第86話 候担国一夜城
昌長がメウネウェーナに防御戦闘を進言し、王や諸侯が半信半疑ながらも野営陣を強化し終えたその翌日早朝。
起床した連合軍の兵達は、目の前を埋め尽くすオークの大軍に全員が度肝を抜かれた。
警戒ラッパや銅鑼、太鼓が打ち鳴らされ、直ちに警戒を促す警報伝令が各軍の間に走り、総指揮官の下へも報告が上がる。
同時に、自分達の陣の直前に一夜にして現れた砦にも肝を潰した。
「な、なんだあれは!?」
「砦……?」
「き、昨日はなかったぞ!」
驚き慌てる兵達だが、やがてそこに掲げられた月霜の大旗を見て胸をなで下ろすと共に戦慄する。
「あれが月霜銃士爵か……」
「一夜で砦を作るとはっ!」
その最前線の月霜伯の先鋒陣地、連合軍が砦と思った場所の矢倉で、昌長は悠然と鉄砲に弾を込めていた。
少しして昌長の居る場所へ、隊長の1人となっている鈴木重之が息を切らしつつ駆け込んでくる。
「来たでえっ棟梁!」
「おう、分ちゃあらいしょよ。みな落ち着いて鉄砲の点検と弾込め済ませちゃれ。今日は休めやんぞ」
「分かったわえ、皆にそう言うてくら」
昌長の言葉を受け、重之は駆け込んできた時の勢いそのままに駆け出す。
昌長の命令と準備で、まるで堅固な砦と見紛うばかりに作られた先鋒陣。
壕は深く、櫓は高く多数設けられ、木壁は分厚く高い上に2重になっている。
ここまで短期間で堅固な砦を作ることが出来たのには種があった。
昌長は事前にこの地の地形をユエン達に調べさせ、製材の段階で設計図に合わせて寸法を計り、切り出しや整形に加えて、組み立ての調整を行わせていたのである。
その手法は美濃国攻略の際に、当時木下藤吉郎と名乗っていた豊臣秀吉が用いた墨俣一夜城の手法に他ならない。
「わははは、ひでよしが出来たことがわいらに出来やんはずないやんけ!のぶながはわいらの鉄砲戦術をば良いように改造して使いくさったんじゃ。わいらがひでよしの真似したかてええわいしょ!」
「すごい、すごい!マサナガはすごいなっ!」
そううそぶく昌長と事も無げにそれを成し遂げる指揮をした雑賀武者達。
月霜銃士爵軍の兵士達は、それでも自分達が砦の造営に手を出しているので、動揺は比較的少ない。
しかしまさかこのような顛末が待っているとは夢にも思わず、ただ目を丸くしているのみである。
ユエンは無邪気に喜んでいるようだが、アスライルスとフィリーシアは言葉もない。
「一夜で砦を構築するなどという手法は聞いたことがありません」
「妾とて伊達に長生きはして居らぬが……此の様な妙技は初めて見る物よ」
何とかそれだけを言った2人だったが、昌長の引き出しの多さに畏怖に近い念を覚えるのだった。
その昌長が構えた砦の位置は、明らかに他の野営陣より突出しており、辛うじて堤と橋が後方の野営陣と昌長の先鋒陣を結んでいることで陣形の一部と分かるが、まるで円形の砦が最前線にぽつんと孤立しているかのようだ。
その陣にへんぽんと翻るのは月霜の大旗。
円形の最もオーク軍に近い弧に当たる場所に設けられた、主塔とも見える矢倉の上に掲げられた月霜の大旗は、オーク軍だけでなく、連合軍からもよく見ることが出来た。
兵達の警戒警報によって自陣の最前線に出て来た王や将官達は、オークの大軍を見て驚いた以上に、その砦を目の当たりにして我が目を疑う。
「マサナガ殿はいつの間にあのような堅固な砦を築き上げたのだ?」
「まさか僅か1日余りで砦を……?」
「信じられぬわい……わしらドワーフでもいきなり何もない場所に砦は造れぬぞっ」
「……ネルガド王、あれは最早砦などと言うものではない、城だ」
「おのれここでも名を売るか、マサナガめっ!」
「何とも……言葉がないな、はははっ、素晴らしい!」
