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黄昏の追憶  作者: 小屋隅 南斎


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第3話

「少し……感傷的になっているのだろうな。わたくしはやはり未熟者だ。……朱宮さまのようには、どうしてもいかない」

 ぼそりと漏らし、桜は悲痛な表情を浮かべた。それを振り払うように、気を引き締め直して顔をあげる。机の上の書類を翻して裏返すと、忘れずに椅子を机の下へ丁寧にしまった。そして、桜は執務スペースを出ていった。少し早いが、いつも行っている建物の見回りを先に行うことにした。これは不審な物が置かれていないか、敵対組織の者が潜んでいないか、『レッド』のメンバーに不審なところはないか等を確認するために桜が自主的に行ってきた日課だ。本当はこの行為の一番の目的は、林檎を暗殺しようと企む輩が潜んでいるのを一早く見つけ、彼女を守るためだった。今は林檎も新しい長も建物にはいないが、前述した目的もあるため無駄にはならない。それに場所を変えて身体を動かすことも出来るし、気分転換がてらに行うにはうってつけだろう。桜は柔らかなカーペットを一定の速度で踏みながら、廊下を一人歩いていった。煌びやかな照明に照らされた顔は、真面目な表情を作りながらも、やはりどこか暗く影が差していたのだった。




***




 七階を隅々まで周り、異常がないことを確認して六階まで降りてきた。階段室を抜け、長い廊下へと足を踏み入れる。奥まで見渡すが、人の姿はなかった。八階の執務スペースを出てからここまで、桜は誰にも会っていなかった。明日は休戦日のため、建物に残っているメンバーはほとんどいないようだ。無人の廊下を桜は一人、背筋を伸ばし、規則正しい歩調で歩き出す。そして不審な点を探し、辺りを見渡した。並ぶ照明、窓、鮮やかなカーペット。普段通りの、塵一つない綺麗で清潔な廊下が続いている。どうやら異常はないようだ。確認がてら窓から外を見れば、遠くで太陽が山の奥へと沈みかけているのが見えた。綺麗な朱色の夕焼けは奥へと追い遣られ、夕闇が空を支配しようとしている。家々には明かりがつき始め、暗くなった木々は静かに揺れていた。建物の中では感じられないが、外は風が冷たくなっていそうだ。……早く書類仕事を終えなければ。

 廊下を進んでいると、扉が見えてきた。扉を開けると、桜はおかっぱの毛先を揺らして部屋へと入っていった。ここは『レッド』のメンバー達の作業空間、会社時代で言うオフィススペースのようなものだ。広い部屋には机と椅子が規則正しく並んでいる。普段は席が埋まる程少女達が座り、各々書類作業や資料の作成、武器の手入れや作戦の立案などを行っているのだが、今は広々とした空間には誰もおらず、静けさばかりが広がっていた。同じ場所なのに、日中とはまるで雰囲気が違う。無機質に並ぶ数多の机、人の気配を感じない開けた視界、窓の奥で広がる宵闇、薄暗さに飲まれた無音の室内。伽藍堂としていて、なんだか寂寞感に満ちている気がした。

 桜は隅々まで部屋を見渡した。普段と違って奥までよく見える。侵入者、および不審物がないことを確認した。

「……」

 確認を終えた桜は、何かに導かれるように並んだ机の間を歩いていった。その先は、窓際に置かれた一つの机。その前までやってくると、桜は足を止めた。この席は、以前は桜の席だった。まだ上階の執務スペースが存在しなかった頃の話だ。今は既に他のメンバーの席となっていて、その証拠に現主の嗜好と思われる桃色の置時計が置かれていた。

 桜は机を周り、椅子の前へと立った。顔をあげる。重い瞼の奥から、ゆっくりと部屋を見渡した。

「……」

 今は人がいないが、見慣れた光景が広がっていた。天井の照明、奥のウォーターサーバー、壁に沿って並んだキャビネット、全ての場所が記憶の中の光景と一致した。右奥を見れば扉が見えて、入ってくる人の顔がよく見えたことを思い出す。並ぶ机の配置も当時のままだ。今は違っているだろうが、当時どの席に誰が座っていたかも桜は全て覚えていた。

(この光景を見ていると、あの日を思い出す……)

 桜は懐かしむように目を細めた。この席に座った期間はそれなりに長かったが、その中でもあれほど衝撃的な出来事は他になかった。あの朝受けた驚きを、桜は未だに忘れられずにいる。




