第90話 敗残兵
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「と、砦だ!頼む、門を開けてくれ!」
「い、入れてくれえ!」
「オークが来るっ、助けてくれ!」
「ううっ、傷が……っ!誰かっ……」
口々にそう言いながら砦の下に集まるドワーフや平原人、エルフの兵達。
彼らは紛う方無き連合軍のなれの果てだ。
煤や粉塵で身体は薄汚れ、血泥にまみれ、あちこちを負傷している。
破損した鎧や防具は言うに及ばず、大半がその武器を失っていた。
正に敗残兵以外の何物でもないその姿に加え、目には恐怖の光があり、しきりに後方を気にしているのは逐われてきたことを示していた。
「……待ち伏せされたのか」
「ほんなん分かり切っちゃあらいしょ、あれは誘っちゃあるて言うたやろう」
呆然とした様子で言うリエンティンに、昌長は何を今更といった風情だ。
「まあ、ここまで見事にやられてしもたら返す言葉もないけどよ」
「うむ……見事な負け戦じゃな」
昌長のつぶやきに、リンデンが頷きつつ言う。
その間にも敗残兵は続々と集まり始め、緒戦で追撃に出た連合軍が一気に打ち破られて瓦解してしまったことが知れた。
周囲の陣にも押し寄せているようだが、そちらは既に放棄されている。
今は柵や逆茂木、天幕などの資材を回収して昌長の後陣、つまりはメウネウェーナが本営を置いた場所に堅固な砦を構築するべく、回収した資材を集めている途中だ。
幸いにもそちらに回っている敗残兵は少なく、一番敵に近いこの昌長の作った砦が、緒戦でオークを撃退していた印象もあってか、集まりが一番多い。
「ほな言うたとおり頼むわ……わいはあいたら(あいつら)に一発かましちゃるさけ、下へ降りといてくれ……それからリエンティン、姫さんに言うて、各軍から予備の武具を融通してもらえるよう頼んでくれやんか」
「分かった」
「ふん、まあ良かろう」
昌長が2人に指示を出すと、それぞれの返事を返して櫓から降りてゆく。
全員が降りたことを確認した昌長は、厳しい顔になって眼下で騒ぎ立てている敗残兵に呼びかけた。
「この砦をば仕切る、的場源四郎昌長や!」
その名乗りに敗残兵達は、一瞬動きと叫びを止め、昌長を注視する。
既に緒戦での大活躍は知れ渡っており、それ以前から北の地で活躍する月霜銃士隊の噂話は兵達に届いていた。
その棟梁たる昌長が、自分達の目の前に現れたのである。
期待に目を輝かせた敗残兵達に、昌長は言葉を継いだ。
「まだ戦う意思のある者は入れちゃる!そうやない者は去ね!」
しかし昌長の口から出た厳しい言葉に、期待を裏切られた敗残兵は一瞬呆然となるが、次の瞬間に不満と怨嗟の声が爆発した。
「ふざけるな!それでも味方か!」
「けが人を見捨てるというのか!」
「頼む!入れてくれえ!」
「もう嫌だ!助けてくれようっ!」
「一生恨んでやる!」
しかし昌長はその様な言葉に動じることなく、さっと手を上げた。
その合図で砦の銃眼から一斉に突き出されるのは、ぎらりと黒光りする火縄銃の銃口。
味方であった兵達に対する容赦の無い反応に、それまで叫んで騒ぎ立てていた敗残兵達が驚いて動きを止める。
そして放たれる本物の殺気に背筋を凍らせた。
「何が味方じゃ!わいの忠告をば聞こうともせえへんで、勝手に敵の罠にはまりくさったんやろうが!お陰でわいらも半分の兵数で敵とやり合わなあかんようになってしもうたやんけ!恨み言はおまんらの王さんに言えや!」
昌長の言葉に黙り込む敗残兵達。
昌長の言葉で黙ると言うことは、おそらく騒ぎ立てていた者達の多くが、王や将軍に準じる立場の者達なのだろう。
昌長が意見したことを知っている者達に違いない。
実際に昌長が見知った者もちらほらいるので間違い無いだろう。
「ほんまやったら軍陣の混乱をば嫌うて、敗残兵づれは陣に入れやん!ほやけど戦う気のある者やったら入れちゃってもええ言うてるんじょ!なんぞ不満あるんかっ!」
