第23話
「おはようございます、たまかさん」
たまかは開いた扉へ顔を向けて、書斎に入って来た真面目な顔に笑みで応じた。
「おはようございます。今日はいい天気ですよ!」
切り揃えられた黒髪を揺らして近づく桜へ、たまかは声を弾ませて窓を指差した。桜も釣られてその先を追って、窓の外に快晴が広がっていることに気が付いた。
「確かにいい天気ですね。ですがいい天気であろうと、任務に変わりはありません」
にべもなくそう言って、桜はにこりともせずにたまかへと顔を戻した。
「本日の会談相手についての情報を洗っておきましたので、共有いたします」
今朝迅速に読み込んだ書類の山を思い起こしながら、桜は要点を簡潔に述べていった。会談相手についての基本情報、相手が敵対している組織の情報、『ブルー』や『ラビット』につく可能性、他の中小組織との繋がり、長の個人的な弱み、会談における話の展開の予測。
「……つきましては、向こうが『レッド』との協力関係を切ってくる可能性は約三十パーセントといったところでしょうか。会談前後でこちらの新しい長を暗殺しようと企む可能性も充分にあります。ただ本日は休戦日ですので、仮に『ブルー』や『ラビット』と既に手を組んでいた場合でも、応援を呼ばれる危険性はないでしょう」
桜はホルスターに収まった自身の銃を一瞥し、話を続けた。
「警戒心を煽らないためにも、会談に同行出来る人数はせいぜい数人です。ですので相手に怪しい動きがあった時点で、こちらも即座に動きます。……一応お尋ねしておきますが、こちらにメリットのない結論に帰着した時点で皆殺しにするのは……」
「絶対に駄目です。あちらに怪しい動きがあっても、武力を行使してはいけませんからね。あくまでも、私達は対話をしにいくのですから」
予想通りの強情な返答が返って来て、桜は表情に僅かに呆れを滲ませた。たまかの身を守りつつ相手を傷つけずに無力化するなんて、皆殺しにするよりも遥かに難しいことだというのに。
「……承知しました。では次に、会談の方向性ですが——」
しかし長の要求が難しかろうが、そこをどうにかするのが桜の役目だ。桜は真面目な顔で了承すると、そのまま話を次へと進めた。威力を調整したペン型スタンガン、睡眠薬、相手組織と取引している他組織への脅し。取れる手段はいくらでもある。『レッド』は頭脳と情報で戦う組織で、桜はその一員だ。長の理想とする状況を実現させつつ長の身を守り切り、そして『レッド』として利益を掻っ攫うことくらい、策を用いて全て熟してみせる。
「……今日の会談相手って、確か一部の供給を独占しているんでしたよね」
会談で先方へ伝える『レッド』の要求、そしてそれを飲ませる段どりについて説明していたところ、不意にたまかが声をあげた。桜は説明を中断し、たまかへと頷いてみせた。
「そうですね。それがどうかしましたか?」
今日の会談相手は、収穫物を店や組織に供給している組織だ。と言ってもその組織が農業をしているわけではなく、完全機械化生産をしている別組織から収穫物を独占している。スーパーなどにも卸しており、この組織が無ければ国中のスーパーから消えてしまう野菜もある。小規模組織ながら、それを強みにして生き残っているようだった。『レッド』もそれに一枚噛み、どこにどれ程吊り上げて売ればいいかを指示してきた。見返りとして食材の流通ルートの掌握、献上金の受領、そして入手が難しい薬草や毒草の類を密かに流して貰っている。
「今日の会談、栽培の様子の視察とか出来ないでしょうか?」
たまかは両手を合わせ、期待に満ちた目を桜へと向けた。
「視察……ですか?」
「はい。こんなに天気がいいですし、お出掛けにはぴったりだと思うんですよね」
たまかの言葉に、二人の視線は再度窓の外へと向かった。澄み渡る青空、燦々と照らす太陽、気持ち良さそうに羽搏く鳥々。桜は重い瞼を瞬き、頭の中でたまかの提案を吟味した。
「あちらの心臓部分ですから、容易に見せてもらえるとは思えませんが……。……ですが確かに、向こうの意思確認には丁度良いかもしれません」
『レッド』に忠誠を誓う覚悟があるのなら、この要求を飲むしかないだろう。生産物の販売で成り立っている組織にとって、いかに生産場所や生産方法が命綱であろうともだ。逆に裏切る算段を取っているのなら、『レッド』に手の内を明かすメリットはゼロである、絶対に断ってくるだろう。その返答次第で、こちらの動きを変えることも出来る。
