第96話 ゴルデリアの侵攻とカランドリンの進駐
タゥエンドリン=エルフィンク王国東部、中央湖岸地方、大港州
大きな戦艦が何隻も浜辺に乗り上げ、蹴散らかされた砂浜。
周辺には未だ火が残っており、激しい戦闘があったことを物語っていた。
普段は静かに打ち寄せる波や、遥か山塊を望む風光明媚でその殷賑ぶりを称えられたタゥエンドリンの要となる大港は、激しい戦闘に晒されたのである。
戦闘のきっかけを作ったのは、今正に野営陣を築き上げたドワーフ兵達。
彼らは中央湖の南岸にある大国、ゴルデリアの大旗を翻し、この地を攻め取るべく戦艦に乗ってやって来たのであった。
そんな屈強なドワーフ兵が築いた野営陣の前方、タゥエンドリン軍の砦に近い場所には、巨大で異様な構造物が備え付けられていた。
その構造物の周辺で活動しているのは、上半身裸の屈強なドワーフ兵達。
彼らは1台に5名から10名の間の人数で張り付き、構造物を操作している。
構造物が向けられているのは、タゥエンドリン軍が籠もる砦。
大港を守るべく築かれた砦は、最早陥落間近となっていた。
「放てええい!」
ゲルトンの号令で、ドワーフ兵が縄を引き、平衡錘投石機の可動式鎹が外される。
凄まじい勢いで錘が円を描きながら下降し、反対側の投擲部に載せられていた石弾が放たれた。
備え付けられた10台の軽トレビシュットから石弾が次々と飛来し、砦の壁や塔を乱打する。
凄まじい音と共に石弾が石壁を砕く。
直後に砦から悲鳴が上がり、砦に籠もっていたエルフ弓兵が破壊された壁から転落し、あるいは石弾の直撃を受け、または石弾に押し潰された建物の下敷きになって事切れる。
移動の難しいトレビュシェットであるが、ゴルデリア王国のドワーフ達はこれを分解して船に乗せ、上陸して安全な場所を確保すると同時に組み立ててしまったのだ。
移動用に通常のものより小さく作られたトレビュシェットは、しかしながら十分以上の威力を発揮し、目覚ましいまでの活躍をしている。
投射兵器の使用、特に弓や弩を使用した戦いにおいて、ドワーフはエルフに敵わない。
弩であればその物の性能では上回ることが出来るが、エルフの目の良さと投射兵器に対する生来の適性に、到底ドワーフは及ばないのだ。
しかし、それはあくまでも正面から撃ち合った場合の話。
射撃術精妙なエルフ弓兵といえども、当然射程には限界がある。
要はその射程の外から重兵器を使用して叩けば良いのだ。
長大な射程を誇る投擲兵器は湖側からの敵の接近を想定していなかったタゥエンドリン軍の裏を掻き、エルフ弓兵の射程外から石弾を次々に送り込んでおり、正に一方的な戦いを展開している。
「装填急げえ!建て直す暇を与えるでない!装填が終わり次第に発射せよ!」
「順調だな!」
驚いて振り返るゲルトンの視界に、実にドワーフらしいどっしりとした体型の威丈夫が護衛や側近を引き連れて現れた。
「これは陛下……このような最前線まで……」
ドワーフ重兵器兵達を指揮していたゲルトンの元に現れたのは、この作戦を総指揮しているネルガド王だった。
しっかりとした礼を送るゲルトンにネルガド王が目を細めた時、装填の終わったトレビュシェットから順次石弾が発射された。
次々と風切り音を立てながら飛んでゆく石弾。
そして遠方でその着弾と共に木くずを噴き上げ、石壁から石片を散らしている砦を見てから豪快に腹を揺すって笑う。
「わははははは、さすがのエルフ共も攻城兵器には敵うまい!」
「全くですな!間もなく砦は落ちましょうぞ!」
戦場の喧噪に負けじと声を出したネルガド王に、ゲルトンも愉快そうに応じる。
「うむ、では周辺地域と町の支配を進めるか!……お主ら、町へ進駐せよ」
ゲルトンの言葉に頷いたネルガド王は、側近と将官に指示を出す。
指示を出されたドワーフの官吏と将軍は、目礼を残してその場を立ち去る。
中央湖の水軍を使ってタゥエンドリンの大港州へ上陸したゴルデリア軍は、その数実に2万5千名。
精強なドワーフ兵の更に選りすぐりを、ネルガド王が直に率いてきたのだ。