昌長の気迫あふれる言葉に、気圧される敗残兵達。
彼らは国を代表して送り出された、各国の王直属の勇士達。
しかしそれは負けて故国へ戻った場合に恐るべき反動となって自分の身に降りかかる。
王の直卒で負けただけならばまだしも、今やその王の生死も不明であり、軍は瓦解した。
それぞれの国へ帰ることさえ困難な状態だ。
出陣した時に得た名声や功績は既に失われてしまっており、何とか帰り着いたとしても待っているのは敗残の不名誉と、逃亡兵としての過酷な待遇だけだ。
現実問題として、ここで昌長達に見放されてしまえば物理的な理由で帰国は不可能。
そして、帰国できたとしても待っているのは過酷な運命。
昌長は日の本において各国に鉄砲傭兵として雇われたが、もちろん負け戦に参加したこともある。
傭兵商売の繁盛具合に関わるので、あまり負け戦のことを外に向かって話すことはないが、それでも負けた際の譜代衆や親族衆の悲哀はよく知っている。
もちろん、逃げる他無い傭兵や足軽の悲惨さもだ。
当然、敗残兵となった連合軍の兵士達が行き場を失うであろう事も分かっていた昌長。
だからこそ彼らは再び戦場になるかも知れない、昌長達のいる陣地に逃げ戻ってきたのである。
敗残兵である彼らに選択肢はない。
下を向いてしまった兵達の中から、1人の平原人歩兵が進み出た。
鉄板をつなぎ合わせた頑丈な鎧を身に付け、手には未だ剣を握っている。
背が高く、茶色の短髪は所々焦げ、また額には真新しい刀傷。
そして意志の強そうな四角い顔。
その平原人歩兵は、片膝を付くとへの字に閉じられていた口を大きく開き、上にいる昌長に向かって割れ鐘のような声で叫んだ。
「私は豪藩国重装歩兵隊、百人隊長だったシルラという者だ!私は戦う!同輩の無念を晴らしたい!」
次いで緑色に染色された皮鎧を着込み、矢筒を装備した金髪碧眼、白皙のタゥエンドリン=エルフが、細い身体を前に折りながらよく通る声色で言う。
「タゥエンドリン=エルフィンク王国軍に参加していた……ナーフェンと申します。私もここで終わるわけにはいきません、戦います」
「エルフと平原人が戦うと言っておるのに、わしらドワーフが戦わぬわけがないわ!」
最後に前に進み出たのは、厳つい短躯を精一杯反らしているドワーフ。
太い鼻梁から口回りの黒髭を揺らす程鼻息を吐き出し、斧を地面に叩き付ける。
「わしの名はガンドン!月霜伯殿の配下に加わるわい!」
威勢良く言い放つガンドンの目は死んでいない、腕に自信のある証拠だろう。
おそらく南岸諸都市に所属するドワーフ傭兵のガンドン。
ドワーフ傭兵とは言っても、常備兵ではないと言うだけで南岸諸都市出身者であり、その戦技や忠誠は南岸諸都市に拠るものだ。
彼ら3名の言葉に反応せず、下を向いている者もいるが、大半の敗残兵はやる気を取り戻しつつある。
オークに対する恐怖と負け戦の雰囲気で逃げてきては見たものの、昌長に改めて厳しい現実を突きつけられて腹をくくったのだ。
昌長は自分の策が図に当たったことを確信し、笑みを浮かべると3人に応じる。
「その意気や良し!ならばおまはんらは今日この時から月霜伯配下の兵や!ええな!」
「……無論だ」
「承知しました」
「当然じゃな!」
覚悟を決めた眼差しを送る3人に、昌長は鷹揚に頷くと口を開く。
「ほいたらおまんら3人を月霜銃士爵軍の隊長にしちゃるさけ、ある程度兵をまとめちゃれよ。こっちからも将をば2人送るよって、談合して再編せえ」
その言葉に頷きつつ、昌長のもとへ戻ってきていたリエンティンとリンデンが砦の門を開いて出て行った。
「諸君に問う!私と気持ちを同じくするのであれば我が下へ集まり来たれ!」
「みなさん、ここで呆けていても仕方ありません。生きる道を探りましょう」
