第79話 リンヴェティ族降伏
ハーオンシア州、州都フォーレンス郊外
昌長が熱走王カンナビスを打ち破ってから20日後。
リンヴェティ族の族長ニレイシンカが、フィリーシアと昌長の求めに応じて、フォーレンス郊外へ兵1000を率いて現れた。
昌長の手配で張られた陣幕の中、フィリーシアと昌長が野外用の椅子に並んで腰掛けていると、目付きの鋭い細身短髪の美女がゆっくりと入ってきた。
そして、周囲を見回してから冷たく言う。
「変わった天幕だね、少なくともタゥエンドリンの方式じゃない」
「ニレイシンカ族長、これはこちらに居るマトバ・マサナガの故国で使用されているジンマクと呼ばれる物ですよ」
その美女、ニレイシンカはフィリーシアの説明を受けてふんと鼻を鳴らし、フィリーシアの隣で静かに座っている昌長へ厳しい視線を向けると、皮肉げに口を歪めて言った。
「はっ、異境の平原人……なるほどね、あんたがフィリーシア王女をたぶらかしているという、マトバ・マサナガだね?」
「いきなりずいぶんなご挨拶やが、そうやで」
ニレイシンカの毒のある質問に動じた様子も見せず、しかしニレイシンカの方を見ないまま昌長はしれっと応じる。
冷たい視線を向け続けるニレイシンカへ、しばらくしてから昌長は、にやっと笑みを浮かべてから言葉を継いだ。
「まあ、そもそもワイみたいな40絡みの醜男に姫さんをばたぶらかせるとは思えやんけどな、冗談はほどほどにせなあかんで?」
「……ふん、食えない男だね」
昌長の笑みに釣られるようにして、ニレイシンカも小さく笑みを浮かべて応じると、フィリーシアの前に用意されていた椅子へ優雅な所作で座る。
しかし、その所作とは裏腹に、ニレイシンカはすっと顔を上げると、前口上も無く、すぐに用件を口にした。
「まだるっこしいのは嫌いだ……フィリーシア王女、こちらからの話は5つ」
「どうぞ」
少し不機嫌な様子のフィリーシアに小さく眉を上げるニレイシンカだったが、そのまま特に気にした様子を見せずに言葉を継ぐ。
「1つ、リンヴェティとエンデの境はハーオンシア川にすること。2つ、1で決めた境界はお互いに侵さないこと。3つ、タゥエンドリンの敵対勢力に対しては協力態勢を取ること。4つ、商売や物の移動は今まで通りだが、自勢力下では制限を設けることについて認め合うこと。5つ、カフィル王子を盛り立てること、以上だ」
一気に自分の要望を言い切ると、ニレイシンカはさあどうすると言わんばかりの態度で椅子の背もたれへ自分の身体を預け、冷たい視線をフィリーシアへと向けた。
この要求は正に要求。
ニレイシンカの一方的な要求だ。
かつてはニレイシンカが抑えていたハーオンシア地方は、割拠する小人族を始めとする土豪達が軒並みマサナガに靡いてしまい、既にリンヴェティ氏族は影響力を失っている。
熱走王カンナビス撃破の報は未だ昌長の武名を大いに高めており、周辺地域に大きな衝撃と動揺、それから影響を及ぼしているのだ。
またカフィル王子への支援についてはごり押し以外の何物でもない。
カフィルはそつなく内政や治安維持をこなしてはいるものの際だった功績は無い。
そのカフィルへの支持を求めると言うことは、とどのつまりフィリーシアと昌長にカフィル王子を王位に就ける手伝いをしろということに他ならない。
その他の内容にしてもニレイシンカは一方的にふっかけた。
大河や王都に近いハーオンシア川流域の方が経済的にも進んでいる地域であるから、商業や流通を妨げられて困るのはニレイシンカの側である。
加えて外部勢力の侵攻も、先頃昌長の手によって撃破された蚕興国や聖教派の諸国と国境を近くに接しているのは、ニレイシンカの本拠地であるリンヴェティ地方なのだ。
フィリーシアや昌長は後背にリザードマンの勢力を抱えてはいるものの、これもまた昌長の手によって既に死に体の勢力であり、たとえ新たな侵攻があるとしてもまだまだ先の話。
故に北側の名も無き平原には敵がいないので、実質的にニレイシンカやリンヴェティ族に対して片務的なものとなる協力態勢だ。
流石のニレイシンカもこの無茶苦茶な要求が全て受け入れられるとは思っていない。
交渉術の一環であり、また相手の出方や態度、方針を探るための言動でもある。
そしてニレイシンカはフィリーシアの行動を観察する。
以前から武姫として知られていたフィリーシアであったが、どこか甘さが抜けきらない部分があったことを記憶していたニレイシンカ。
しかしここにいるフィリーシアは凛然としており、その様な隙は窺えない。
マトバ・マサナガと言う平原人の武人に頼りきりかと思いきや、決してそういうわけでもなさそうだ。