湖面を覆い尽くさんばかりの戦艦で大港に迫ったゴルデリア軍は、早々に水際での迎撃をあきらめたタゥエンドリン軍の抵抗を受けることなく上陸を果たした。
その後、野営陣を築くと共にトレビュシェットの設置作業を進めたのである。
トレビュシェットが無事組み立て終わったのは、つい先頃。
それと同時に攻城戦が開始されたのだった。
「くそ!ゴルデリアが攻めてくるとは……貴族や高級官吏は何やってるんだ?情報が何もないぞ!」
忌々しげにそうつぶやいたのは、ここ大港の治安と防衛を預かるエルフ弓兵の隊長である。
普段であれば各種の船舶が行き交い、町中は商人や観光客、住人であふれかえる大港の町だが、当然ながら今は人っ子1人いない。
それもこれも、突如として上陸してきたゴルデリア軍のせいであろう。
隊長は町の門を閉じさせると同時に、自分達は町の城門と一体化している砦へと入った。
絶望的であっても自分達は兵士、町の住民を守らなければならない。
しかし、戦いにすら成らないほどの兵力差。
見ればその砦から少し離れた場所に、2万は下らないドワーフの大群がいる。
平和で治安の良い大港の常駐している警備兵はわずか100あまり。
とてもゴルデリアの大軍に対抗できるものではない。
まさかゴルデリアが戦艦を使用して中央湖を渡ってくるとは考えていなかったタゥエンドリン。
加えて、王の不在や政局の混乱で動員が諸外国に比べて遅れており、中央を仕切っているフェレアルネン政権の動きや反応も極めて鈍い。
既に急を知らせる使者を送ってはいるものの、援軍が来る可能性は極めて低いだろうと隊長は考えていた。
「どいつもこいつも無能共が……北の月霜銃士爵やフィリーシア様が王都におられれば」
大兵を擁する昌長がタゥエンドリンの舵取りをしていれば、情勢は少し異なっていただろうに、中央の貴族や官吏達は平原人である昌長を嫌い、また一度滅びたエンデの民を忌避して彼らを追い出した。
その結果がこれだ。
北ではその排除されたはずの月霜銃士爵がフィリーシア王女を立てて策動し、タゥエンドリンの支配権を揺るがし始めている一方、南のカランドリンの動きも怪しい。
それなのに王都のお偉方は元より、氏族も貴族も役に立たないのである。
「やってられるか!」
吐き捨てる様に言う隊長だったが、打開策は全くもって無いのだった。
ついにタゥエンドリンの王都にして、全エルフの本拠でもあるオルクリアへの進出を果たしたメウネウェーナが、空の玉座を見て感慨深げに口を開いた。
「いやいや、なかなかどうしてここまで来るのに数百年か……やっぱり感慨深いものがあるねえ~」
「……感慨に耽るのは結構ですが、問題は山積しています」
そんなメウネウェーナに水を差すような怜悧な声が後方より届く。
「なんだい、ちょっとぐらい浸っても良いだろう?」
「それは構いませんが、仕事を忘れて貰っては困りますので」
そう言いつつ降伏したタゥエンドリンの文官達を引き連れて現れたのは、メウネウェーナの片腕と自他共に認めるヘンウェルメセナだ。
彼女は傍らに立つ、どこか諦めた表情のメゥリンクから帳簿の一つを受け取ると、その内容を吟味しながら口を開く。
「目下、問題は王都の人口を養いきれるだけの糧食の確保です」
「はあ、また色気の無い話だね……軍の糧秣も十分とは言えないだろ?」
「はい、我が軍は一部支配下に置いた州に治安維持のために兵を残しましたが、未だ2万の兵を擁しております」
カランドリン軍は先遣隊の5000に加え、本隊の2万を南部から陸路にて王都まで侵攻させた。
抵抗らしい抵抗を受ける事なく王都まで進んだメウネウェーナは、即座にタゥエンドリンの官吏や軍人を召集し、配下に組み込んだのである。
発祥が同じとは言え、数千年にわたって別の国としてやってきたタゥエンドリンとカランドリン。
合一がそう簡単に進むはずが無いのだが、タゥエンドリンの支配組織がメウネウェーナの支配や再編を受け入れたのには訳がある。
