曇り一時晴れ
ここの所、愚図ついた天気が続いていた。
夏山シーズン真っ盛りだというのに、次々と台風がやってくる。
たとえ台風が去っても、今度は知らぬ間にできた前線が通過していく。
しかも、テレビに映されている雨雲レーダーには、すでに、南洋付近で不穏な雲が漂っている。
そいつがいつ、塊になって渦を巻き始めるのかは時間の問題のようだ。
この空模様は、当分続きそうだった。
「たまったもんじゃない。ようやく連休がとれたのに……。」
つい、愚痴がこぼれた。
去年からこの中央アルプスの縦走を計画し、それこそずーっと楽しみにしていた。
登る日の一週間前あたりになると、
『登れそう、いや、雨マークだ』
ネットの天気予報を眺めては、一喜一憂が始まった。
そして、また台風が発生。
しかも、迷走台風。
テレビに映る、おなじみの気象予報士も、もう、やっていられないといったふう。
私だって、もう、やっていられない。
いよいよ登るか否か、それとも山域を変えて登るのか、決める前日がやって来た。
『曇り一時晴』
微妙な予報だが、登ろう。
私は、遠藤翔太。都内の有名百貨店に勤務している。
つい先日、27歳の誕生日を迎えたばかり。
『その大切な日は、大好きな彼女と一緒に』
なんてことは、なかった。
百貨店の女性は、本当にキレイな方ばかり。
もう、みんな芸能人みたい。
そんな女性たちといつも一緒なので、幸せな仕事といえばそうなんだけれど、話し下手だから、何を話していいのかわからないし、
「僕となんか、釣り合わない」
なんて、思っちゃうし……。
しかも、たまの定休日の前日、みんなからちょっと一杯なんて誘われたって、次の日は登山で朝早いから行けないし、仕事の上でのおつき合いで、ほぼ必須になっている、ゴルフもしない。
これじゃ、彼女は出来ないし、同期達はもう主任、完全に出世は出遅れている。
それも、無理はない。
残念ながら。
菅の台駐車場横には、朝一番のバスに乗るため、既に長い列が出来ていた。
皆登山の装備で身を固めている。これだけ時間が早いと、千畳敷カールで散策するような、観光客の姿は見当たらない。
ザックを膝の上で抱え、バスに揺られ景色を眺めていると、駒ヶ根ロープウェイの、しらび平駅に着いた。
バスのタラップを降りると、標高が上がったせいか少し肌寒く、吐く息も白かった。
その白い息の向こうには、ロープウェイの終点千畳敷駅の、天気が案内されていた。
それを見て、若いカップルが怪訝そうに顔を見合わせ、
「え、ウソ、雨!曇りじゃないの?」
他の登山者も同様だ。
皆私と同様『曇り一時晴』の天気予報を信じ、やって来ていたのだろう。
ロープウェイがするする動き始めると、
「はー、あらー」
乗客からため息。
雨がゴンドラの屋根をたたき始めた。
そして、ロープウェイが一気に千m標高を上げたあたりで、その音は、まさに爆音となりゴンドラの中で響いた。
ロープウェイの終点に着き、ロビーでハードシェルを着込む。
登山者達の表情は暗い。
晴れていれば、開けた瞬間、宝剣岳の絶景が待つドアの前で、様子見の登山者が溜まっている。
その、人々をかいくぐり、私はドアを開けた。
大丈夫、土砂降りの雨だが、風はない。
予定通り、三ノ沢岳を往復してから宝剣岳に登り、玉乃窪山荘に向かおう。
以前、この道を歩いた時は、辺り一面高山植物が競うように咲いていた。
けれど九月に入った今となれば、その楽しみも終わり、ただただ、雨に打たれ登っていた。
稜線に出ると極楽平。
そこから、三ノ沢岳への分岐はわずかだった。
この頃になると、雨は小降りになっていた。
天気予報の『……一時晴』がこの事なのか、と思ってみたりする。
分岐から約二時間。若干のアップダウンを繰り返し、三ノ沢岳に登頂した。
登頂の証として、標柱と三角点を写真に収める。
思えば、ここまで撮った写真はこれきりだ。
カッパの下にあるスマホを、取り出す手間が億劫だった。
まして、辺りは真っ白。写すものなどなのもない。
ザックに入れてある一眼レフも、今はただの重りになっている。
雨は一旦上がったが、また降り出した。
今度はそればかりでなく、風が加わった。
三ノ沢岳は典型的な稜線歩き、風は遮るものがないことをこれ幸いと、風が容赦なく吹き付けた。
嵐といっても良いほどに、勢いが増した。
ハードシェルで守られていた身体も、徐々に湿り始めた。
ハードシェルの首、足首、手首、あるゆる口から、少しずつ雨が入り込んでいるらしい。
風雨の煩わしさに、否応なしに早足になる。
分岐まで戻る頃には、すっかり息があがっていた。
そして、息を整えつつ見つめる先は、宝剣岳への道。
今日の核心部!
