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黄昏の追憶  作者: 小屋隅 南斎


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第14話

「……灯の反応はどうでしたか?」

「美味しいって言ってくれたよ! 気に入ってくれたみたい」

 話を逸らすように灯の名を挙げると、梅は途端に顔を晴らし、嬉しそうにそう言った。

「少しは先輩力を見せられたかな」

「それは先輩力とは違うと思いますが……」

 渋い顔で返す桜の言葉は届いていないらしく、梅はご機嫌に笑みを浮かべていた。

「いつか借金を返し終えたら、もっといろんなチョコレートを灯と食べるんだ! 灯が頑張った時に、素敵なご褒美になると思わない?」

 わくわくとした様子の梅に、桜も釣られて微笑みを零した。

「……いいんじゃないでしょうか。報酬があれば、灯の意欲にも繋がると思います」

「うん、そうだよね? その頃にはあたしも椛みたいな立派な先輩になって、灯も一目置いてくれてるかも……」

 梅は目を輝かせて、ショッパーを抱き締めた。灯と梅は仲が良いが、先輩として恭しくされるような関係ではないと思う。梅の理想とする姿には程遠そうだな、と桜は苦笑を浮かべた。

「チョコレートだけじゃなくて、クッキーとかケーキもいいよね。灯ってどのお菓子が一番好きなんだろう? 桜は訊いたことある?」

「いえ、梅が知らないのでしたらわたくしが知っているはずありませんよ」

「……ね、もしよかったら、今度灯からさりげなく訊いてみてくれないかな!」

 梅は期待に満ちた表情で桜の顔を窺った。

「自分で訊けばよいのでは……?」

「だっていつの間にか自分の好きなものを把握されてたら、『さすが先輩!』ってなるでしょ? あたしもいつの間にか椛に甘い物好きって知られてて、初対面で大好きなババロアもらっちゃったもん! あれあたしもやりたいから……!」

 梅はきらきらとした目を桜へ真っ直ぐと向けた。……ちなみに椛に梅が甘い物が好きだと教えたのは、桜である。話の流れでなんとなく口にしただけなのだが、椛はきちんとそれを記憶に留め、梅と打ち解けるために活用していたらしい。些細な情報も逃さずに有効に利用するところは、椛らしい。

「……わかりました、訊いておきますから。そのかわりチョコレートはきちんと仕舞っておいてくださいね」

 梅の熱い眼差しに観念してそう言うと、梅は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。隠し方について説教は出来なかったが、一応これで目的は達成されたはずである。林檎直々の任務を遂行出来て、桜は安心したように息をついた。暫く喜ぶ梅を眺めていた桜は、やがて何かを思いついたように、そわそわと視線を泳がせ始めた。

「……。あの、梅」

 桜は遠慮がちに声を掛けた。もじもじとする桜に、梅はきょとんとして首を傾げた。

「うん?」

「その、もし良かったら……。凄く美味しかったので、もう少し、頂いてもいいですか? チョコレート……」

 おずおずと尋ね、桜はショッパーへと視線を落とした。

「うん、勿論だよ」

 梅は嬉しそうにはにかみながら、ショッパーから箱を取り出した。蓋を開け、桜へと差し出す。桜は一度立ち上がり、引き出しを開けてキッチンペーパーを取り出した。

「あれ、ここで食べないの?」

「はい、後で部屋でいただきます」

 桜はキッチンペーパー越しに、小さな塊を摘み上げた。お礼を言う顔は、期待に胸が膨らむ様子を抑え切れていなかったのだった。




「戦利品を持ってまいりました」

 林檎の書斎へ通されると、桜は長へと少し得意げにそう告げた。その両手は、胸の前で優しく包まれている。

「戦利品……」

 林檎は感情の見えない顔で桜を見上げ、部下の言葉を小さく繰り返した。デスクに向かう彼女の前には、書類が無数に広げられていた。桜が訪ねてくるまで、情報精査をしていたようだ。書類から顔を上げたままの体勢で、林檎は視線だけを桜の両手へと下げていった。

「……『ラック』の殲滅の件ですね。首ではないということは、眼球か何かですか? 臓器売買の疑惑は『不可侵の医師団』からの心証が悪くなりますから、あまり死体の一部の持ち出しは……」