「中央湖の水路はゴルデリアに押さえられてしまっていますので、糧食の搬送は陸路に頼らざるを得ません」
「全く、怖い物知らずとは正にゴルデリア王のことだね」
副官の言葉にメウネウェーナがにやりと笑みを浮かべて答える。
タゥエンドリンの東部、中央湖の西岸地域を支配下に置いたゴルデリア。
北部においてサラリエル族の抵抗にあっているようだが大港の確保に成功し、中央湖と中央湖を介した大河の水運を押さえて周辺地域の支配を進めているようだ。
エルフの支配にはきっと難渋することだろうが、それでも港を確保する意義はその困難さを補って余りあると判断したのだろう。
その判断はメウネウェーナも間違っていないと思っているが、やり方がまずいと言わざるを得ない。
「まあ、あたしらの動きを見て焦ったんだろうが……お陰でこっちは労せずして共通の敵を手に入れられたって訳さね?」
「……それは、致し方ありませんわ」
メウネウェーナから言葉を向けられたメゥリンクが嫌そうな顔をしながらも応じる。
お互い山の民が発祥であるにも関わらず、その山の利用方法については全く正反対のエルフ族とドワーフ族。
支配地域やその居住地の利用方法を巡って幾度となく争い、今も争っている。
現在は大きく居住域を分かって、大規模な戦争も起こっていないし、新興国のゴルデリアは従来のドワーフ族の国家や勢力ほども差別や排斥は無い。
それでも、古来より犬猿の仲であった2つの種族の間には、深い確執がある。
「ドワーフか元の同族かを選べと言われちゃあ……答えは決まっているさ。そうだろう?」
メウネウェーナの言葉に唇を噛み締めるメゥリンク。
王を失い、周辺地域からの侵略を受ける弱小国家に成り下がったタゥエンドリンに、それ程選択肢は用意されていない。
各地の氏族勢力は未だ弱小であるばかりか支配基盤も弱い。
唯一盛強なフィリーシア姫の勢力の影には、得体の知れない的場昌長の影が見え隠れしており信用に値しない。
西方から迫る人族の各国家勢力やゴルデリア、的場昌長に屈するよりは、かつて同族であったカランドリンの支配下に入った方がましだ。
タゥエンドリンの旧フェレアルネン政権の貴族や高位官吏達が、その結論に至るのにはそれ程時間が掛からなかった。
因みに、フェレアルネン政権では次席であったメゥリンクだが、筆頭であったレウンデルがカランドリンの王都進駐前に逃亡してしまった結果、彼女が残存の官吏や軍人をまとめる他無くなったのだ。
「まあ良いさ、作物の収穫を何年も待たなければならない訳じゃ無い。後数ヶ月持たせれば済むことだからね」
「はい陛下。王都獲得の効果と財政的、物資的な負担を天秤にかけた場合、大きく王都獲得に傾くのは言うまでもありません。王都オルクリアの支配が成功すれば、何よりの権威の確立が出来ます。またタゥエンドリン国内に割拠する各勢力に対して優位に立てるのは言うまでもありません」
「そのとおりさ……そしてその優位を決定的なものにしようじゃないか」
自分の言葉にそう付け加えたヘンウェルメセナに満足そうな笑みを向け、メウネウェーナはそう言いつつゆっくりと玉座へと登る。
そして、軍装のままその空いた席に座った。
タゥエンドリンに所属していた官吏や軍人達が、ため息とも嘆息とも取れる声や息を漏らす中、ヘンウェルメセナを筆頭としたカランドリンから入ってきた軍人や官吏達が一斉に腰を折る。
メウネウェーナはその席に座ったまま、自国のカランドリンにおいて使用されている王冠を自ら頭に載せた。
カランドリンの官吏や軍人達が跪くと、ようやくタゥエンドリンの官吏達も跪く。
その光景を満足げに眺め回し、メウネウェーナは高らかに宣言した。
「ここにエルフィンク統一王国の成立を宣言する!我が国に所属する者は当主自ら王都へ来るんだ。それ以外の者達は直ちに我が領土より退去せよ!」
勢い良く玉座から立ち上がると、メウネウェーナは配下の官吏達に命じた。
「直ちにタゥエンドリンの各氏族と勢力に使者を送れ」
「はっ」