一般的には風雨の中、ここは通過しない。
ただでさえ凄まじい岩稜地帯で、危険とされているからだ。
このルートを避けるとしたら、一旦登山口の千畳敷駅に降りて登り返すしかない。
しかし、時間が倍かかる。
そうなると、低体温症の心配もある。
ここは予定通り、宝剣岳へ向かう事にした。
私は一度ここを通過した経験がある。
クサリ、ステップ、梯子が完備している事を知っている上での判断だ。
それでもミスは許されない。
『丁寧に丁寧に、何があっても絶対手を放さない』
念仏のように唱える。
そして、太いチェーンを握り締め、登り始めた。
道はいつの間に下りになりザレ場になった。
核心部は過ぎた。
更に進むと、ガスで白黒の無色彩の視界が、突如ぼんやりと薄い青色に覆われた。
宝剣山荘の屋根の色だった。
早く山荘に逃げ込もうと、扉を開ける手がはやる。
室内に入ると、若いスタッフが一人。
私があまりに哀れそうに見えたのか、苦笑いしつつ声をかけてくれた。
身体は凍えていたけれど、その言葉は安心感とぬくもりを与えてくれた。
そして天気予報を、苦々しく思い出していた。
『曇り一時晴』
小屋で暖を取らせてもらいながら、ライトダウンを着込む。
そしてお礼を言ってから、また嵐の中に飛び出した。
今日の宿泊地玉乃窪山荘へ向かう。
途中何軒か小屋もあって、気持ちのうえで強い援軍になってくれた。
しばらくして、木曽駒ケ岳山頂を巻いて、岩ばかりのトラバースに入る。
宝剣岳程ではないものの、若干の注意が必要だ。
風雨は台風並みに勢いだった。
辺りは真昼に関わらす薄暗い。
そこに、猛烈な風雨が白く長い帯になり、何度も飽きることなくやってくる。
それが近づく度に、飛ばされぬよう、山側の岩にしがみついては足を踏ん張り、通り過ぎるのを待った。
苦しい登山が続いてた。
早くこの苦しい状況から逃れたくて、また足が早まった。
しかし、ここは標高3000m弱。
切ないぐらいに、息が切れた。
「あー酷い目に会いました。ちょっと危なかったかもしれません」
「は、は、まあ直ぐにストーブ点けるから」
玉乃窪山荘のご主人は、まあ、そんな事もあるけど無事じゃないか、といった風。
彼にとっては恐らく、この天候など序の口なのだろう。
ストーブで暖を取りつつ、濡れたライトダウンを乾かしていた。
今思えば、宝剣山荘があったから、ライトダウン着ることがでた。
暴風雨の中、野外でハードシェルの中に、ライトダウンを着込む事など不可能だった。
ハードシェルを脱げば、たちまちびしょ濡れ。
もしかしたらハードシェルが、風で飛ばされていたかもしれない。
間違いなく生命に関わる事態だ。
都合の良さそうな岩穴は、なかったと思う。
夜中、強風で、
「ギーギー」
と、小屋が恐ろしげな音を放っていた。
寝ていてもその音で、何度も起こされた。
二日目、この日メインの山である、麦草岳に登頂。
山頂では、ブロッケンが拝めた。
早朝は昨日の余韻で強風が吹き雨もぱらついていたが、時間と共に天候は回復し、時折、陽が射すまでになっていた。
麦草岳から玉乃窪山荘に戻り、すぐ隣にある木曽前岳に登頂。
そして、千畳敷駅へ向かう途中にある伊那前岳にも登頂。
これで念願の、中央アルプスの主たる山、全ての踏破が叶った。
この時を迎えるまで、ずいぶん多くの時間を費やしてきた。
その中でも、思い出されるのは、何故か苦しかった登山ばかりだ。
この山行も、生涯、忘れる事は、ないだろう。
眼下に程近く、千畳敷駅が見える。
この登山もそろそろ終わりのようだ。
そう思うと、まるで名作映画のエンドロール観ている時のような、寂しくも充たされた気持ちが込み上がった。
久しぶりに覚えた感覚、それもこれも、あの天気予報のおかげ。
『曇り一時晴』
初めての投稿です。
よろしくお願いいたします。
登山が好きの私。山に登った後は、紀行文を書いています。
その一部を使いながら、書いてみました。
ずばり、登山中心の小説になりましたが、これから、主人公、遠藤翔太の恋愛も入れていこうと思っています。
また、読みたいな、と、思った方は、ぜひ、ブックマーク、下の評価よろしくお願いいたします。
褒められて伸びる性格の筆者。
モチベーションが上がりますので、ぜひよろしくお願いいたします。