第9話 王都6
後片付けや衛士の増員配置も終わり、廃城砦に再び落ち着いた夜が戻ってきた。
今も廃城砦の屋根には警戒のために津田照算が潜んでいる。
結果的にこの地を戦場と認識した昌長の勘は誤っていなかった。
用心を重ねる事こそが命を拾う鍵になると、昌長が豊富な戦場経験で知っていたからこその配置だったのである。
その昌長は、武具の手入れに余念の無い重之や高秀達から少し離れた鎧戸の枠に座って異境の夜空を眺めていた。
「夜の色は一緒やな。星の組み合わせは全然ちゃうけどなあ」
すっと流れ星が夜空を横切る。
それを何とはなしに見ながら、昌長は故郷での事を考えていた。
守護大名や守護代といった大名勢力が育たなかった紀伊は、土豪と寺社勢力が各地に割拠し、峻険な山脈や河川によって分断される地形と相まって、統一勢力は戦国期を通じてとうとう生まれなかった。
紀伊の北西部には、雑賀荘など五つの郡や荘が連合した紀伊惣国一揆。
北中部には、鉄砲を日本全国に広めるきっかけを作った根来寺や粉河寺。
北東部には、平安時代から大きな影響力と勢力を持つ、高野山金剛峯寺。
中部には、かつての守護畠山氏の被官であった、湯川氏や玉置氏、山本氏。
南部には、熊野の寺社勢力。
南東部には、熊野水軍を統率する堀内氏。
しかもどの勢力も派閥争いを内包しており、外へ討って出る様な力は育っていない。
そんな小勢力の割拠する紀伊の地に、天文年間(西暦1540年前後)、紀伊雑賀荘の有力土豪の子として生まれた的場源四郎昌長は、若い頃からその武勇を近隣に轟かせ、気性の激しさと共に大いに恐れられていた。
しかし40を間もなく迎える現在に至るまで、合戦を幾度となく繰り広げながらも昌長は自家の勢力を伸ばす事は一切出来なかった。
争いは直ぐに血縁者や地縁の者共が仲裁し、決して互いに決定的な打撃を与え合わないのが雑賀の不文律であったからである。
他国であれば他人の支配地を戦で奪い取り、勢力を広げる事も出来たのだろうが、雑賀の荘の惣国組織はそれを許さない。
戦いになる事はあっても滅びる事は無いのが雑賀荘の戦。
昌長自身もその掟に救われた事もあるので、何とも歯がゆい限りである。
しかし、その掟があるからこそ雑賀衆は秩序と安定、加えて団結を得る事が出来た。
傭兵稼業に精を出し、海運交易で財を成し、農耕に勤しむ。
気性の荒い昌長が選んだのは当然の様に傭兵稼業であるが、幾ら勝ちを得、雇用主から感謝されようとも決して彼は満足しなかった。
傭兵として各地に赴き、勝利と共に金穀を得たとしても、それだけ、それだけなのだ。
配下の雑賀武者達は、報酬を得られたということと、勝利したという事だけで大いに満足していたようだが、昌長は満たされないもの、もっといえば大きな飢えと渇きを常に感じていたのである。
「わいの今と同じ歳の時、信長は上洛して天下の覇権を握ってたんや……」
自分とほぼ同年代の英傑を思うと、理由の分からない焦燥感が胸を焦がす。
年齢も40歳に近付き、若い事の狷介さは少し抑えられて思慮深さが増してきたと内外に言われていたが、自分の本質は少しも変わっていない事を昌長は自覚していた。
国をとりたい、とって天下に名を成したい、もっと言えば天下を取りたい。
本願寺と連携し、その覇業を多少なりとも遅らせはしたという自負あるが、逆に言えばそれだけ。
昌長が生涯を掛けて成したのは、天下人の覇業を邪魔した事だけなのだ。
自分はいつまで経っても紀伊の一土豪。
信長と戦うにも、本願寺という信長と匹敵する拠り所と、相争う立場にいる者達も混じる雑賀衆の地縁と血縁の団結が無ければ果たせない。
