第五章:輪郭が浮かぶ場所
見えない未来に向かって、歩き始めた。
遠くに霞んでいた自分のかたちが、
少しずつ線を帯びて浮かび上がっていく。
最初の受験で落ちたとき、正直それほど大きなショックはなかった。実力不足は分かっていたし、何より描くことがただ純粋に楽しかった。だから浪人して、もう一年、もう少しだけ自分を磨こう──そう思った。
それが、結局四年になるとは思っていなかった。でも僕にとっては、この予備校で過ごした4年間の日々が、何よりかけがえのない時間となった。
東京の美術系予備校──そこには、これまでの人生で初めて、「自分のままでいても否定されない場所」があった。
そこには、今まで出会ったことのない人たちが大勢いた。 髪をモヒカンにカットしている子。スカートに軍靴を合わせる子。誰とも話さないまま、壁の隅でずっとデッサンをしている子。 みんな何処かしら変だった。だけど、その「変」が自然に受け入れられていた。
僕はというと、最初は怯えていた。 田舎の学校ではいつも、声が高いことや男らしい喋り方ができないことで、妙な目で見られていた。 人と話すのも得意じゃなかったし、古着屋で選んだ服を笑われたこともあった。
でも、この予備校では、誰も僕をからかわなかった。 むしろ、変わった格好をしている方が、話しかけてもらえるきっかけになった。
「そのシャツ、いいね。自分で染めたの?」 「線の引き方、独特だね。面白い」
そんな言葉をかけられるたびに、少しずつ、自分の輪郭が浮かび上がっていくような気がした。 誰かの“普通”ではなく、僕の“まま”で、ここにいていいんだと感じられたのは、この場所が初めてだった。
そして僕はここで、久しぶりに強烈な本気の片思いをすることになる。
僕がこれまで惹かれてきたのは、どこか無骨で、日焼けしたような渋めの顔をした男の人だった。 初恋の相手の浩明がそうだったから。陽気で、どこか泥臭くて、でも自然と目で追ってしまうような存在感があった。
だけど、ここで出会った誠一郎は、それまでとはまったく違うタイプの男だった。
予備校の初夏。クロッキー教室のガラス戸を開けたとき、奥の窓際でスケッチをしていた誠一郎を見つけた。 白い肌にふんわりした髪、リスのようなグリグリした目。 動きも、しゃべり方も、笑い声までもが子どものように無防備で、小動物のように愛らしかった。
「消しゴム、貸してくれる?」
最初に声をかけられたとき、僕はうまく返事ができなかった。 そのくらい、不意を突かれた。東京には、こんな可愛い男の子が普通にいるんだ。 それだけで少し眩しかったし、それだけで、どんどん惹かれていってしまった。
誰かの基準ではなく、僕自身の“まま”でいい。
そんな実感を与えてくれた場所で、
思いがけない出会いが、心をさらに震わせた。