その証拠にフィリーシアは自分だけで悩んでいる。
横にいるマサナガとやらも特に口を出すでもなく、むしろ試すか面白がる様子でフィリーシアを見ており、時折こちらに視線を投げかけてくるがフィリーシアを操っている素振りは無い。
そんなニレイシンカの思惑を余所に、しばらくしてフィリーシアがごく普段通りの態度で口を開く。
「ニレイシンカ族長は、少し思い違いをされているようですね」
「思い違い……だと?」
しかし、辛辣な皮肉を含んだその言葉の内容に、ニレイシンカは試していたことを忘れて思わず頭に血が上るが、相手が王族である事、更には自分から試しを仕掛けていることを思い出し、浮かしかけた腰を何とか留める。
奥歯を噛み締めるニレイシンカに、態度を変えずフィリーシアが言葉を継いだ。
「はい、まず最初に……私は王からエンデ地方の守備を命じられただけ。この地の支配や領土の拡大、マーラバント討伐は命じられてはいないのです」
「カレントゥも、マーラバントも、エンデも、名も無き平原もハーオンシア川流域も、全部わいが切り取ったわいの領地や。お主はわいと話をせなあかんのやで?」
「な、何だと!?」
「姫さんは……フィリーシアはあくまでも捨て扶持としてわいが王から貰うたカレントゥへ間借りしとるだけや、従属してる訳でもないんやけどな」
平原人である昌長が元とは言えタゥエンドリンの領土を一部なりとも領有しているという事実を聞き、目を剥くニレイシンカ。
しかもそれをフィリーシアが容認しているという事実を知り、これにはさすがのニレイシンカも席を蹴った。
その顔は屈辱と怒りで赤く染まっている。
「フィリーシア王女っ、見損なったぞ!平原人にタゥエンドリンの領土支配を認めるとはどういうことだ!?」
「王が昌長様に月霜銃士爵という新設とは言えタゥエンドリンの爵位を与えているからです。それに、マサナガ様が与えられたのはカレントゥの廃城のみ。今ある領地は全てマサナガ様が実力で獲得したものです」
「タゥエンドリンの領土の一部が含まれているだろう!そもそもハーオンシアは我がリンヴェティの担当地域だぞ!」
激しい口調で噛み付いてくるニレイシンカに目を向け、フィリーシアは対照的に落ち着いた様子で返答したが、ニレイシンカの怒りは収まらない。
ニレイシンカ率いるリンヴェティ族領から王都に出るには、ハーオンシア、ひいてはハーオンシア川の河川航路を使うルートが最も早く、且つ安全であり大量の物資を運べる。
周辺に割拠する小人族の動向には注意しなければならないが、これまでは比較的穏健な支配体制、というか、あまり関係を持っていなかったこともあり特に問題は無かった。
しかし昌長によって小人族の土豪どもが懐柔され、あろう事かその支配下に入るとなれば、いずれにしても今まで安全且つ無償で通行出来ていたルートが無くなってしまう。
関税のみならず土豪が経営している船便も昌長の意向に左右され、リンヴェティ族は大きな負担と不安を強いられる事態になりかねない。
加えて今まではタゥエンドリンの王都から派遣されてきていた中央官吏のエルフがハーオンシア川流域を支配をしていたのだが、それが平原人に取って代わられるというところがニレイシンカの民族的な感情を刺激した。
それでなくとも周辺地域は不安定極まりなく、自領を守るので精一杯。
そこに潜在的な敵対勢力がどっかり腰を据えるというのであれば、リンヴェティは安全保障と経済の両面から危機に陥ってしまう。
「フィリーシア姫ならともかく、月霜銃士爵のハーオンシア領有は認めないぞ!」
「ニレイシンカ族長、冷静に話しましょう」
「これが冷静でいられるか!……貴様!何がおかしい!?」
フィリーシアがなだめてもニレイシンカの怒りは収まらず、それどころか笑みを浮かべている昌長を見て更に激高する有様。
昌長はその様子を面白そうに眺めていたが、ニレイシンカにはそれと分からないよう出口で陣幕を警護している小人族の兵に目配せをする。
目配せを受けた小人族の兵士、熱走王との戦いで囮を引き受けた年嵩の兵士カーンスはそれに対して一つ頷くと、音も無く陣幕を離れた。
昌長はカーンスの背を見送ってから笑みを消してニレイシンカへ向き直ると、どすの利いた声を発した。
「取り敢えず座れや」
「っ!?」
昌長の迫力ある声と顔に気圧され、ニレイシンカが開きかけていた口を閉じる。
「聞こえやんのか、座れ」
「……ふん」
昌長の突然の威圧に怖気を振るいながらも、ニレイシンカは何とか態度を取り繕って席に座る。
それを見届けてから昌長はゆっくりと口を開いた。