勝つのではなく、ただ戦うだけであっても独力では出来なかったのである。
「悔しいなあ……」
本願寺の出城に籠もり、織田の大軍を撃退した後のこと。
愛用している火縄銃を肩へもたれかけさせ、土塁の縁に膝を立てて腰掛ける昌長は、織田信長の率いる大軍が、整然と撤退する様を見つめてつぶやいた。
立てる旗は織田木瓜の一色。
「いつか名を成して、国を盗って……自分の旗で染めた軍勢を率いて大いに働きたいモンやなあ」
そう誰に言うとも無く言った昌長の言葉は、戦塵に溢れ、戦場の熱気も冷めやらぬ摂津の広大な野と空に吸い込まれていったのだった。
しかし、何の因果か今この地において昌長は自由。
加えて世情は戦乱に傾きつつあるという。
そして少数とはいえ、火縄銃を縦横無尽に操り、戦場の駆け引きにも巧みな、経験豊富な傭兵、一騎当千の信頼に足る雑賀武者達が自分を入れて7人も居る。
「わいはこの異境で名を成そうと思う、なんで、お前らの力を貸してくれ」
フィリーシアを補佐役の官吏と共にカフィルに預けて王宮へ帰した後、昌長は配下の義昌達に頭を下げた。
武備を解いていた雑賀武者達は、統領に選んだ昌長から突然助勢を頼まれ、驚きとと共に戸惑いを隠せずに口々に言う。
「なんや、唐突に?」
「気触れたか?」
「……統領、なんぞあったんか?」
前々から考えていた事ではあったが、フィリーシアからこの世界の成り立ちと理を聞き、政情や国情を調べるにつれてその気持ちが強くなっていた昌長。
しかし他の者達の存念は分からない。
皆が異境の地に何の理由か飛ばされ、おそらくは故郷へ戻る術は無い事を理解し、またその術があったとしても戻るべき故郷は既に豊臣秀吉の手によって半壊の憂き目に遭っている事を知っている。
戻った所で、何も出来ない、そして何も残っていない。
その思いで昌長に従い続ける事にした義昌達。
「嫌や、それはあかんと言うのであったら、抜けて貰ろうて構へん。ここの衛士に取り立てて貰うように頼んじゃる。ここで安穏に暮らせ」
戦乱とはいえ、そして衰えたりとは言えタゥエンドリンは大国。
王宮詰めの衛士ともなれば、まず戦乱にさらされる事はあるまい。
昌長は丁寧に現在の状況を説明した上で自分の野心を話して協力を求める。
「どうやろか?」
「う~ん、まあ、統領について行ったら間違い無いやろしな……」
「ここでゆっくりすんのもエエかも知れへんで?」
「わいは……あんまり、でも、まあ、そうやなあ……」
「思案のしどころや……」
首を捻り、頭を掻き、顎に手をやって、目をつり上げ、顔をしかめつつ考える、雑賀武者達。
戦国期を通じて大名や大勢力の支配を受けた事の無い紀伊の人々は、理屈や理由なしに、無条件で従わされる事を極端に嫌う気性がある。
無条件の命令や、偉いモノには従うということがほとんど無かったが故に、自分より立場が下であろうと上であろうと、相手を対等に見て、対等に扱うクセがあるのだ。
故に今は昌長に従っている彼ら6名の雑賀武者は、紀伊以外の国では間違い無く部下であり家臣であるのだが、雑賀ではそうではない。
そこに昌長の命令を絶対に聞かなくてはならないという縛りは無いし、昌長自身も設けていないし、設けられない。
雑賀衆の気質に合わない為であるし、そもそも昌長が統領になっているのも彼らの支持があったからである。
もちろん戦場においては、事前に選出した指揮官や統領の命令には全面的に従うのは鉄則だ。