「しかし……視察なんてして、一体どうするんです? 向こうは隠しているつもりでも、栽培を担う別組織も栽培をしている場所も、全て特定済みですよ。黙って勝手に見に行けばよいのでは?」
怪訝な顔で首を傾げる桜へ、たまかは穏やかな顔で首を横へ振った。
「栽培している薬草や毒草の比率を知りたいんです」
「比率?」
「はい。薬草にも様々な種類があって、その需要にもばらつきがあります。現場で需要が高いけれど枯渇している薬草を中心に栽培する量を増やしてもらったら、組織の利益にも現場の手助けにもなると思うんですよね」
密かに栽培場所へ侵入するだけでは、組織側にその場でフィードバックすることは出来ない。たまかの目的からすると、確かに視察という名目で行うのが適切かもしれない。
「あと、毒草の栽培を廃止して、その分を全部薬草の栽培にまわしてもらおうかと思いまして」
さらっととんでもない発言が飛び出して、桜は思わず真面目な表情を崩した。
「一度視察しておいて、再視察の際に毒草の栽培を本当にやめたのか確証を得たいんです。植物の栽培って場所をぽんぽんと変えられるようなものではないですし、現在の場所が育成に最良の場所ならばそれを変えて育てるのはかなりの手間だと思うんですよね。毒草を育てる抑制になると思います」
「……ちょっと待ってください。恐らく生産している毒草の九割以上、買い手はうちですよ。こちらとしても毒を使えなくなるのは非常に困ります」
『レッド』は暗殺や不意打ちに頻繁に毒を使用している。毒の抽出先は植物以外にも多いとはいえ、毒の種類によって使用する場面を使い分けているため、その一つを失うのは大きな痛手となる。
「これからは毒なんて使わなくなりますから」
たまかは明るい表情でそう断言した。たまかの目指す世界は、『誰も傷つかない世界』だ。その世界に殺傷目的の毒や薬は不要だということなのだろう。
「毒草は解毒剤としても必要になりますが、扱いが不明瞭な小規模組織よりも『不可侵の医師団』管轄での栽培の方がいいと思うんです。他の組織に渡ることを防げますし、医療従事者ならば適切に扱うことにも長けています。人を殺すためではなく、生かすために栽培した方がいいでしょう?」
桜は苦い顔で、自信に満ちた笑みを見つめた。
「……突然毒草の販売を停止したら、うち以外の買い手が暴動を起こしますよ。敵を作る上に利益も激減するでしょうし、首を縦に振るとは思えません」
「そこを『レッド』が守るんです。他組織の脅しや武力行使が続く以上、相手は『レッド』に依存せざるを得なくなります。それを交渉材料の一つにしましょう」
桜はたまに思う。たまかは林檎とはまた違った『強かさ』を備えている、と。こうなったら彼女は目的に向けて突っ走る。何を言っても聞かないだろう。
「利益についても大丈夫です。毒草の代わりに新たに栽培を始めた薬草を、『レッド』は毒草の闇取引の時と同等の値段で買い取ります。ですから、相手の損にはなりません」
また無茶苦茶なことを言っているなと思ったが、口を挟むことはしなかった。桜は頭の中で慎重にメリットやデメリットを精査した。薬草を入手困難である毒草と同じ値段で購入するのは、『レッド』にとっては余りにも無駄で、単純な損失でもある。しかしその値段で買い取る組織は相手にとって唯一無二の存在となり、厄介払い以上に『レッド』に依存せざるを得なくなる。デメリットを飲んでまで抱える価値がこの組織にあるかどうかは検討の余地があるが、関係が決裂して毒草が敵対組織の独占となる事態は、『レッド』の戦い方を考えるとどうしても避けねばならない。それらを加味すると、悪くはないのかもしれない。
「……まあ、協力関係を続けるにあたり、こちらの切れるカードが少なかったのも事実です。……動きとしては有りかもしれませんね」
最終的に、桜はたまかに折れた。いやむしろ、たまかの提案は新生した『レッド』にとっては最善の動きなのかもしれない。自分達が使用しないのなら殺傷能力のある武器や薬物は今後邪魔になってくるわけで、早いうちから販売ルートを掌握して刈り取る準備をしておくことは必要な事だろう。
「では、そのような感じで進めましょう。……会談、緊張しますね」
会談についての方針会議が終わり、たまかは胸に手を当てて小さく深呼吸を挟んだ。思い出したように普通の女の子のような感想を零すたまかを、桜は胡散臭いものを見るような目で眺めたのだった。