連合軍陣地、中央の最前線においても、昌長の砦は味方の度肝を抜くと共に士気を高揚させていた。
兵達は偉業を成し遂げた月霜銃士爵的場昌長の後ろ姿を見て意を強くしたのだ。
一方、指揮官たる王や将官達は少し違った感想を抱く。
「こ、これは!」
「まさか本当に来るとはのう……」
中央全面を受け持つサルード王とネルガド王が、オークの群れを見て絶句する。
「……マサナガの進言を聞いていなきゃ、今頃は混乱の内に四分五裂だったね」
視察の為に護衛兵を率いて前線に出て来ていたメウネウェーナは、それを見て背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じた。
一緒に付いて来た族長ドゥリオと族長ガウロン、それにエンタン王もさすがにこの光景を見ては息を呑まざるを得ないようで、一言も発しない。
「左翼のテオハン王と右翼のフェレアルネン王からも敵が現れたとの伝令が来ております」
ヘンウェルメセナが淡々と報告するが、その顔色はいつもの無表情だけでなく明らかに青くなっているのが付合いの長いメウネウェーナには分かった。
オーク王バルバローセンの率いる8万余りのオーク兵とコブリン兵が目の前に集結しているのだ、平常心でいられるわけがない。
後方にいる聖教大神官のグレゴリウスなどはオークが現れたという報告を聞いただけで腰を抜かしている始末。
それでよく総指揮官に立候補したものだとメウネウェーナは妙な感心をしものだ。
そのメウネウェーナはもう一つの物体、昌長の構築した砦を指さして言う。
「それに……ありゃなんだい?」
「月霜銃士爵マサナガ様の旗が翻っております。野営陣地であるかと思いますが」
ヘンウェルメセナが面白くもなさそうに答えるのを聞きつつ、メウネウェーナはほうと色っぽい溜息を吐いた。
「全く……なんて面白い男だろうねえ、マサナガは」
「これは想像ですが……あらかじめ資材を組み上げるだけにしてあったものかと」
「後で見て理解するのと先に思い付いて実行するのじゃあ、大きな違いさ」
「はい」
メウネウェーナの言葉に素直に頷くヘンウェルメセナ。
その時、正面のオーク軍が地鳴りを思わせる鬨の声を上げた。
8万余りのオークを主体とした闇の兵の咆哮は大気を震わせ大地を鳴動させる。
びりびりと空気が裂けるかのような震動が、地面と空気を通じて連合軍の兵士達の精神を揺さぶる。
「こ、これは……!」
目を見開くメウネウェーナの目の前で武器を高々と上げたオーク兵達は、目の前にあって連合軍の野営陣への進路を塞いでいる昌長の籠もる砦へ地響きを上げて一斉に突撃を敢行した。
「ふ、踏みつぶされるぞっ!」
誰かがそう叫んだその直後。
月霜銃士爵の陣地から雷鳴とも思える、撃音と閃光が白煙と共に発せられた。
オークが鬨の声を上げたその時、昌長率いる月霜伯の銃士達は既に全員が配置に就いていた。
「ええかあ!怖気を震う必要はないんよ!あ奴らは簡単に壕や柵を越えてはこれやん!堀端に十分引きつけちゃってから撃つでえ!合図があるまで撃たんでおけえ!」
昌長が兵達に注意と指示を与える。
オークの鬨の声が終わり、一斉に突撃に移ってからしばらく、ようやくオーク兵の先頭が堀端に達した。
全員が火蓋を切るが、昌長は発砲を禁じる。
「まだまだよ!」
わらわらと土手を越え、空堀の中に入り込むオーク達はやがて陣の壁に繋がる土手へと取り付き始めた。
しかし昌長は未だ発砲を命じない。
「まだまだああ!」
オークの先頭が壁際に達したその時。
「撃てええええい!」
裂帛の気合いが込められた合図が昌長の口から発せられた。
平原人と獣人の火縄銃兵が、森林人の狙撃銃兵が、そして坑道人の抱大筒兵が狙い澄ましていた火縄銃の引き金を一斉に絞り落とした。