これも最も指揮に優れた者を選び、またそんな人物に従っていると本人達が納得しているという前提条件があるからで、決して上位者だからと言う以外に条件の無い単純な、それこそ足軽や農兵の理論からではない。
鈴木重之などはかつて雑賀衆全体の統領を務めた事のある雑賀孫市こと鈴木重秀の縁者で、本来なら昌長とは同格の土豪。
佐武義昌や岡吉次とて雑賀の年寄衆だが、昌長の戦振りを信用してその指揮下に入っているだけなのだ。
なので、その気質を知らずに雑賀武者を普段通り他の大名などが扱おうとすれば非常に厄介な事態を引き起こしてしまうこともある。
しかし、現在の統領は、戦働き比類無き昌長である。
ましてやこの世界に飛ばされる直前、圧倒的な豊臣秀吉の紀州征伐軍に対し、決死の城外攻撃を敢行しようとしていた精鋭中の精鋭7名である。
しばらくうんうんと尤もらしく唸っていた雑賀武者達だったが、本当はとっくに気持ちは決まっていた。
この統領から今更離れる事など考えられない、当然だ。
「まあやれるだけやってみたらエエわえ」
義昌が言うと、静かに照算が頷き、吉次が笑みを浮かべて言う。
「えんちゃうの、まあせいざい報いてよ」
「わいも国が欲しいわ、頼んどかよ」
重之がにやりと笑みを浮かべて言うと、高秀も面白がるように口を開く。
「わいは湊が欲しいわ。船無いとあかんよ」
「私は的場様に付いて行きます」
最後に宗右衛門がそう言い、雑賀武者達が口々に賛意と今後も昌長の命に従うという内容の言葉を口にしたのを見て取り、昌長の胸に熱い物が込み上げてきた。
今まで鬱屈していた物が溶けるように解消されていく。
自分が求めていた物が、時代が、そして未来がここにある。
「任せちゃれ!絶対損はさせへんでえ!」
感極まった昌長の雄叫びに、義昌らも立ち上がって歓声で応じるのだった。
同時刻、宮殿最奥の間
月の無い夜。
星の光だけが、静かに最奥の間を満たしていた。
以前こっそりここを訪れた事のあるフィリーシアだったが、その時は静かな光の満ちた静謐な空間の雰囲気に圧倒され、その美しい光景にただただ見とれるばかりだった。
しかし、今は違う。
静謐な光は冷たく、そして厳しくフィリーシアの身を切るかのようだ。
尤も、それは自分の前にいる人物から放たれている物なのかも知れないが……
「フィリーシア、何故この時刻にここへ呼ばれたか分かっておろうな?」
「はい」
冷たい灰色の目を自分に向けるその人物、タゥエンドリン王の言葉に逆らう事無く答えるフィリーシアは、片膝を冷たい石床についてうなだれる。
今のフィリーシアの格好は、この王宮でも上位に位置する近衛弓兵長の正装で、緑色の皮鎧に白いマントを、大きな緑石のブローチで留めている。
「如何様な処分も受ける覚悟です」
「ふん、その意気と潔さを汲んでやろう……レウンデル」
「はっ」
傍らに控えていたレウンデルが、王の手から大きめの紙と宝剣を恭しく受け取ると、静かに捧げ持ったままそれをフィリーシアの下へと運ぶ。
「……王宮にて戦闘を行うとは許しがたい暴挙だが、敵を討ち取った功績は大きいと言わざるを得ないのでな、隊を全滅させながらも敵将を討ち取った功績と併せて、差し当たっては許す。それは正式な任命と心得よ」
フィリーシアの前に到着したレウンデルが、書状を読み上げる直前に王は冷たく言う。
「フィリーシア・エンデ・タゥエンドリン。近衛弓兵長を解任し、エンデ族領守備隊に任命する。弓兵および剣兵各30を授ける。以上」
その書状、いわゆる任命状を跪くフィリーシアに差し出すレウンデル。
