Chapter_9『嘘でもソレは完全なAI』
ビル風が吹いて、3人の髪が揺れて。
吹いている間、シェリーが言っていた内容を、頭の中でかみ砕いて、咀嚼して。
風が落ち着いたぐらいのタイミングで、確認を取ってみた。
「......つまり帰さないって事ですか?」
「帰さないって事だね」
「聞いて無いんですが!?」
「そりゃね。そうは言ってなかったからね」
目の前の女が茶目っ気たっぷりにウィンクをして見せる一方で、その隣の妹は物凄く申し訳なさそうに顔を伏せていた。
だんだんこの姉妹の関係性が見えてきた気がする。
すなわち、邪知暴虐天衣無縫な姉が暴走し、その後処理や面倒ごとに妹が駆り出される、とかそんな感じなのだろう。
なんてクソどうでもいい事を考えているあたり、思考が現実逃避をし始めたらしい。
落ち着け自分。
そんなことより考えることは山ほどある。
「ちょっと整理させてください。えーっと...?『アカウントが40レベルになるまで』とかなんとか言いました?」
「言ったね」
「40レベルになったらテスター終了って事ですか?」
「いいや?その後は『リーグ』に潜ってもらうよ」
「...リーグに何試合潜ればいいんですか?」
「何試合というか、ランクが『マスター』になるまで頑張ってもらおうかな」
「帰す気あるんかアンタ!?」
これまでにも出てきた『リーグ』という単語は、E:rosにおけるプレイヤーのランク、強さの度合いを明確に定める為の試合のことだ。
ランクはプレイヤーの強さに伴って、大きく7段階に分けられている。
一番下から、
〇始めたての『ルーキー』
〇操作を覚えた『ブロンズ』
〇敵の倒し方を心得た『シルバー』
〇中級者を名乗れる『ゴールド』
〇上級者の入り口『プラチナ』
〇一握りの強者『ダイヤ』
〇廃人達の巣窟『マスター』
といった具合だ。
そして、シェリーは最上位の『マスター』に到達するまでプレイし続けろ、という。
無論、1日2日で到達できるものではない。普通なら1ヶ月以上、E:rosがアップデートされてから次のアップデートが始まるまでの期間丸々かけて、それでも到達できるか分からないというのに。
「第一そんなクッッッッソ長時間ゲームに潜ってたら現実のオレの身体はどうなるんですか!?干からびますよ!?帰る云々じゃなくてシにますって!」
「案ずるな少年。現実の君の身体がミイラ化しようと、今ここに存在している君の意識は消えないさ。幽体離脱しているようなものだと思ってくれ」
「あーそうなんですね。それなら安心するとでも思いましたか? あぁん?」
意識が無事だとしても、肉体がミイラになっていたら意味がなかろう。
どこぞの骨だけになってしまった海賊のように、腐敗した身体でも意識は帰る事が出来るのだろうか。
んなわけあるかい。オレはなんとかの実の能力者になった覚えはない。
「まぁまぁ、安心したまえ。現実の君の身体の生命は私が保障しよう。決して干からびたりなどしない」
「...えー...?」
「信じてくれなくても結構だが、私だって自分の開発室にミイラを置きたくないからね。処理にも困るし。君を死なせても私にメリットなんか無いよ」
それはその通りだろうが、しかしどうやって意識の無い体を維持させるのだろうか。生命維持装置とか凍結睡眠装置の中にでも突っ込む気なのだろうか。
―――やりそう。
先ほどこの施設の近未来技術を目の当たりにした今、頭ごなしに否定出来ない。「なんかあった時の為に作らせた」とか言って用意してそう。
「あの、煎茶さん...いえ、桜川さん」
不意に、意識の外から声を掛けられた。
シェリーの「帰さない」カミングアウト以来、沈黙を保っていた桃だ。
「私の言葉も、どこまで信じてもらえるかは分かりませんが...姉の言っていることは本当です。貴方の身体は無事です。それだけは保証します」
終始ニヤニヤと顔を歪めているシェリーとは対照的に、真面目な表情の桃。
黒い瞳で真っすぐに見つめられ、思わず鵜呑みにしてしまいそうになるが、
「.....それ だけ は?」
それ以外に関しては保証できない、ということなのだろうか。
指摘すると、先ほどのように言い辛そうにしながらも、今度は濁さずに教えてくれた。
「.....姉は『マスターランクに到達するまで』、と聞こえるように言っていますが...実際はマスターに到達した後も、しばらくプレイして頂きたいのです」
「.........」
釈放のゴールが見えない。無限に遠ざけられる。つまり永遠に帰さないということだろうか。
言葉を失うとはこういう事か、と身をもって体感した。なんも言えねぇ。
「さて、ここからは私が引き継ごう。少年、君はアンケートでこう答えたな?『チーター多すぎて吐きそうどうにかしてくれ』と」
「...えぇ。言いました」
「ソレ以外で、現在E:rosが抱えている最大の問題は何だと思う?」
