15 不穏な南東部
マウントキャットが際限なくネブリル地方側の森から押し寄せるのだという。
身軽になったので、ロランはシセイ侯爵領にある屋敷に帰ってきていた。既に婚約破棄からは20日ほど経過している。
「まったく、どうなっているんだ」
ロランは屋敷の居間でソファに寝そべったまま呟く。身体は鍛え上げており、その気になれば何時でもキビキビと動き出すことは出来る。
だが、その気になれないのだった。全部システィナ・コナーズのせいだ。
(そうだ、あの女め)
必ずしも腹立たしいのはマウントキャットのような魔獣のことだけではない。
高慢なシスティナ・コナーズに恥をかかせるつもりで、ちょうど帝国貴族の集まる舞台を利用しようとした。
(あんな子供のママゴト発表の場が、なんだっていうんだ)
幾人かの高位貴族から叱責されたので、つまらなくなって領地に帰還したのである。
(俺はよくやっていたさ、よくやっている。それなのに)
何をしても筆頭聖女だからシスティナの功績となる。賞賛されるのは常にシスティナであった。爵位ではシセイ侯爵家の方が上位なのに、だ。
「そして、あの女は!それでも聖女なのかっ!」
ソファに横たわったまま、酒の入っていた盃を床に叩きつける。
私兵部隊を差し向けたが、あまり駆除が進んでいない。駆除できる数よりも現れる数の方が多いのだった。
1頭1頭は大したことがないものの、マウントキャットという魔獣は大量発生すると危険なのだ。爪も牙も鋭く、敏捷なので侮れない。
だから一撃で容易く数匹を片付けられるシスティナがいると便利なのだが。
「破談するなり、我が領土の民を助けないなどと。爵位目当ての婚約だったと言っているようなものではないか」
独り言をポツリと吐き出す。
調度もソファも家具の全てが新しくて豪華だ。領土内は肥沃であり、耕作さえ落ち着いて出来れば、いくらでも税収が上がる。
だが、領土でマウントキャットが跋扈するようでは、農作に専念できなくなるかもしれない。そうすると収穫期には大きな損害となる。
どうするべきなのか。まじめにロランは考えようとし始めた。
「ロラン様ぁ」
しかし、甘ったるい声とともに、緑髪の美女が部屋に入って身を寄せてくる。桃色の肩まであらわな露出の多いドレス姿だ。
「どうしたんだい、メルティ?」
ロランはそっと少女を抱き寄せる。柔らかい感覚がたまらない。
魔獣討伐の折、救えなかった村で独り生き残っていた少女だ。緑髪の美しく、初見で心奪われた。
救い出して保護してきてからは、一途に自分を愛してくれる。本当に自分を見てくれているのか疑わしかったシスティナとは大違いだ。
「やぁぁっと、あのいけすかない聖女様を追っ払ってくれたんですね?とぉっても嬉しいです」
メルティがロランの首に手を回して、しだれかかってくる。この娘をシスティナが一目見るなり邪悪だから追い払えと告げたのだ。
(ふんっ、消えるのはお前の方だ)
澄まし顔しか思い浮かばないシスティナを、記憶からロランは抹消したくてしょうがない。
(この愛があれば、筆頭聖女の肩書など要らんのだ)
ロランはメルティの華奢な背中に手を回し、腕にグッと力を入れて自分に押し付ける。
(そもそも、魔獣を討つ力など、平和な世にあっては不要。筆頭聖女も不要。システィナも不要、だ)
自分は欲しいものをほぼ手にしている。
しかし、羨ましいのは新参でありながら、公爵家となり、ティア・ブランソンと婚約しているクレイ・ディドルだ。
「見違えた。まさか服の丈が合えば、あれほど愛らしいのか」
思わず、青いドレス姿のティア・ブランソンを思い出してロランは呟く。
今まではあらゆる場面で服の丈が合っておらず、逆に着られていたから魅力的には映らなかった。むしろ滑稽なぐらいの姿だったものだ。
「ええええ、ロラン様ぁ、それ、誰のことです?メルティは嫉妬しちゃいます」
しかし、もっと大人びていて、蠱惑的な恋人を自分は得ているのだ。カレン・メルディフにも劣らない美女だとロランは思っている。
(そして、こんなにも心通わせ、触れ合えているのだから)
自分は勝ち組なのだ。システィナ・コナーズのせいで、よりにもよって婚約者から惨めな思いをさせられる生活とはおさらばしたのだ。
「いや、顔貌がどれだけ整っていても、幼児体型には惹かれないよ。この間、皇都の行事で、そんな娘を見かけてね」
ロランはメルティを抱き寄せて、その耳元で囁く。
「未来の王妃様をそんな風に呼んではいけません」
メルティからいつもとは違う声が発せられた気がする。
「えっ、なんだい?」
一瞬、ロランは我が耳を疑う。
「なにもぉ、メルティは言ってませんよぉ?急にロラン様ったら、どうしたのぉ?」
しかし、目の前にあるのはやはり、蕩かすようなメルティの可愛らしい笑顔だ。
きっと気のせいだろう。
「いいやなんでもない。それより、私は君と楽しい時間を1秒でも多く過ごしたいのさ」
ロランは告げて、束の間、マウントキャットのことを記憶から消し去ってしまうのであった。