命を受けたヘンウェルメセナは短く応じると、タゥエンドリンの官吏と軍人達に目配せした。
それを受けた数名が黙礼を残して走り去る。
「北部のマサナガ殿とゴルデリア、それに西部に進出した平原人の諸国はいかがしますか?」
「そうさねえ……」
ヘンウェルメセナの問いに、王冠を着装したままメウネウェーナは顎に手を当てて思考する。
ゴルデリアは2万以上の兵を持っており、盛強で侮れない勢力だが、自国の後方に都市国家群という不安を抱えており、また古来より犬猿の仲のエルフを上手く統治するのは難しいことを知っている。
故に恐らく大港を押さえたのみで終わるだろう。
西部の平原人の諸国連合はわずか3000程度の兵で様子を見ながらの侵略だ。
以前蚕興国が侵攻した西端を獲ったのみで進撃を止めてしまったことを見てもそれは明らかで、こちらも恐らくそれ以上の侵攻はしてこないだろう。
それに、ハーオンシアを手に入れている昌長が黙っているとも思えない。
問題は北の地において確固たる地位を築いているその月霜銃士爵的場昌長と、その昌長が強力に支援しているフィリーシア姫だ。
やがて手を外すと、メウネウェーナはおもむろに問いを発した。
「……うちの連中はどこまで喰い込んでいる?」
「まだ何とも言えません。月霜銃士爵の獣人を主体とする間諜組織が強力で……浸透に苦労しております」
間髪容れずに応じたヘンウェルメセナに、静かな笑みを向け、女王は言った。
「そうかい、マサナガもさすが、なかなかやるじゃないか。しばらく北は様子を見る他ないねえ……王都に侵攻してくると厄介だが、こっちから仕掛けることはないよ」
「はい、承知しました」
正面戦闘においては無類の強さを発揮する雷杖と月霜銃士隊だが、内情は昌長ら異相の人族を中心にした、敗亡エルフ、亡命ドワーフ、奴隷獣人の寄せ集めだ。
しかも基盤となる地域は新規に開拓した場所とさほど変わらない僻地の寒村。
今は城や町が作られ始めているとは言え、まだまだ各国の王都や主邑には見劣りする。
加えて他の地域から移住してきた者達がほとんどで、開拓や定住にはまだまだ時間を要する事は間違い無い。
メウネウェーナの見るところ、昌長は今しばらくは勢力圏を維持する事に腐心し、開拓や開発を進める方向に向かうだろう。
「あたしもあんまり悠長にはしてられないか、こっちも支配を安定させなきゃね……お互い時間は必要って訳だ」
「今のところはそれで問題ないかと思われます」
「じゃあ、平原人諸国とゴルデリアには退去通告を出そうじゃないか。フィリーシア殿と月霜銃士爵には他の氏族と同じ通知で良いよ」
「……そ、それは月霜銃士爵をタゥエンドリンの者と認めると言うことですの?」
メウネウェーナの言葉に、メゥリンクが震えながら問う。
それをしたくないが故にフェレアルネン政権はカランドリンを呼び込み、フィリーシアを遠ざけたのだ。
そのマサナガとフィリーシアがタゥエンドリンの中央に参画するというのであれば、フェレアルネン政権が画策してきたもの全ての意味が無くなってしまう。
「一旦は仕方ないだろ?まあ相手が応じるかどうか分からないけどねえ」
明らかに応じるとは思っていない口調で言うメウネウェーナに、メゥリンクが焦ったようにして更に言葉を発する。
「そんな……万が一にもマサナガが応じたら如何するのですかっ?」
「ああん?そん時は私の手元でこき使ってやるさ。マサナガは大陸最強の軍事指揮官なんだよ。そもそもマサナガはタゥエンドリンの爵位を持ってるだろう?統一王たる私の配下に入るって事なら喜んで迎えてやるよ」
「そ、それは……」
「ふん、あんたらが最初からマサナガを認めて正しく遇していりゃよかったんだ。フィリーシアって言う慈悲深い王が即位して、マサナガという最強の軍事指揮官がいりゃあ、誰もタゥエンドリンには触れやしなかったさ。尤もあたしにとっちゃあ、千載一遇だったけどね!」
最後にメウネウェーナが放った言葉に、メゥリンクやタゥエンドリンの官吏達ががっくりと項垂れたのだった。




