Chapter_4『では始めよう』
執務室、もとい応接室を出て、再び宇宙空間みたいな通路を歩く。時にはエレベーターを乗って、扉を開けて、新しい宇宙を歩いて―――そんな感じでまぁまぁな距離を歩かされた。
今から起こるイベントの全容を説明してもらうには、十分な時間だった。
「VRというものがあるだろう? コレはその遠い親戚のようなものさ」
白衣のポケットに両手を突っ込み、3歩ほど前を闊歩しながら、雄弁に語るシェリー。漆黒に染まっている光景のせいか、その背中が悪の組織に在籍する女科学者にしか見えないのだが、言葉には出さなかった。一介の男子高校生にも空気を読むことぐらいは出来る。
「遠い親戚? VRとは違うんですか?」
「似てはいるが、根本的に異なるね」
言いながら、通路の壁に手をかざすシェリー。
すると、黒一色だった壁が淡く光を放ち―――そこに、映像が表示された。
渡された資料に載っていた近未来チックなヘッドギア、ではなく。
いわゆる『VRゴーグル』と呼ばれる代物の画像だった。
「VRは、ここ―――ゴーグルで言うところのレンズだね―――この液晶に表示された映像を、現実の君の眼を通して、現実の君が情報処理を行う。手を動かしたり、レバーを操作したりしてね。それに対して...」
大げさに手を振るうシェリー。その動きに連動し、VRゴーグルの画像は宇宙の彼方に吹っ飛んでいき、代わりに例のヘッドギアの映像が表示された。
「こっちは、君の意識を電子の世界に導き、そこでプログラムと直接やり取りを行わせる。まるでゲームの世界に居るような映像を見せる、のではなく、ゲームの世界で全ての処理を行わせるのさ」
「.....なるほど?」
「その顔は分かってない顔だねぇ」
「8割ぐらい.....ですかね」
8割ぐらい分かっていない。
「分かりやすく言えば、君の意識がプラグイン、E:rosの世界にトランスミッション! というわけさ」
「ちょっと何言ってるか分からないです」
「おや? ジェネレーションギャップというやつかな?」
少し残念そうな顔をしながら、指パッチンをするシェリー。すると、通路に表示されていたヘッドギアの映像も消え、景色は再び漆黒の通路に戻る。
今更だが、この通路もかなりハイテクだ。自分が想像している以上に世界の技術は進歩しているらしい。この技術がこの通路に必須かどうかは疑問だが。
「つまり、『ゲームの中に入ってゲームをする』、みたいな感じの話ですか?」
「まさしくその通りだね。なんだ、分かっているじゃないか少年」
ギリギリ理解した2割の内容である。合っていてホッとした。
「で、話をまとめるとだ。君には開発したばかりのデバイスを装着して、『ゲームの中に入ってゲームを』してもらいたい。何か質問は?」
それに関しては異論も質問も無い、のだが。
気になった―――というか、ずっと気になっている点が1つだけ。
「.....なんで、オレなんですか?」
「はい?」
足を止め、こちらを見やるシェリー。
その「何言ってんだこいつ?」とでも言いたげな顔に、兼ねてからの疑問をぶつけてみた。
「そんな重要そうな役割、オレなんかより、もっと強い人とか、有名な配信者とかにやってもらった方がいいんじゃ.....」
あのメールが来た時からずっと疑問だったが、今のデバイスの話を聞いて、尚更強く思った。
ゲームの中に入れるデバイス、なんて聞いたことが無い。もしそれが本当なら、E:rosどころかゲーム業界にとっても革命的な技術なのではないだろか。
正式に発表すれば業界全体が、いや世界が震撼するに違いない。
無論、遊ぶ側のユーザーも、そんなものやりたいに決まっているわけで。
そんなモノの被検体を、一介のユーザー、それも一般男子高校生が担っていいのだろうか。ただ遊んで「楽しかった! #小並感」なんて感想を聞かされても、何の参考にもならないだろうに。
「何を言ってるんだい。君だからこそいいんだよ、『煎茶』君」
わざわざネットネームで呼んできたシェリーは、前へ向き直り―――その視線を追って初めて、目の前が行き止まりだったことに気が付いた。
その行き止まった通路の壁に、ぺたりと手を当てるシェリー。
すると、指紋だか静脈だかを読み取ったらしい機械が、飛行機の搭乗ゲートみたいな音を奏でて。
壁だと思っていた、取っ手も装飾も無い扉が、左右に開いた。
「さぁ歓迎しよう。ここが私の研修室、そして君をゲームの世界へ迎え入れる場所だ」
扉の向こうは、大量の機械が置かれた部屋だった。PCが内蔵されているであろう巨大な箱がいくつも並び、笑っちまうほど広いデスクにはモニターが8、いや10枚は備え付けられている。
そのモニターやら箱やらから伸びた配線が、部屋中を走り回っているのだが。
一カ所だけ、その配線が混在していない場所があった。
「.....わぉ」
思わず声が出た。
部屋の中央に鎮西している、手術台とリクライニングシートの中間みたいな椅子。
アニメや漫画の中でたまーに出てくる『座ったら頭に変な機械を付けられて酷い目に合うシート』が、この令和の現実世界に存在していた。
「さて! 実験を始めようじゃないか!」
嬉々として近未来型デバイスを手にし、今日一番の笑みを浮かべているシェリー女史。
世間ではこういう状況を『役満』と言うらしい。
「やっぱり帰ってもいいですか?」
「心配する事は無いさ!電流を流したりしないし、トラウマ映像を見せて精神破壊するようなこともしないって!」
「そんなとびっきりの笑顔で言われても説得力無いですからね?」
日本のサブカルに造詣が深いのは結構だが、その知識で不安を煽るのは控え目に言ってやめて欲しい。ただ楽しんでいるのか、何か別の意図があるのか。これまでの絡みからすると前者な気がしている。
「まぁ、ここで帰ってもらっても構わないけどね。私としては」
「えっ?」
一転して、ヘッドギアを体の後ろに隠し、改めてこちらを見てくるシェリー。
その顔は、つい数瞬前までの狂気的な笑みではなく。
全てを見透かしているように、にっこりと、静かに笑っていた。
「なんで今日、君はこの支部へ来てくれたんだっけ?」
「.....なんで、って...」
さっき執務室でも聞かれた内容の1つ―――なのだが、改めて問われると言葉に詰まった。
呼ばれたから来た、なんて回答ではなく。
オレは、こう答えた。
『なんでもいいから変わりたかった』
『変化が欲しかった』と。
「このまま帰った君は、変わることが出来そうかな?」
「...............」
背後の扉を見やる。オレ達が入ってきたまま開きっ放しで、相変わらず宇宙みたいな光景が広がっていた。
この通路を歩いていき、来た道を辿れば、問題なく外へ出られるだろう。
そして、電車に乗って移動すれば、簡単に帰ることが出来る。
自宅へ。
自室のゲーミング部屋へ。
あの、ひとりぼっちの閉鎖空間に。
それが、どうしようもなく無意味な行為に思えて。
「..........付き合います。その実験に」
「結構。では始めよう」
シェリーに向き直り、差し出されたヘッドギアを受け取る。
後ろで扉が閉まる音がした。
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