「チーター以外...?」
30億人が集う覇権ゲームにおける問題、と言われて、これまでの3,000時間の記憶を探ってみる。
各種細かいバグは存在するが、それらは致命的な問題ではない。ゲームシステムに関わる程のヤバイ奴なんて滅多に出て来ないし、あったとしてもすぐに修正が入る。
武器やキャラクターのパワーバランスも、現状に不満は上がっているらしいが、個人的には丁度いいと思っている。
というか、母数が30億もいるのだ。誰もが納得する調整は不可能だろう。
リーグのシステムも、上を目指すほどアホみたいな難易度になっていくが、それこそがリーグの醍醐味なわけで―――
「...あ、マッチングですか?」
そこまで考えて、つい最近自分がぶち当たった不満を思い出した。
「ご名答。リーグ上位帯の試合が決まるまでの準備時間が長すぎるのさ」
つい数日前の出来事だ。
マスターを目指して、いわゆるダイヤ帯のリーグに挑んでいた時の話だが、これまで過ごしていたプラチナやゴールドなどの下層帯よりも、試合にかかる時間が長かったことを覚えている。
プラチナまでは1分経たずに試合が始まったところ、ダイヤでは1試合につき約3分程度掛かった。
3分、と言われると短く感じるかもしれないが「1試合待つたびにカップラーメンが出来上がる」と言われればどうだろうか。試合を始めるたびにその時間を待たされるプレイヤー達からすれば、どうにか改善して欲しいと願ってしまうのだ。
「上位帯で時間が掛かる理由は単純。上に行けば行くほど、プレイヤーの数が少なくなるからさ」
言いながら、シェリーは手元にリモコンのようなものを召喚し、空中に映像を投影し始める。
グラフだった。
E:rosのリーグをプレイしている人口の、どのランク帯にどの程度の割合が存在するか、の棒グラフだ。
ルーキーからランクが上がっていくに連れて割合は減少していき、ダイヤ以降は全体の5%にも満たない。
1試合に最低でも60人を必要とするE:rosでは、この5%未満のダイヤの実力者が、同じ時間に60人集まらなければ試合を始められない。対人バトロワゲームの避けられない難点だ。
そして、ダイヤよりも更に人数の少ない最上位のマスター帯では、待ち時間はダイヤの比ではない。1試合始まるまでに10分以上掛かる事もザラにあるそうだ。
「リーグの難易度を下げて『誰でもマスターに成れる』ようにして、上位帯の母数を無理やり増やすのが一番手っ取り早いのだが...それだと面白くないだろう?」
「...そうですね...しかも凄い反感買いそう......」
猛者との激闘の中で生を実感する変態共が、ソレを許容するとは思えない。味気の無くなったリーグで、化け物たちがつまらない無双劇を繰り広げるだけだろう。
もちろん、蹂躙される側も楽しい訳が無く。
つまり『事態解決と見せかけた誰も幸せにならない案』だ。
「そこでだ、私は考えた。『ダイヤ/マスターの強さに相応しい人員を安定して供給する』事が出来ればいいじゃないかと」
「それが出来たら苦労はしないんじゃ...」
「その通り。だから私は『人』ではなく『AI』を導入することにした」
「AIぃ?」
「おっと待った、言いたいことは分かるぞ少年。『ダイヤやマスターに匹敵するAIなんか作れるのかぁ?』と言いたいのだろう?」
「...全くもってその通りですけど」
「結論から言うと無理だね。作れない」
「破綻RTAじゃないですか」
「そこで君の出番、というわけさ。少年」
「...はい?」
AIの導入と、オレの意識の拉致・監禁がどのように結びつくのか。
その脈絡の無さそうな点と点を、桃が奇麗に繋げてくれた。
「桜川さんには、E:rosが導入したAIとして、マスター帯のリーグに参加して欲しいんです。その...試合に必要な60人のうちの1人として...」
「.........」
話が段々見えてきた。
見えない方が良かったかもしれない。
「素晴らしいだろう!?肉体を持たない君なら、常時ログイン状態!しかも睡眠や食事、その他諸々に掛かる時間も無く!24時間いつでも!マスターの実力者を試合に補充する事が可能!画期的じゃあないか!」
熱弁するシェリーの言葉を聞き流しながら。
この美人姉妹の言葉を自分なりに解釈し、
落とし込み、
端的に、
今の現状を表す言葉に置き換え―――
「...つまり、準備時間問題の解決のために、オレは鹵獲されたと...?」
「Exactlly」
「やかましいわ!!!こんな時だけネイティブ出してんじゃねぇよ!!!」
ケタケタと笑うシェリー、頭を抱えてうずくまるオレ、本当にすみませんとしきりに頭を下げる桃。
嘆こうが喚こうが、事態は変わることもなく。
こうしてオレは、世界的に大流行しているバトロワ系FPSゲームE:rosに、まさかの『AI』として、馬車馬のごとく参戦させられる事になるのであった。