。遠くまで広がる街並み、小さく動く人々。明かりのつき始めた家々、暗い影に包まれた山々。風に吹かれながら、桜はぼんやりとそれらを眺めた。そして、上へと顔を上げる。地平線付近の朱色は、今にも消えそうだった。頭上には見渡す限り深い青色が広がっていた。その中央に、朧げな輪郭の月が浮かんでいる。薄っすらとした丸い銀の光が、静かに桜を見下ろしていた。

「……」

 桜は小さく息を吐いた。ここに足を運んだのは、無意識だった。でも、無性に来たくなったのだ。ここに来れば、会える気がしてしまったから。……いるはずなんて、ないのに。




***




 軽い靴音を鳴らして、桜は屋上に続く階段を上がっていた。見えてきた扉は閉まっていたが、鍵は掛かっていないようだった。手を伸ばし、遠慮がちに開く。冷たい風が入り込んできて、桜の黒髪と紅色のスカートを攫っていった。思わず目を瞑る。

 薄っすらと目を開くと、奥に小さな紅色が見えた。瞬きを挟み、完全に目を開ける。夜空の漆黒を背景に佇む、紅色の艶やかな髪、小さな背中。探し人に間違いなかった。

「朱宮さま」

 桜は扉を閉めると、彼女の名を呼んだ。桜の吐き出した息が、白く靡いていった。林檎は見上げていた頭を戻し、ゆっくりと桜を振り向いた。いつもの上品で完璧な微笑みが現れる。桜はだだっ広い屋上を、柵の前に佇む少女のもとへと歩いていった。肌を撫でる風は冷たく、桜は思わず自身の身体を抱いた。桜が林檎のもとまで来た時、彼女は再び空を見上げていた。上を向く大きな瞳、寒さから赤みの差した頬。彼女の小さな口から、白い息が仄かに靡いていた。

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