 それは『レッド』という組織が名前を得て、『ブルー』や『ラビット』に存在を認知され、公に活動を始めた頃のことだった。当時『レッド』の一員となったばかりだったイロハへ、林檎は『ブルー』への潜入スパイの任を命じていた。椛は『レッド』のメンバーとしては珍しく、アグレッシブな一方で身軽に動くことの出来る人材だった。彼女は要領が良く頭も良いが、同時に運動神経も良く、見様見真似である程度体術も熟せた。そして『レッド』に入るにあたって矯正はしたが、彼女は強い感情に突き動かされる一面があった。『ブルー』へスパイを送り込むとすれば、彼女以上の適任はいなかった。あるいはそのために林檎は椛を迎え入れたのだとさえ囁かれていた。『ブルー』側は椛がスパイであることに全く気付いておらず、椛の『ブルー』入門計画は順調に進んでいった。正式に『ブルー』に入ることが決まった前日、椛は『レッド』にいた痕跡を全て消し、この建物を去っていった。彼女がいた期間はそれほど長いわけではなかったが、彼女が一人いなくなるだけで、なんだか部屋が妙に静かになった気がしたことを覚えている。彼女は調子者で明るく、ある種のムードメーカーだった。彼女の声が聞こえてこないことに、しばらく違和感さえもあった。しかしメンバーが一人離れただけで、寂しくなってはいられない。組織にいれば別れは常に付き纏うもの、それに死別したわけでも離反したわけでもない。有能な彼女は向こうでも活躍するのだろうから、桜もここで成果を出し続けねばならない。桜は日常から椛が消えても、変わらずに過ごしていこうと決意した。まるで最初から、椛なんていなかったように。駒が減ったことを作戦で考慮する必要はあれど、寂しい気持ちや周りの顔ぶれなど抗争にはちっとも関係がない。それなら余計なことは頭から捨てるべきだ。そして今まで通り、『ブルー』や『ラビット』の殲滅を目指して日々尽力し続けるのみだ。




***




 椛が去って初めての朝を迎えた。

「おはようございます」

 桜はいつも通りに真面目な声を響かせながら、扉を開けて部屋へと入った。机ばかりが並ぶ、静かな作業スペース。これまたいつも通り、桜が一番乗りだった。部屋の照明をつけ、無人の部屋を進んでいく。足の怪我が完全に治りきっていないため、その足取りはぎこちなかった。朝日の差し込む自身の席へと向かい、椅子を引いて腰を下ろした。本日の予定を確認するため、机の上へ書類を広げ出す。新たに組織に入ってきた者が五名ほどいるらしく、今日は新人への説明や戦闘訓練が主になりそうだった。確認を終えて銃のメンテナンスを始めると、一人、また一人と『レッド』の少女達が部屋に集まってきた。銃を組み立て直して顔をあげた時には、既に半分以上の席が埋まっていた。いつもならこの時間に来ている椛が姿を現していないことに気付き、桜は彼女の姿を探して部屋を見渡した。珍しく寝坊だろうか、と桜は思った。のらりくらりと言い訳を噛ます姿が目に見えるようだった。先制して説教を食らわせねば、と心の中で意気込む。年上でも遠慮は不要だ。

 それからはた、と気付いて、桜は手を止めた。

(……そうだった。椛は『ブルー』へ任務に赴いたんだった……)

 彼女の姿が見えないのは当然のことだった。それに彼女はああ見えて、一度も遅刻をしたことがなかった。時間をきちんと守る彼女が、寝坊などするわけがない。桜は椛が座っていた席へと視線を移した。少し寂しそうな目をしていることに、本人は気付いていない。視線の先の机は私物が全て消え、綺麗に片づけられていた。

(これで静かになるな……)

 別に彼女が五月蠅かったわけではないが、彼女は『レッド』のメンバーにしては珍しく、冗談を言ったり茶々を入れたりするところがあった。相手が気を張り詰め過ぎている時にあえてそのような発言をしていたようだが、しかしいついかなる時も警戒を欠かさないことも非常に大切である。彼女が離れたことにより、これからは常に気を引き締めて話をすることが出来るようになるだろう。彼女の楽観的な笑みが過り、桜は頭から彼女を追い出した。他に椛が去ったことで影響が出そうなことを頭で確認していく。すると、一つ気がかりな点が思い浮かんだ。

(……ウメは大丈夫だろうか)

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