「い、いえ。その件も目下進めておりますが、その……、申し訳ございません、別件です」

 桜の進めている任務の話を真顔で出され、桜は若干のばつの悪さを感じながら否定した。林檎の挙げた任務は桜が現在最も注力しているものであり、実際今日も梅を目撃するまではその任務の準備にあたっていた。情勢を揺るがすような一手であり、また『レッド』においても未来を決するような重要な位置づけの極秘任務だ。しかしそんな大役を任されている人間が戦利品と呼んで持って来たのは、ただのチョコレートである。かけられた期待との落差が浮き彫りになり、桜は包んだ両手の中身を見せることに気が引けてしまった。……くだらないことにかまけてばかりの頼りにならない人間だと失望されてしまったらどうしよう。桜の心の中で、不安がむくむくと膨れ上がる。しかし戦利品だと口にしてしまった以上、中身を見せない訳にもいかない。……それになにより、これを持ってきた目的を成し遂げなければならない。

「梅の隠していたチョコレートの件です。指摘し、他の場所に移すように伝えました。それで……その証拠に、チョコレートを頂いてきたのです」

 桜はおずおずと両手を広げた。キッチンペーパーに包まれた、二つの小さな塊が顔を出した。

「……ああ……その件ですね」

 林檎は桜の説明に、眉一つ動かさずに静かにそう返した。その表情からは失望や呆れどころか、何の感情も読み取ることは出来なかった。

「お疲れ様です、ありがとうございました。今後は梅も何の危険もなく堪能することが出来るでしょう」

 林檎はその小さな顔に労うように微笑みを浮かべた。いつもの上品で、完璧な笑み。

「……」

 桜は両手を広げたまま、もじもじと視線を泳がせた。

「……、あの」

「はい」

 思い切って切り出すと、林檎はいつも通りの落ち着いた返事を返した。桜は胸の前で広げた両手を、林檎へ向かって示すように傾けてみせた。勇気を出して口を開く。

「よろしければ、朱宮さまも御召し上がりになりませんか。二つ、頂いてまいりましたので」

 そう、そのために梅からチョコレートを貰ってきたのだ。熱意の籠った声に、林檎はすぐには返事をせず、桜へ顔を向けたまま瞬きを挟んだだけだった。桜の言葉を全く予想していなかったのであろうことが察せられた。

(あ、呆れられただろうか……)

 沈黙に怯えながら、桜は林檎の顔を窺った。林檎は桜の開かれた両手へ視線を向けていたが、やがてその目を伏せ、小さく首を横へと振った。

「不要です。あなたが得た『戦利品』なのですから、あなたが口にするのが道理かと」

 にべにもなく断られてしまった。確かに林檎の言っていることは何も間違ってはいない。間違ってはいない……のだが、桜は諦めなかった。

「わ、わたくしは、ぜひ朱宮さまにも召し上がっていただきたいと思って、持参したのです」

 桜は林檎の好みを何も知らない。しかし彼女もチョコレートをつまみ食いしたのだとしたら、少なくとも嫌いではないはずだ。梅の意を汲んで真面目な桜へつまみ食いを促したかったのだとしても、口にするものに常に注意を払っている林檎が食べたという事実は大きな意味を持っている気がする。つまり……彼女は意外と甘い物が好きなのだろうと、桜は予測を立てていた。

「気持ちだけもらっておきます」

 林檎はそう言って僅かに微笑むと、情報精査に戻ろうとしたのか視線を書類へと下げた。話は終わったと思ったのだろう。

「信用出来ないお気持ちもわかります。ですが……このチョコレートに、毒は入っておりません」

 桜は引き下がらずに、言葉を続けた。机上へと下がった林檎の瞳が、再び桜を見上げる。

「チョコレートをお持ちしたのは、ただ朱宮さまに喜んで頂きたかっただけなのです」

 林檎のことを何も知らないからこそ、もっと彼女のいろいろな姿が見たいと思うのだ。好きなものを食べて喜んでいる姿、部下からのお裾分けに驚く姿、任務が完了して無防備に安堵している姿。まだ知らない姿を、沢山知りたい。……この気持ちは林檎の頭脳を以ってしても理解出来ない程、おかしなものなのだろうか。

「本当に……ただそれだけなのです」

 彼女は誰の事も信じていない。だからこの言葉も、きっと彼女の胸には届かないだろう。……それでも。桜は林檎の向かうデスクへと足を踏み出した。

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