第六章:君が振り向いてくれないから
初めて「自分がゲイであること」に触れた頃の僕は、まだ幼くて、何をどう受け止めればいいのか分からなかった。
この章は、秘密と孤独の中で、それでも必死に居場所を探そうとしていたあの頃の記録です。
誠一郎と僕はすぐに仲良くなった。 帰り道に本屋に寄ったり、休みの日に映画を観たり。時には一緒に飲みに行って、くだらない話をして笑い合った。このままずっと、こんな日々が続けばいいと思っていた。
上京してから、僕は初めて一人で暮らすようになった。狭いアパートの六畳間。畳の匂いと、コインランドリーの乾燥機の音。誰にも干渉されない空間。そしてそこには、誰にも見せたことのない“僕のもうひとつの顔”があった。
初めて古本屋で見つけたゲイ雑誌。手に取った瞬間、心臓がドクンと音を立てた。誰にも見られていないか、何度も周囲を確認した。やっとの思いでレジに持っていき、紙袋に入れてもらって、その袋をぎゅっと抱えて部屋へ戻った。
夜、部屋の隅で明かりを落として、ページをめくった。胸が高鳴った。知らなかった世界がそこにあった。でも、読み終えると次第に罪悪感が押し寄せてきた。
こんなものを読んでいる自分はおかしい──そう思って雑誌をビリビリに破いて捨てた。
「自分を受け入れること」が、こんなにも難しいことだなんて思っていなかった。でも、東京という街は、不思議とそんな僕を受け入れてくれていた。
いつしか僕は新刊のゲイ雑誌を買うようになっていた。それが“僕の本棚に普通にあるべきもの”になっていった。
当時のゲイ雑誌には出会い系の文通欄があった。初めて目を通したときは、なんだか別の国の言葉のように感じた。
でも、何度も読み返すうちに、そこに並ぶ言葉たちが自分の居場所のように思えてきた。
思い切って手紙を書いた。
「東京に来たばかりの学生です。話し相手が欲しい」──そんな文面だったと思う。
返事をくれたのは、15歳年上の男性だった。会ってみると、正直まったくタイプではなかった。顔も体型も、髪型も、好きになる要素はどこにもなかった。
でも、「ゲイ」という存在がまだとても遠いものだった僕にとっては、この人しかいない。たったひとりの“理解者”かもしれない。
そう思い込んで、しばらく付き合うことにした。
そして、初めての夜──
経験のすべてが未知で、怖くて、それでもどこかで“この瞬間から自分は変わるのだ”と感じていた。
部屋に戻って、一人になったあと、ふと誠一郎の顔が浮かんだ。
心の中で小さくつぶやいた。
「ごめん」
何に対する「ごめん」だったのか、自分でもよくわからなかった。でも、それは“子どものままでいたかった自分”との決別だったのかもしれない。
結局その人のことはどうしても好きになれず、僕は別れを告げた。
数日後、彼から届いた手紙にはこう書かれていた。
「君はいつもニコニコしていたけど、心の中は全然違ってたんだね」
「そうやって嘘の心を抱えたまま描いてるから、絵にもそれが出てる。だから美大に受からないんだよ」
読み終えて、怒りと悲しみと悔しさがごちゃまぜになった。でも、その言葉に、どこかで納得してしまった自分もいた。
本当の自分を隠したままでは、描くことすら嘘になってしまう──そう気づいたのは、その手紙のおかげだったのかもしれない。
いま振り返れば、すべてが拙くて、恥ずかしくなるような経験ばかりです。
けれど、そのひとつひとつがなければ、いまの僕はなかった。
絵を描くことも、恋をすることも、そして「嘘をつかずに生きたい」と思う気持ちも──
すべては、この時期に生まれたのだと思います。




