61 異変
昼食をお父様達ととった後はプライベートゾーンに戻り、自室で本を読んで過ごした。
こうして仕事もせずに本を読んで過ごすなんて、以前には考えた事もなかったわ。
午前中は侯爵夫人からレッスンを受けて、午後は読書三昧という日を数日過ごした後、葬儀に着るドレスの仮縫いが行われた。
「フェリシア様、お待たせいたしました。こちらが葬儀用のドレスになります」
バクスター商会の持ってきたドレスは黒一色の生地に黒いレースをあしらった少しおとなしめのドレスだった。
この世界でも葬儀用のドレスは黒と決まっているのかしら。
孤児院でジェシカの葬儀を出した時は、黒い服になんて着替えなかったわ。
もっとも平民が葬儀用の服なんて持っているわけがないものね。
お葬式で黒い服を着るのはよっぽど裕福な家庭じゃないと無理だわ。
デザインは凝った物ではないけれど、その代わり生地とレースがいかにも高級そうなのがひと目でわかった。
「フェリシア様、着心地はいかがでしょうか? 動きにくい箇所はございませんか?」
仮縫いしたドレスを着せられて、私は鏡の前に立って自分の姿を見る。
喪服を着たまま、激しい運動をしたりはしないだろうから、動きにくくはないだろうけれど…。
それでも一応、腕を上げたり肩を回してみたりしたけれど、特に気になる所はなかった。
「大丈夫、どこも動きにくい所はないわ」
「承知いたしました。それではこちらで仕上げをいたします」
バクスター商会は私からドレスを脱がせると、挨拶もそこそこに退室していった。
同行していたお針子さんの目の下にはクマが見えたけれど、大丈夫かしら?
葬儀用とお披露目用のドレスだけ仕上げてもらったら、後は急がなくていいと伝えた方がいいかもね。
応接室からプライベートゾーンに戻って自室に向かおうとした所で、またもや視線を感じて立ち止まった。
「フェリシア様? いかがなさいましたか?」
アガサが怪訝な顔で立ち止まった私を振り返る。
「今、誰かが私を見ていたような気が…」
けれど視線を感じた方向に目をやってもそこには誰もいなかった。
あるのは別邸に向かう扉だけ。
「アガサ、あちらの扉は閉ざされているのよね?」
「はい、陛下の命令により鍵をかけております」
アガサはそう断言するけれど、どうしても気になって仕方がない。
私はつかつかとその扉に向かって歩き出した。
「フェリシア様! どちらへ行かれますか?」
アガサの声と足音が後ろから追いかけてくるが、それには構わず扉に近寄った。
扉の取っ手を握って思い切り引っ張ると、開かないはずの扉が開いた。
「扉が開いた!?」
追いついて来たアガサが信じられないとばかりに声を発した。
扉の向こうには長い廊下が見えた。
手前の方はこちらの明かりで見えるが、向こうの方は明かりが灯されておらず真っ暗だった。
まだ外は明るいのにどうしてこんなに真っ暗なんだろう?
どこまでも続いているような、吸い込まれそうな闇に身体がゾクリと震える。
「フェリシア様、いけません。…誰か、陛下に連絡を!」
アガサが扉を閉めて、私をその場から追い立てるように自室の方へと連れて行った。
自室に戻ってソファーに腰を下ろした途端、得も知れぬ恐怖が襲ってきた。
閉まっているはずの扉を開いたのは誰なんだろう?
なんの為に扉を開いたんだろう。
まさか、本当に王妃様が化けて出て来ているの?
「フェリシア様、落ち着いてくださいませ。さあ、お茶を…」
アガサがお茶を入れて私の前のテーブルの上に置いた。
震える手でカップの取っ手を掴んだが、ブルブルと震えて持ち上げられない。
「失礼いたします」
アガサが私の横に跪いて、カップを持ち上げると私の口元に近付けた。
震える唇をカップに付けてほんの少しだけお茶を口に含んだ。
温かいお茶が喉を通って身体の中に入って行くのが感じられて、ようやく落ち着きを取り戻せたようだ。
私はアガサの手からカップを受け取ると、もう一口お茶を流し込んだ。
「…ありがとう、もう大丈夫よ…」
幽霊がいたとしても扉の鍵を開けられるはずは無い。
あの扉を開けたのは人間だから、きっとお父様が犯人を突き止めてくれるわ。
大丈夫よ、大丈夫…。
私は祈るように繰り返した。