「ハーオンシアはワイが蚕興軍を蹴散らし、熱走王とかいう化けもんを討伐して手に入れたんじょ。最初からお主らに認めて貰おうちゅう話やない。そもそも川で区切るとかよ、都合のええ事ばっかり抜かしくさるな」
「そ、それは……ハーオンシアは元々……」
「知らん、今はもうお主らのもんやないわ。小人族もわいらの配下に入った、知ってるはずや」
昌長の言葉に、抗議しかけたニレイシンカが悔しそうに黙り込むと、昌長は立ち上がりながら口を開く。
「それから、姫さんが最初に言うてた思い違いの大本やけどなあ、今からそれ見せちゃるわえ」
昌長は自分に続いて立ち上がったフィリーシアに笑みを向けて先に行くよう促すと、ニレイシンカへ振り返って言った。
「ついて来い」
フィリーシアを先頭に昌長はニレイシンカを連れて陣幕から出ると、ニレイシンカの連れてきた護衛の兵士2名を加えてしばらく進む。
「おい……何処へ行くというのだ?」
「心配すんなよ、不意打ちやるくらいやったらとっくにやっちゃある」
「な、何!?」
ニレイシンカへ不遜な返答を返した昌長へ、護衛の兵がいきり立つ。
しかし昌長は手を上げてそれを制すと、歩みを止めずにゆっくりと言う。
「まあええモン見せちゃるさけ、そう急かんでもええ」
「マサナガ様、ニレイシンカ族長、見えてきましたよ」
その昌長の言葉が終わると同時に、先頭を進むフィリーシアが声を掛けてきた。
フィリーシアの進む先には、少し開けた場所になっている。
フィリーシアに続いて昌長がその場所に到達し、ニレイシンカの視界が開けるように右へと避ける。
怪訝な表情のニレイシンカが護衛の兵と共にその場所に到着すると同時に、その目が見開かれた。
「こ、これは……!?」
「もの凄いやろう?」
ニレイシンカの居る場所から見下ろす位置には、広場が設けられていた。
そこには広がるのは、夥しい数の小人族兵士達。
ハーオンシア川流域に住まう、タゥエンドリンの支配下にありながら勢力を持ち続けた、川縁の民の軍兵が一面に集っていたのだ。
「こ、こんな……馬鹿なっ」
「まつろわぬ小人族が……信じられん」
絶句するニレイシンカを余所に、護衛の兵士達が驚愕と畏怖の声を上げる。
森林人主体のタゥエンドリンでは、小人族や平原人の人口把握はほとんど行われていなかった。
タゥエンドリンは徴税にさえきちんと応じていれば、小人族に対して干渉も、統治も、そして援助もしていなかった。
湿地帯に適応した生活を送り、湿地帯に馴染んだ小人族を討伐する手間暇を掛けるより、形だけ支配下にある事を表明させる方がタゥエンドリンの理と利にかなっていたからである。
無理に軍を送り込めば恐るべき損害受けるのは分かり切っており、裏を返せばこれ以上の統治方法が採れなかったからだとも言える。
しかし昌長はハーオンシア川流域に住まうものがすべからく恐れた熱走王の復活に際して類い希なる武勇を示してこれを撃ち破っただけでなく、その直前には地域の安寧を乱しに乱していた平原人、もっと言えば聖教勢力の軍を撃ち破っている。
小人族が恭順の意を示し、昌長の求めに応じて兵士をこぞってこの地へ送り込んできたのだ。
「……小人族は移動していなかったはず」
思わずそうつぶやいたニレイシンカの横合いから、不満そうな声が発せられた。
「ふん、ひょろひょろの森林人がえらそうに、俺達のことを馬鹿にし過ぎだぜ」
昌長の意を受けて去ったカーンスを伴い、シルケンスが完全武装で現れる。
その手にはカレントゥで製作された短めの火縄銃が握られている。
シルケンスはフィリーシアに会釈を送ると、打って変わってふてぶてしい顔付きでニレイシンカを見てから口を開いた。
「ハーオンシア川流域の小人族の族長連合は全てがマサナガ様の配下に入った。もうお前らの思うとおりには行かないぜ」
再び絶句するニレイシンカに昌長は大笑する。
そして、一頻り笑い終えてからぎらりと目を光らせ、昌長はニレイシンカを怯ませてから言った。
「小人族の兵2万はわいの傘下に入ったで……下るか?それとも戦うか?」
瞬間、シルケンスの号令が掛かり、小人族銃兵1000が一斉に火縄銃を放った。
1000の火縄銃の轟発音は空を圧し、空間を震動させる。
それは対面に置かれた壺や桶で出来た的を撃ち砕き、破砕する。
自分達に向けられたものではなかったが、その威力と示威にニレイシンカや護衛兵のみならずこの地にやって来ていたリンヴェティ族の兵士達は肝を磨り潰した。
「エエ音や」
昌長のどこかのんびりした声を聞き、ニレイシンカはそこでようやく自分が何を勘違いしているのかを悟った。
この平原人の武将が自分を呼び寄せたのは自分達と協定を結ぶのではなく、武力を背景に降伏を迫るためだったのだ。