それを見てシルラは拳を突き上げて叫んで周辺にいた平原人の歩兵を集め始め、ナーフェンは弓を失ったタゥエンドリン軍の弓兵や剣兵に優しく呼びかけて近くへ集め始める。
「おうらってめえら!これからはわしが頭じゃい!月霜銃士爵殿の下に参じる意思のある者は集まれえええい!」
ガンドンが大声で呼びかけると、あちこちからドワーフ傭兵が集まり始めた。
後続からも続々と敗残兵が詰めかけ、最初に集まっていた敗残兵達から事情を聞くと、口々に昌長の配下へ入ることを承諾する言葉を発した。
そこに昌長の派遣した2名の将が合流し、急速に再編成が進む敗残兵達。
そしてさほど時間をおかずに5名の将に率いられた軍が再編された。
「よっしゃ、ほな武具を与えるよって順番に砦へ入れ。まずは後方で待機じゃ。飯を食って水を呑めえ。ゆっくり身体をば休めてから戦いに参加してもらうで!」
その頃には目を丸くしたフィリーシアが、やはり驚いているアスライルスと共に兵を指揮して各軍の予備の武器を集めた荷馬車を伴ってやって来た。
「おう、姫さん。雑用をば悪かったのう」
「それは別に構わないのですが……マサナガ様、あの者達は一体?」
「ふううむ?連合軍の成れの果てかの?あ奴らを如何するのか?」
労いの言葉を掛ける昌長に、口々に問うフィリーシアとアスライルス。
それというのも、昌長が見たこともないほどの雑多な兵をまとめて砦に引き込んでいたからである。
おそらくその数は1万を下るまい。
更にその数は増え続けており、今もまだリエンティンやリンデンは砦の下で敗残兵をまとめる作業に従事している。
5万程いた連合軍の兵士達からすればいかにも少ないが、それでも昌長配下の兵として再編された1万の兵ともなれば、相当の数である。
これで昌長が率いる兵は1万5千あまり。
その兵力は諸王の率いてきたものに匹敵することとなった。
敗残兵は逃げる為に手に持った武器を捨ててしまうことは多いが、鎧や兜は外す手間を惜しんで身に付けたまま逃亡する。
そんな敗残兵に改めて武器を支給した上で、指揮と士気の問題を解消してやれば立派な戦力だ。
幸いにも敗走はしたものの気力を持った指揮官級の者がおり、また再編成に割けるだけの指揮官が昌長のもとには存在する。
士気が低いのでいきなり最前線で戦わせるのは無理だとしても、後方支援や助攻撃などには十分使えるだろう。
「まあこういう事や、なかなかの策やろう?」
得意げに言う昌長の姿を見て、フィリーシアとアスライルスは言葉をなくすのだった。
砦の後方で昌長の様子を探る、2つの人陰。
その一方が言葉を発する。
「全く、マサナガは相変わらず奇抜な手を打つねえ」
「いきなり戦列へ組み込むことは難しいでしょうが……今後のことを考えれば月霜銃士爵の打った手は非常に有効と言わざるをえません」
感心しきりのメウネウェーナの傍らで、ヘンウェルメセナはその冷静な表情を崩すことなく説明する。
しかし付合いの長いメウネウェーナには、この有能な副官が昌長の策に対して戦慄を覚えていることを感じ取っていた。
「マサナガは今は味方だよ……そんなに緊張しなくても良いんじゃないかい?」
「むしろ“今だけ”味方なのです。今後のことを考えれば、あの策を成功させるのは得策でないと思います」
メウネウェーナのどこかのんびりした口調に反発するような響きを持った声色で言うヘンウェルメセナ。
「まあ良いじゃないか……ここを生き延びられなきゃ、全てがおしまいなんだからね」
「はい」
主君の楽観論に反論はしないヘンウェルメセナ。
確かに、今この戦いにおいてオークを討たねば大陸全土が危機に陥る。
それはヘンウェルメセナも十分以上に理解しており、またその戦いに勝利するには昌長の活躍が不可欠である事も理解していた。
しかし背中の寒気が、怖気がとれないのだ。
ヘンウェルメセナは、厳しい眼差しを昌長の籠もる砦へと向けることで、無言のまま主君の楽観論を諫める他無いのだった。