フィリーシアはその任命状を押し頂くと懐にしまい込み、代わって肩に付けていた緑色のブローチを外して白色のマントを脱ぎ、その両方をレウンデルに返納する。
5つの氏族によって運営される森林人王国、タゥエンドリン。
王は各氏族から送られた族長の娘とそれぞれ婚姻関係を成し、子をもうける。
そしてその中から優秀な者を将来の王として選ぶのだ。
しかし、フィリーシアとその母だった女性には後ろ盾となる氏族が居ない。
リザードマンの不意の侵攻で滅びてしまったからである。
かつてタゥエンドリンの北東部を根拠地としていたフィリーシアの出身部族のエンデ族は、リザードマンの攻撃で殺戮を受け、散り散りになって部族としての体を失った。
その今や無い氏族の領域を守れと言われたが、赴任先は無く、事実上の飼い殺しだ。
美しかった森林や平原は、リザードマンの手によって奪われたのだ。
「マサナガとやらはカレントゥ城主を命じる故、案内でもしてやれば良かろう。後は好きに任務を果たせ」
王が無情の言葉を投げ付ける。
領土の5分の1を失い、なおも攻勢にさらされているタゥエンドリン。
湿地帯の途切れ目でリザードマンの侵攻が鈍ったが故に、何とかしのいでいるが、それも何時まで保つか分からない。
現在はエンデに隣接していたサラリエル族が必死の防戦をしており、その族長からは度々王に救援と挙国体制への移行を促す使者が来ていたが、王は僅かな援軍を送るばかりで余り戦いに乗り気でないのだ。
それよりも、敗れて滅びたエンデ族の責任者処罰に熱心で、執拗にエンデの流民に対して追っ手を放っている事は皆知っていた。
王宮に居たフィリーシアが責任を問われる事は無かったが、王は当然ながら娘であるにも関わらず、フィリーシアに良い感情を持っていない。
今回昌長が拝領したカレントゥもリザードマンが度々出没する辺地であるばかりか、滅びたエンデ族がかつて支配した領域の一部に過ぎない。
要するにタゥエンドリン王国が実効支配していない場所なのだ。
しかしフィリーシアの気持ちはそこになかった。
自分が今更どのような仕打ちを受けようとも、構いはしない。
それよりも昌長達への報償や報酬が気になったフィリーシアは、思い切って尋ねる。
「恐れながら申し上げます。マサナガ様の……月霜銃士隊への報償はそれだけでしょうか?」
「彼の傭兵を雇ったのはその方であろう?傭兵に報酬を払うのは王国ではなく、お主であろう」
「そ、それはっ」
王の言葉に慌てるフィリーシア。
確かに建前は王の言うとおりなのだが、実際は王女直々に傭兵を雇っているのだから王国として報酬を出すべきなのだ。
おまけに、王女は囚われの身であった所を救われたのであり、雇用報酬とは別に恩賞を出しても良いくらいであろう。
加えて、フィリーシアには王女として個別の資産がない。
これはある意味当然で、衣食住には不自由しない生活である上に、必要な物は王国より支給される。
臣籍に移る時に、初めて領地や財産を分与されるのだ。
故に、褒賞を与えたくても与えられないフィリーシアは、王の言葉に大いに焦った。
このままではカレントゥなどと言う廃棄地だけが昌長に対する報償となってしまう。
しかし王は慌てるフィリーシアの姿を見て満足したのか、嫌らしい笑みを浮かべてから言葉を継いだ。
「と言いたい所だが、その方が無一文である事は知っている。傭兵には働きに応じた金を与える事とした。しかし支払うのはその方だ」
「えっ?」
「謁見はせぬ!この様な夜中に大音を発し、宮殿にて戦闘を繰り広げた事、それを咎めはせぬが、許しもせぬ、故に報償はその方に預けるので、その方が支払いをせよ」