月夜に霜の落ちるが如く。
その文言を合い言葉に射撃術を磨いてきた兵達の狙いは正確無比。
射撃術は精妙且つ大胆。
正に同時に落とされた引き金は、ドワーフが丹精込めて製造した発条絡繰りを作動させて正確に火縄を火蓋の穴へと落とし込んだ。
かちん
ぱっと口薬の火薬が火花となって横に飛び、その火種はこのグランドアースで製造された黒色火薬を発火させる。
凄まじいまでの火薬の咆哮は衝撃となって閃光を発し、白煙を噴き上げつつ鉛玉を打ち出した。
木壁に手を掛けようとしていた巨体のオークの顔面や胸元に、鉛玉が埋まる。
先頭のオーク兵が弾かれたように落ち、後続のオーク兵やコブリン兵を巻き込んで空堀へと落下した。
ドワーフ銃兵の抱大筒は大玉を次々に貫通させ、最後は空堀の中を跳ね回ってオーク兵達を傷付ける。
たった1回の一斉射撃で800以上のオーク兵が倒れ、傷付いた。
しかし昌長は容赦しない。
「まだまだあ!1組後!2組前へ出え!」
2番手で控えていた銃士達は、射撃を終えた1番手の銃士達と居場所を交代する。
木壁に穿たれた銃眼から火縄銃を突き出す2組の銃士達。
彼らは散らし玉やバラ玉と呼ばれる散弾を装填して待機していた組だ。
「撃てや!」
少し距離が開いたオークの寄せ手目掛けて、再び轟く轟発音。
白煙が沸き立ち、閃光が銃口からほとばしる。
中空で弾けたバラ玉がコブリン兵達を撃ち倒し、オーク兵の顔面や手足を襲う。
ようやく自分達が何によって傷付き、攻撃されているかを理解したコブリン兵やオーク兵達が怒りの声を上げ、仲間の死体をはね除けて空堀の中から這い出そうとするのを見ながら、昌長は更なる命令を下す。
「2組下がれえ!3組前!……撃て!」
2組目と通常の鉛玉を装填した3組目が交代し、昌長の命令で引き金を落とす。
三度轟く轟音。
前回や前々回と同様に白煙と閃光が銃口から発せられ、土手の斜面を登りかけたオーク兵を情け容赦なく撃ち倒し、肉塊へと変えていく。
さしものオーク兵やコブリン兵も、初めて受ける火縄銃の攻撃に混乱し、先頭の兵達は既に逃げ腰になっている。
エルフの弓矢も、平原人の魔道杖も、ドワーフの手斧も防ぐことの出来るオークの鎧だが、鉛玉の前では無力であったのだ。
おまけに雷鳴かと見紛わんばかりの凄まじいまでの閃光と轟音。
たった3回の攻撃で瞬く間に2000以上のオーク兵が死傷したのである。
闇の者達といえども命は惜しいし恐怖も感じる。
ましてや得体の知れない攻撃を1夜で出来た城からされたのだ。
しかし彼らは諦めずに何度も何度も砦を攻め取るべく攻勢を繰り返す。
昌長は熟練とは言えない兵達の弾込めにかかる時間を計算し、巧みに時間をずらしつつ間断のない射撃を浴びせ続けてオーク兵を陣に近寄らせない。
空堀はオークとコブリンの死体で埋まり、血泥の臭気が砦にまで立ち上ってくる。
一斉射撃の回数が10を数えるが、それでも乱れなく一斉射撃を繰り返す月霜銃士隊。
しかしそろそろ熱を持ちすぎた銃身が限界だ。
水を掛け、また湿った布を巻き付けて銃身を冷やすが、暴発しかねない程に火縄銃の銃身が熱を持ってしまっている。
「もう秘密兵器をば使わなあかんのかえ……」
昌長が唇を噛み締めたその時、オーク達が一斉に引き始めた。
「んんっ?」
驚く昌長を余所に、どこからともなく指示が下り、後退を始めるオーク兵達。
それを見て銃士達が歓声を上げる。
「油断すんな!弾込め急げえ!1組前へ出え!」
昌長の号令で、再度1組が銃眼に就くが、そこまでだった。
潮が引くように撤退してゆくオーク達。
それを見ていた後方の連合軍野営陣からも、爆発的な歓声が上がった。




